「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のことだ。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が全く無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると、すっかり喪失してしまっていた記憶が、断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。
その50 「村祭りと旅回り大衆演劇見物」
昭和32年(1957年)4月15日 月曜日、天気 晴、
神社祭り
朝礼のみで放課、
朝そうじ(掃除)
朝礼
帰家(宅) 10時頃、
昼前(午前中)は、オケヤの前で雑談、
昼後(午後)1時頃、(隣り)町へ出かけた。
バンド(ベルト)125円、バックル 80円、
帰家(宅) 3時半頃
晩(夜)、7時半より、(旅回り大衆演劇)神宮寺正一座の芝居あり、
見に行った。神宮寺正、神宮寺晃、神宮寺伸、南静江など、
帰家(宅) (夜中の)12時頃
当時、毎年、そろそろ農繁期に入ろうかという4月15日に村祭りが有った。記憶曖昧だが、村落の中心に有った小さな神社境内には、数店の露店が並び、祭りの雰囲気を作っていたものの、大勢の人で賑わうような祭りではなく、村落中が一斉に野良仕事の休みをとり、特別料理で客人をもてなすことが主のような祭りだったような気がする。祭りの日は、小学校、中学校も、朝礼だけで終わり、授業は無しだったことが分かる。
M男は、家に帰ってから、早速、近所の従兄弟T男の家に遊びに行ったようだ。「オケヤ」は屋号で、父親の生家(M男の家の本家筋)。従兄弟のT男は、同い年で同級生、まるで双子のごとくに、いつもつるんでいた。
子供達にとっても、村祭りという寛いだ気分が有り、午後、隣り町へ出掛ける打ち合わせや、夜は、旅回り大衆演劇見物に出掛ける相談等をしたのだろう。
昼食後、多分、その従兄弟のT男と二人、自転車で片道40~50分の隣り町に出掛けたのだと思う。
バンド(ベルトのこと)とバックルを買ってくることが目的だったようで、205円の出費?。
15時半頃には、家に戻り、夜は、その日、催された旅回り大衆演劇見物に出掛けたようだ。娯楽等皆無の当時の山村、毎年だったのかどうか記憶曖昧だが、お祭り開催に合わせて、旅回り大衆演劇一座がやってきていた。隣り近所連れ立って、村中総出で押し掛けたはずで、多分、M男の家でも、祖父だけが留守番で、M男も、祖母、父母、弟といっしょに出掛けたのだと思う。なんと、会場は、小中学校の講堂(体育館・運動場)だったのだ。派手派手な舞台、大音響、大人達のための催しであり、演目もなにもかも記憶にはなく、子供にとって面白かったのかどうかも分からないが、神宮寺一座(じんぐうじいちざ)という響きだけが記憶に残っている。車社会以前の時代、終演後、小さい子供は背中に負われ、深夜、懐中電灯で足元を照らしながら 外灯等ほとんど無い田んぼ道を ぞろぞろと歩いて帰った記憶が蘇ってくる。M男の家は 村落の中心から一番遠い集落にあり、帰り着いたのが深夜の12時頃と書いてある。
懐かしい 昭和20年代、30年代の農村の祭り風景
相互フォロワー登録している「気ままぶらぶら」たなのぶ様のパソコン画。
ご本人のご了解を得て拝借している。