その7
「バアチャの写真」
今から10数年前に、長年空き家になっていた北陸の山村の実家を整理解体処分したが、その際に残っていた古いアルバム数冊を持ち帰った。なかなか廃棄出来ないままで、未だに埃を被ったままになっているが、先日、「バアチャ」の写真が残っていないか、めくってみた。
昭和40年に、亡くなっている「バアチャ」。
M男は、これまで、「バアチャ」の写真と言えば、実家の座敷に飾ってあった遺影の写真を見ていた位で、他ではあまり見た覚えが無かったが、
戦前の、表紙がボロボロの小さなアルバムに糊で貼り付けられた写真の中に、
「もしかして、これ、バアチャ、かな?」という写真が何枚かが有る。
その内の1枚を、転写してみた。
姿形から、多分、「バアチャ」に間違い無いと思うが、年齢も、10代?なのか、20代?なのか、30代なのか?は、分からない。
明治24年、埼玉県の農家の次女として生まれ、東京で、奉公したり、食堂を営んだり、苦労して生き抜いた「バアチャ」、
いつ頃、どこで撮った写真なのかも、分からない。
また、別のアルバムには、座敷に飾ってあった遺影の写真の元と思われる写真が有った。
多分、昭和30年代の「バアチャ」で有り、生前最後のいい写真だったのかも知れない。
M男を、母親よりも母親らしく、可愛がり、厳しくしつけ、育ててくれた「バアチャ」だった。
(つづく)
ご苦労されてきたとのことですが・・それだけあって、お年を召してからのばあちゃさまの笑顔には輝きがありますね🐻🍀✨✨✨
今年もよろしくお願いします。
夏、暑い盛り等では、当時 「簡単服」と呼ばれていたと思いますが、ワンピースを着ていましたが、和服の似合う女性でした。普段は、モンペは履いたりしてましたが、お出かけは、必ず和服、
完全にバアチャ子でしたので、いつもくっついて、いたように思います。
危篤の報を受け、電車で帰省、なんとか間に合って、皆から、「きっと、M男を待っていたんだよ」と言われた記憶が有ります。
コメントいただき有難うございます。
宜しくお願い致します
「バアチャ」のお話 つづく
楽しみです
信念を貫き通した「バアチャ」のお姿
「バアチャ」の断片的な記憶も、残り少なく、あと1回か2回止まりだと思いますが、老脳から絞り出そうと思っています。
コメントいただき有難うございます。