たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

お盆の頃

2017年08月14日 10時05分08秒 | M男のあの日あの頃(the good old days)

昭和20年代後半、M男は北陸の山村で小学生だった。
東京生まれのM男、まだ物心つかない幼児だった太平洋戦争末期に、家族全員で自主疎開、北陸の山村の父親の実家に身を寄せ、どのようないきさつがあったのか定かでないが その地に仮設住宅の如くの簡易住宅を建て定住してしまっており すっかり 農村の子供であった。
ただ どこかに 根っからの地元の子供とは違う感覚が有って 子供ながらに気後れしたり遠慮するようなところも有ったような気がする。
当時の農村は まだまだ閉鎖的なところも多分に有り 子供心にもいろいろ影響が有ったのだろう。
同じ村落には もう1軒、東京から移住した家が有り 2軒には 「疎開者(そかいもの)」というレッテルが貼られていた。
地元の言葉で 「旅の衆(たびのしゅう)」等とも呼ばれていた。本来 地元以外から村落を訪れた人を 「ご苦労様」という意味を含めて 歓待するような時使う言葉のようだが 「流れ者」というようなニュアンスまで感じさせられたものだ。

こんなことも有った。
まだ若かった母親が PTA参観日に 疎開時東京から持っていった 極く普通のスカート、白いブラウスで 多少化粧等していったことが有ったが たちまち 白い目で見られたりしたようだ。
当時はまだ 「・・の旦那さん」等と呼ばれる村落の金持ちでも 地味で 質素倹約する暮らしをしていた時代、貧しい暮らしの新参者がちょっとおしゃれをすることにもやっかみが入ったのだろう。

M男の家では 僅かな田圃で稲作、家の周りでは畑をやっており 自給自足が基本のような暮らしをしていたが 父親は 隣り町の印刷店に勤めていて兼業農家だった。東京育ちで農業なんてまるでやったことのなかった若い母親の後ろ姿を見ながら 長男のM男は 小学生の頃からよく手伝いをしたものだ。
8月、お盆前には 家の周りの草取り、掃除は 小学生のM男の仕事と決まっていて 夏休みの絵日記には 「今日は 庭の草取りをした」等と よく書いていたような気がする。

「盆と正月」という言葉が有るが 昔は今よりもっと特別だったような気がする。
お盆の3日間~4日間は 定休日等無かった父親も休みで 農作業も無し。完全な休みとなり お墓参りや仏壇に盆提灯を飾り付け等、子供達は はしゃいだものだ。
冷蔵庫も無かった時代、父親は わざわざ自転車で 隣り町の氷店から大きな氷の塊を買ってきた。道中 かなり解け始めた氷を 急いで ぶっかき カルピスやサイダー等を飲んだような気もする。
「お盆だから・・・」と 多少は ご馳走が有ったのかも知れない。
扇風機もまだ無く 座敷、茶の間は 開けっ放し、簾で外気を通し 涼をとるしかなかった。
夕方、夕食後は 家の中より庭先の方が快適、団扇片手に、蚊取り線香、手作りの縁台で 夕涼みである。ほんの少し買ってもらった線香花火を 小分けにして ちびちび楽しんだりもした。
住宅事情、生活状況・・・、今と比べれば 格段に貧しかったあの時代、子供が テレビやゲームやスマホに夢中になることも無かった時代だからこそ、家族と一緒に過ごす時間が多かったのかも知れない。

長い年月空き屋だった家も数年前には取り壊し、家族と夕涼みした庭先も雑草に覆われた荒地と化しており 当時を偲ぶものは何も無くなったが、毎年 お盆の頃になると そんな子供の頃過ごした故郷の情景が蘇ってくるM男なのである。

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