昭和20年代後半、M男は北陸の山村で小学生だった。
東京生まれのM男、まだ物心つかない幼児だった太平洋戦争末期に、家族全員で自主疎開、北陸の山村の父親の実家に身を寄せ、どのようないきさつがあったのか定かでないが その地に仮設住宅の如くの簡易住宅を建て定住してしまっており すっかり 農村の子供であった。
ただ どこかに 根っからの地元の子供とは違う感覚が有って 子供ながらに気後れしたり遠慮するようなところも有ったような気がする。
当時の農村は まだまだ閉鎖的なところも多分に有り 子供心にもいろいろ影響が有ったのだろう。
同じ村落には もう1軒、東京から移住した家が有り 2軒には 「疎開者(そかいもの)」というレッテルが貼られていた。
地元の言葉で 「旅の衆(たびのしゅう)」等とも呼ばれていた。本来 地元以外から村落を訪れた人を 「ご苦労様」という意味を含めて 歓待するような時使う言葉のようだが 「流れ者」というようなニュアンスまで感じさせられたものだ。
こんなことも有った。
まだ若かった母親が PTA参観日に 疎開時東京から持っていった 極く普通のスカート、白いブラウスで 多少化粧等していったことが有ったが たちまち 白い目で見られたりしたようだ。
当時はまだ 「・・の旦那さん」等と呼ばれる村落の金持ちでも 地味で 質素倹約する暮らしをしていた時代、貧しい暮らしの新参者がちょっとおしゃれをすることにもやっかみが入ったのだろう。
M男の家では 僅かな田圃で稲作、家の周りでは畑をやっており 自給自足が基本のような暮らしをしていたが 父親は 隣り町の印刷店に勤めていて兼業農家だった。東京育ちで農業なんてまるでやったことのなかった若い母親の後ろ姿を見ながら 長男のM男は 小学生の頃からよく手伝いをしたものだ。
8月、お盆前には 家の周りの草取り、掃除は 小学生のM男の仕事と決まっていて 夏休みの絵日記には 「今日は 庭の草取りをした」等と よく書いていたような気がする。
「盆と正月」という言葉が有るが 昔は今よりもっと特別だったような気がする。
お盆の3日間~4日間は 定休日等無かった父親も休みで 農作業も無し。完全な休みとなり お墓参りや仏壇に盆提灯を飾り付け等、子供達は はしゃいだものだ。
冷蔵庫も無かった時代、父親は わざわざ自転車で 隣り町の氷店から大きな氷の塊を買ってきた。道中 かなり解け始めた氷を 急いで ぶっかき カルピスやサイダー等を飲んだような気もする。
「お盆だから・・・」と 多少は ご馳走が有ったのかも知れない。
扇風機もまだ無く 座敷、茶の間は 開けっ放し、簾で外気を通し 涼をとるしかなかった。
夕方、夕食後は 家の中より庭先の方が快適、団扇片手に、蚊取り線香、手作りの縁台で 夕涼みである。ほんの少し買ってもらった線香花火を 小分けにして ちびちび楽しんだりもした。
住宅事情、生活状況・・・、今と比べれば 格段に貧しかったあの時代、子供が テレビやゲームやスマホに夢中になることも無かった時代だからこそ、家族と一緒に過ごす時間が多かったのかも知れない。
長い年月空き屋だった家も数年前には取り壊し、家族と夕涼みした庭先も雑草に覆われた荒地と化しており 当時を偲ぶものは何も無くなったが、毎年 お盆の頃になると そんな子供の頃過ごした故郷の情景が蘇ってくるM男なのである。
戦後の面影が少しづつ薄れつつある時でした。
両親は外地からの引揚者でしたが、
町中に住んでいたので農村の様子は知りませんでした。
一度、山間にある母の知り合いの家に行った時、
黒い小さな褌姿で小学校のプールに入れられて、恥ずかしかったことを覚えています。
最近のことは直ぐ忘れてしまいますが 子供の頃のこと、断片的に 良く覚えているものですね。
黒い褌・・・、
私の方は 子供の頃 赤い褌が流行っていた時期があり 井の中の蛙、それが当たり前だと思っていて 平気で川で遊んでいたこと有ります。プールなんて 学校にも周辺にも 全く無かった田舎でした。
田舎者の私でも思い出せない風景の数々に圧倒されました。これは東京生まれの M 男さんだから書けたのだと思います。
これを読んでまず思い出したのですが、あの戦時中、私の田舎にも東京から疎開して来て、素朴な村人にすぐ受け入れられ、少しも暗くなることはない A 君、B 子ちゃんがおりました。私はその子たちの垢抜けしてさわやかな東京言葉に触れ、まぶしかったものです。そしてこの人たちの言葉はよく分かり、私たちの言葉理解されなかったようです。
でもだんだん仲良しとなり、A 君の話し方が私たちと似て来て、それがうれしくもあり、またちょっとさびしくもあ
りました。
そういう風なことも有ったんでしょうかね。
家族は かなり後年まで 東京言葉でしたが の人達とは 出来る限り 土地の言葉を使う・・・、そんな暮らしで 子供的には なにか違和感を感じたものです。
それでも 1学年1クラスの小学生中学生同級生とは 兄弟以上の絆が出来、今に至っています。
コメントいただき 有難うございます。