足腰大丈夫な内に、出来る限り不要雑物整理をしようと決心してから久しいが、正直あまり捗っていない。書棚や天袋、押入れ等に詰め込まれていた古い書籍や辞書、百科事典等の類も、ここ数年間で大胆に整理処分してきたつもりだが、中には、「これ、面白そう?」等と目に止まり、残してしまったものも結構有る。その中のひとつに、多分、長男か次男かが、学生時代に使っていたものに違いない、小町谷照彦著 文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が有る。パラパラとページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、決して、「今更 向学心?」なーんてものではなく、子供の頃、作者や歌意も分からないまま、「けふ、けふ、けふ・・」「なほ、なほ、なほ・・・」等と、正月になると必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなってしまったからで、今更になって、「へー!、そういう歌だったのか・・」、目から鱗・・、になっているところだ。
「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がしてくる。
ブログネタに?、頭の体操に?、いいかも知れない等と思い込んでしまい、数年前から、「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌を取り上げて、ブログ・カテゴリー「懐かしい小倉百人一首」に書き留めてきたが、そのいずれの区分にも属さないとされる歌も沢山有り、引き続き、順不同、ボツボツ、書き留めてみることにした。
百人一首で、
「春」「夏」「秋」「冬」「恋」を詠んだ歌以外の歌
その15
ながらへば またこのごろや しのばれむ
憂しと見し世ぞ 今は恋しき
出典
新古今集(巻十八)
歌番号
84
作者
藤原清輔朝臣
歌意
もしこの先、生きながらえているならば
つらいことの多いこの頃(現在)のことも、
また懐かしく思い出されることであろうか。
かって、つらいと思った頃のことも、
今では、恋しく思われるのだから。
注釈
「ながらへば」=「これから先も生きながらえていれば」の意。
「ば」は、仮定条件を表す接続助詞。
「たつみ」=辰巳、東南の方角。
「またこのごろや」の「このごろ」は、現在のこと。
「しのばれむ」=「なつかしく思い出す」の意。
「憂し」は、「つらい」「苦しい」の意。
藤原清輔朝臣(ふじわらのきよすけあそん)
左京大夫藤原顕輔(ふじわらのあきすけ)の子。
太皇太后宮大進・正四位まで昇進。
勅撰集等の解説、歌評等を試み、
歌人というより、歌学者として、才を発揮した。
川柳
ながらへば又この頃はふぐを食ふ
(ふぐの毒に当たらないで生きながらえ、またふぐを食っている)
順ぐりに昔のことを恋しがり
(過ぎ去った昔のことは、誰しも懐かしく思うものさ)
参照・引用
小町谷照彦著「小倉百人一首」(文英堂)
(つづく)