6月も下旬になってしまい 母親が入所している 神奈川県内の施設を 4ヶ月振りに 訪ねてきました。
前回訪れた際の記事→2016年2月13日
滞在時間は 約1時間。終始 頓珍漢な会話となってしまいますが 否定せず ゆっくり話し、聞いてやりますと 時々 断片的な記憶が閃くんでしょうか、正常に近い会話になったりして びっくりもします。
毎度のこと ユニットのリビングルームのテーブルで 車椅子のまま テレビを見ていた母親、突然の来訪者に 一瞬怪訝そうな表情を見せますが 息子夫婦であることは まだ 認識出来るようで ニコッと 笑みを浮かべます。
「こんにちは」と挨拶すれば 満面の笑み、嬉しそうな顔で 「こんにちは」と 応えてくれます。
いつものように 妻は いの一番に 私を指さして 「この人 だーれ?」と 問い掛けますと、
「わかるよ・・・・」
と 言いますが 私の名前は 出てきません。
「ヒロシも ???も みんな 分かっているよ」
「ヒロシは どうしてる?」
等と 続きます。
ヒロシとは もう 9年前に他界した次男のことなんですが 母親にとっては 何故か馬が合い 一番 脳裏に刻み込まれた家族なんでしょう。夫や 長男、長女ではなく 次男だったんです。
話の途中 何を言い出すかと思うと
「今 ここに居るけど 帰るから また来てね」
「どこへ 帰るの?」
「ウチに 帰る」
「ウチッて どこのウチ?」
「直ぐそばに 道路があるウチ」
「そのウチ どこに有るの?」
「×××××」
7~8年前まで 一人で暮らしていた 北陸の山村の地名を 正しく言い当てるのです。
「近くに 線路もあったし」
実際は かなり離れた平地を通っていた鉄道のことなんですが、
「なんていう所だっけ?」
「△△△」
集落名も 正しく言い当てるんです。
北陸の実家は 数年前に解体し 今は 更地になってしまっているんですが 母親の脳裏には 一瞬 住んでいた頃の家の周辺の風景が
広がったんでしょう。
別れ際には
「忙しいのに・・・・、体だけは 大事にしてね・・・」
「車で来たの?。気いつけて帰って・・・」
母親には 後期高齢者に手が届く爺さんも まだまだ子供に見えるんでしょうか。
「また 来るよ」
毎度のこと 握手を交わしますが まだまだ 力と温もりが有る手でした。
今回もまた 子供として 母親に対して 今出来ることは この程度なのか 無力感に襲われながら 帰路につきました。