「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」で、一度書き込んだことの有る「中学生日記より」、順不同、で、ボチボチと、コピペ、リメイクしているが、まだ、少し残っており、再開?。
「中学生日記」とは、北陸の山村で中学生だった頃のM男が、ほんの一時期だが、付けていた日記帳のことで、数年前に実家を解体する際に発見した、変色、腐食し、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等まで、全て押し入れの奥に詰め込んでいたようで、その中から出てきたものだ。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じがして、即廃棄処分出来ずに、持ち帰っている。ページを捲ってみると、日毎に、わずか数行のメモ、日誌のような類ではあるが、自分で書いた文字から、すっかり喪失してしまっていた当時の情景までも、断片的に炙り出されてくるから不思議である。まさか 60数年後に、第三者の目に晒される等とは、当時のM男には想像すら出来なかったはずで、下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その64 「田植えが始まる頃」
昭和30年(1955年)6月1日、水曜日、晴、
第1限目 「音楽」、太平洋、強弱記号、
第2限目 「図画」、モザイク、
第3限目、第4限目 「映画」、
「月の物語」「運動の法則」「ガラス」「火の歴史」「ニュース」等
1、くりのき(栗の木)にたかる「くりまたばち(蜂)」退治してくれと
たのまれた(頼まれた)。
2、田うえ(田植え)が始まったので、今日から昼前限り(授業は午前中で終わり)
3、父が休んだ。親戚の田植え手伝いのため。
学校へ、自転車に乗って行った。
4、テキストの帰りに、どこかの家へ自転車をぶつけた。
5、始じめて(今年初めて)、ふせばりをかけて見た(伏せ針を仕掛けてみた)
6、うちの田うえ(田植え)は 6日ときまった(決まった)
帰家(宅) 13時10分
当時、M男の通っていた、北陸の山村の1学年1クラスの小さな小学校、中学校併設校では、田植えの時期のピーク、稲刈りの時期のピークには、必ず約1週間の「田植え休み」「稲刈り休み」が有った。
井の中の蛙大海を知らず、M男達は、それが当たり前のことと思っていたものだが、ほとんど農家の子供だったこともあって、中学生ともなれば、一人前の労働力?、学業より家の手伝い優先という考えが、まだ、その地には有ったのかも知れない。さらに、「田植え休み」「稲刈り休み」に入る前の1週間位は、授業は午前中で終わり、午後は放課、家の手伝いの無い者は、部活等に充てていたような気がする。
M男は、郷里を離れた後も、長年に渡って、「田植え」や「稲刈り」の手伝いに、わざわざ、帰省することを続けたが、機械化、その他の事情も有って、後年、「田植え時期」=「ゴールデンウイーク」というイメージになってしまったが、ほとんど人力の当時はまだ、6月初旬だったということになる。
第1限目の「音楽」、太平洋、強弱記号、
「太平洋」って何?、曲名かな?、良く判らない。
第2限目の「図画」、モザイク、
確か、各自家から卵の殻を乾燥させ持ってくるように言われ、それを割って小さな断片にして
絵の具で12色だか何色だかに色付けし、その1片1片を、あらかじめ下絵を描いた板に
糊で張り付けていくという授業で「モザイク」と呼んでおり 出来上がった作品は、
秋の文化祭に展示していた。
後年になってからのこと、写真や映像の一部等を隠す手法を「モザイクを掛ける」ということを
知った時、なんとなく違和感を感じたものだった。
第3限目第4限目は「映画」「月の物語」「運動の法則」「ガラス」「火の歴史」「ニュース」等
各学年1クラスの小さな小学校・中学校併設校のこと、全校生徒児童が、大教室に集合し、
教育用映画を見る授業が、年間に何回か有った気がする。
その日もそうだったようだ。白黒で、退屈な内容が多かったような気がするが、通常授業と
異なり、ワイワイガヤガヤ、喜んでいたように思う。
廊下の壁に、投影用の穴が開けられており、機械に強いI先生が、廊下で映写機を操作、
時々、フィルムが切れて修復したりの間が有ったり、なんとものんびりしたものだったが。
1、栗の木に、「くりまた蜂」、
「くりまた蜂」???、全く記憶が無いが、敷地内に栗の木が有ったことは覚えており、、
蜂が巣を作って飛び回っていて危険なので退治しろ!と親から命じられたのかも知れない。
3、父が休んだ。学校に自転車に乗って行った、
当時、M男の家には、まだ自転車が1台しか無く、父親が通勤に使っていたため、
普段乗ることが出来なかった。その日は、父が親戚の田植えの手伝い(結・ゆい)のため
休んだため、自転車が空き、M男は、それを借りて学校に乗って行ったということだと思う。
4、テキストの帰りに、どこかの家へ自転車をぶつけた、
「テキスト」の帰り?って、何のこと?、分からない。
多分、放課後、学校で何か有り、その帰り道、慣れない自転車で運転を誤り、
どこかの家にぶつかった?ということなのだろう。
全く記憶が無いが・・・。
5、今年初めて、伏せ針を仕掛けてみた、
当時、近所の子供達はつるんで、徒歩20分~30分の川に、夕方に出掛け、
1m程の棒の先に、釣り糸をくくりつけ、釣り針にミミズ等の餌を付け、
川べりに、大きな石で押さえて仕掛けて帰り、
翌日早朝見に行き、ウグイ、フナ、ナマズ、コイ等が掛かるのを
楽しみにする遊びが流行っていた。
「フセバリ」と呼んでいたが、多分、釣り針を伏せて置くことからの言葉で、
「伏せ針」でいいのではないかと思われる。
年上の子供等から、大物が掛かった話を聞いて、夢中になった時期が有ったが
M男自身、大物が釣れた記憶は、全く無い。
6、ウチの田植えは,6日と決まった、
当時、「田植え」や「稲刈り」は,親戚同士が日を決めて順番にお互い家族全員で手伝いに
行く習慣が有った。後に、「ゆい(結い)」と呼ばれる習慣であることを知ったが、
子供心には、何日も他所の手伝いをし、田んぼの少ないM男の家は、簡単に終わって
しまうのは、割が合わないことではないかと考えたこともあった。
M男の家の「田植え」は、6月6日と、決まってようだ。
帰宅 13時10分、
授業が午前中だけとうことは、弁当は持っていかなかったはずで、多分、「バアチャ」が
用意してくれた昼食にかぶりついたのだと思う。