たけじいの気まぐれブログ

記憶力減退爺さんの日記風備忘雑記録&フォト

古い写真から蘇る思い出の山旅・その79

2025年02月02日 14時32分54秒 | 山歩記

gooブログの「アクセス解析」の「アクセスされたページ」欄を、時々覗くことがあるが、随分前に書き込んだ古い記事で、すっかり忘れてしまっているような記事に、アクセスが有ったりする。「エッ?」と驚くと同時に、「そう言えば・・・・」、記憶が蘇り、つい、自分もクリックし、改めて読み返してみたりすることがある。
先日、数年前に、ブログ・カテゴリー「山歩記」に書き留めていた記事、「5月の鍋割山・塔ノ岳」にアクセスが有ったことに気が付き、「おお!、懐かしい!」・・、
早速、コピペ、リメイクすることにした。
そんな古い記事を、クリックひとつで引っ張り出して読んだり、加筆、訂正、修正、コピペ、リメイク等が出来るのも、ブログのメリット。従来の紙ベースの日記、日誌、備忘録、懐古録、雑記録の類では、絶対考えられないことであり、ブログを始める前までは、想像も出来なかったことである。今、出来ることは、やってみる・・、長生きした分、その時代を少しでも享受したいものだ等と、つぶやきながら・・・。


古い写真から蘇る思い出の山旅・その79
「2回目の鍋割山・塔ノ岳」(再)


かれこれ24年前、2001年5月に、妻と二人で、丹沢山塊の「鍋割山・塔ノ岳」を訪れたことが有った。その数年前にも、当時一時所属していた山の会の仲間と、1度、同じコースを歩いたことが有り、2回目であったが、「冬」だったこともあり、趣は、まるで違っていた気がする。
当時はまだ、バカチョンカメラ(ポケット型フィルムカメラ)しか持っていない頃で、拙劣な写真ばかりだが、数枚、プリントし、アルバムに貼ってあり、ブログを始めたばかりの頃に、スキャナーで取り込み、一度、ブログに書き込んだものだが、その写真が外付けHDに保管してあり、久し振り引っ張り改めて、「古い写真から蘇る思い出の山旅」に、書き加えることにした。
昔のことを懐かしがるのは、老人の最も老人たるところだと自嘲しながら・・・。


山行コース・歩程等

大倉駐車場→西谷出合→(西谷林道)→二俣(勘七ノ沢)→後沢乗越→一ノ萱→二ノ萱→鍋割山山頂・鍋割山荘→小丸→大丸→金冷シノ頭→塔ノ岳山頂→金冷シノ頭→花立→(大倉尾根)→小草平→駒止茶屋→見晴茶屋→大倉登山口→大倉駐車場 
(標準歩行所要時間=約6時間30分)

(昭文社の「山と高原地図」から拝借)


当時はまだ、年中無休のような自営業をしていた頃だったが、「たまには、気晴らしに・・」、「今日しか無い・・」、等と思い立ち、天候もイマイチで、ゴールデンウイーク終盤の車の渋滞も気になったが、急遽、出掛けたような気がする。

毎度のこと、早朝に自宅を出発、
当時はまだ、園央道も無く、一般道を走り、
登山口の「大倉駐車場」に着いたのは、7時頃だったようだ。
公営の駐車場の利用時間が、8時30分~19時となっていてゲートが閉っており、
向い側の民間駐車場に駐車。
さすがに人気の丹沢、早立ちするハイカーの車が続々到着、8時頃には、満車必至。
早い時間の到着、正解だった気がする。
7時30分頃、「大倉駐車場」を出発、
静かな、たんたんとした「西谷林道」を歩き、「県民の森入口」に至ると、
そこでも、路上駐車がいっぱい。
「二俣」から、「本沢」、「ミズヒノ沢」へと進む内、
大勢のハイカーが前後するようになり・・・・、

登り詰めた尾根上、「後沢乗越」で小休憩、
西側が切り立った尾根上で爽快だったが、濃い霧に覆われて展望は叶わず、

11時頃、「鍋割山山頂(標高1,272.5m)」に到着、
晴れていれば 大展望が楽しめるところ、残念ながら 濃い霧に覆われていました。
鍋割山荘前の広場には大勢のハイカーが 休憩中。
ここで早目の昼食としたが、広場は、鹿の糞だらけ、
要注意・・だった気がする。

鍋割山山頂からは 気持ちの良い尾根歩き、
「小丸(標高1,341m)」、「大丸(標高1,386m)」、
「金冷シノ頭」から急な階段を登り、塔ノ岳に向かった。

13時頃、「塔ノ岳山頂(標高1,490.9m)」に到着、

 

山頂の広場は、濃い霧に覆われていて、視界は、5~6m程度、
「尊仏山荘」も見え隠れ、お目当て、大展望は、叶わず。
大勢のハイカーで溢れており、長居無用と決め、下山開始。

晴れていれば、奥秩父から南アルプスまで、見渡せる山頂なのだが・・・。

塔ノ岳山頂からは、急な階段の往路を下り、
13時20分頃には、「金冷シノ頭」に戻ったようだ。
「金冷シノ頭」から、「花立」、「小草平」、「駒止茶屋」、「一本松」、「見晴茶屋」
「観音茶屋」、「大倉」までは、バカオネ(馬鹿尾根)等とも呼ばれる、
長い長い「大倉尾根」の下り、
最後には、膝が笑い出し、ヘトヘトになって 
15時頃に、「大倉駐車場」に戻り着いたのだった。
直ぐ、帰途についたが、ゴールデンウイーックの終盤とあって、
行楽地からの帰りの車、帰省のUターンの車の大渋滞に巻き込まれてしまい、
予定より2時間以上も遅れて、深夜帰着したような気がする。
当時はまだ。「また来る時には、笑っておくれ・・・♫」的な気持ちだったと思うが、その後、訪れる機会は無く、足、腰、痛!、痛!となった今となっては、「鍋割山・塔ノ岳」もまた、近くて遠い思い出の山となってしまった。


振り返り記事
「初めての鍋割山・塔ノ岳」
👇️
こちら



 

 


コメント (2)    この記事についてブログを書く
« 2月1日、今日も穏やかな冬... | トップ |   

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お若い・・・ (アナザン・スター)
2025-02-02 14:52:57
年齢が定かではありませんが、30代でしょうか?
山育ちなので、登るという感覚はなく、駆けていました。
ですので平地は苦手です。
羚羊の如く、悪戯ばかりしてました。

昨日・今日、陽射しのない雨と曇りです。
いつも訪問・応援を有難うございます。
返信する
アナザン・スターさん、こんばんは、 (takezii)
2025-02-02 18:15:22
>お若い・・・... への返信、

30代?、とんでもありません。
夫婦とも、50代でした。
20数年にはまだ山歩きが、出来たんだと、つくづく思ってしまいます。
返信する

コメントを投稿

山歩記」カテゴリの最新記事