昨年、書棚に詰め込まれていた古い書籍、辞書等を大胆に整理処分したことが有ったが、その際に、多分、長男か次男かが学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が目に止まった。パラパラと ページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなり、「今更、向学心?」なーんてものではなく、ブログネタに?、頭の体操に?等と思い込んでしまい、処分せず、以後座右の書にしてしまっている。「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がする。
今年も残すところ1ケ月、師走に入り、初冬から本格的な冬を迎える。「小倉百人一首」で、季節を詠んだ歌の中では 「冬」を詠んだ歌は非常に少なく、一般的には、6首のみとされているようだ。「雪」や「霜」、「白」等という文字が含まれている歌が多く、「冬」の印象的な風景が詠まれているという。今回、「冬」を詠んだ歌を取り上げてみることにした。
(ネットから拝借無料画像)
百人一首で「冬」を詠んだ歌 その2
田子の浦に うち出でて見れば 白妙の
富士の高嶺に 雪は降りつつ
出典
新古今集(巻六)
歌番号
4
作者
山部赤人(やまべのあかひと)
歌意
田子の浦に出て見渡すと真っ白な富士の高い嶺に
今雪が降り続いていることだ
補足・注釈
「万葉集」の中にある原歌は
「田子の浦ゆ うち出て見れば
真白にぞ ふじの高嶺に雪は降りける」
「田子の浦」
現在は静岡県富士市に有るが
古代は 今の蒲原、由比のあたりをさしたらしい。
「白妙の」
白い色の意。富士の高嶺の雪にかかる枕詞とする説もある。
「つつ」
反復、継続を表す接続助詞だが この歌では 想像を表している。
新古今時代、実際には見えない富士山頂の光景を
想像する世界の美しさを表現する新古今風に改作されたもの。
山部赤人
奈良時代(聖武天皇時代)「万葉集」の中で叙景歌人として活躍、
後世、柿本人麻呂と共に「歌聖」等呼ばれ、賛美された。
古今集の序文で 紀貫之は
「人丸は赤人が上に立たむ事難く、
赤人は人丸が下に立たむこと難くなむありける」
と評価している。
三十六歌仙の一人。
子供の頃、毎年正月になると 家族で百人一首カルタ取りをしていたものだが 繰り返し遊んでいる内に 意味も分からないまま、いくつかの歌をなんとなく覚えてしまった。中でも 一番早く覚え、しかも最も得意札にしていた歌が 「田子の浦・・・」だったと思う。これを 誰かに取られるとがっかりして、いっぺんに戦意が落ちてしまう子供だったような気がする。
私、以前、間違えて覚えたのかしら??と、いくつかで想ったことがあるのです(;^_^A
でも、やはり万葉集とは、古今集、新古今集あたりで少し歌のとらえ方が変化しているのですよね。
そのあたりをと…読み始めてはいるのですが・・ススミマセン。
遊んでないでお掃除しなきゃ(;^_^A
下の句カルタで3人一チームで対戦します。
子供や孫たちにも教えて 今では孫にはとても
勝つ事が出来ません・・でもコロナ禍で孫たちは
一人も遊びに来てくれません。
老妻と二人だけの淋しいお正月になります・・
コメントいただき有難うございます。
木製のカルタとは すごいですね。迫力を感じます。
コメントいただき有難うございます。
「正月も帰って来いと言えぬ親」
もしよろしければ、参考とされた本を教えて頂ければ、と思います。私も読んでみようと思います。
拙句
晴れた日は富士をながめてふりにけり
分厚い解説書ではなくて、どうも長男か次男かの中学?高校?あたりの参考書?だったようで 簡略、平易、私等 素養の無い人間でもわかりやすいレベルの本なんです。
小町谷照彦著、文英堂、小倉百人一首 1993年刷版、
昨年古い本類を大量廃棄処分した際、目に止まり 捨て切れず、私の座右の書にしている次第なんです。
興ざめのコメント申し訳ありません。
青葉太郎さん、川柳ブログの合間に 山の話題ブログも、拝見したいものです。
コメントいただき有難うございます。