足腰大丈夫な内に出来る限り、不要雑物処分・身辺片付け整理をしよう等と思い込んでからすでに久しいが、正直なかなか進んでいない。それでもここ2~3年には、押し入れや天袋、物置、書棚等に詰まっていた古い書籍類をかなり大胆に処分してきた。ただ、中には「これ、面白そう・・」等と目が止まり、残してしまった書籍もまだまだ結構有る。その中に 漫画家赤塚不二夫著、元東京学芸大学附属高等学校教諭石井秀夫指導の古典入門まんがゼミナール「枕草子」(学研)が有る。多分、長男か次男かが、受験勉強中に使っていた「枕草子」の解説本・参考書の一つのようだが、錆びついた老脳でもなんとか読めそうな、まんがで描いたくだけた内容、その内いつか目を通してみよう等と仕舞い込んでいたものだ。ながびく新型コロナ禍、不要不急の外出自粛中、ふっと思い出して、やおら引っ張りだしてみた。当然のこと、本格的な「枕草子」解説本、参考書とは異なり、限られたサワリの部分に絞ったものであるが、学生時代に多かれ少なかれ齧っていたはずの日本の代表的な古典、清少納言の「枕草子」も、ほとんど覚えていないし、「古典」に疎く、苦手な人間には、十分楽しめそうで、御の字の書である。(以上 過去記事コピペ文)
「船の旅はあれこれおます」・まんがゼミナール「枕草子」その6
第306段 「思へば、船に乗りてありく人ばかり」
清少納言が少女時代に、父親に伴われて瀬戸内海を航行した体験に基づいた随想であろうと思われる段。穏やかだっ海が一転して荒れ狂う時の航海の恐ろしさが、心の奥底に焼き付いていたのかも知れない。船乗り達が平気で小舟を乗り回す様子に驚き、海女を海中に潜らせ、船を操っているだけの男の様子に注目し、同情したり憤慨する等、実態を知らない都の貴人清少納言ならではの随想になっている。
若い女や、櫓というものを押す若々しい男が歌う様は
とても楽しげでおます・・・。
せやけど、風がにわかに吹いて、海の状態が悪うなって、
恐ろしゅうて、失神やワ。
大波が船を襲う様、その変わりようは恐いどす。
わあー、船端一杯に立って櫓をこぐなんて!
ワテ、目がくらむ!、
(ワーッハッハ。何のこれしき。へのカッパ)
(ワイはプロやでエ)
都住まいの高貴な方々には、お勧めでけん船旅ではおます。
とはいえ、港の夜の船のともしび、船の漁り火、
まことに良いながめでおすエ。
そしてまた、許せへんものを見たのも海を旅したときでおます。
あの男、のんきに鼻歌などうとうて、何しとるんやろ?
(おっ!)
急にあわてふためいてどないしたおます・・・・。
(シュッ!シュッ!、ピューッ!、セイ ゼイ、セイ ゼイ、)
わあ!、あれがうわさに聞く海女でおますな!、
(そうれ、もいいっちょ、いてこませ)
まあっ!、海へ落とし入れとるやないのっ!、
自分だけはのんきに船の上におって!
あきれた情け知らずの男やっ!
原文だよーん
思へば、船に乗りてありく人ばかり、あさましうゆゆしきものこそなけれ。
よろしき深さなどにてだに、さるはかなきものに乗りて
漕ぎ出づべきにもあらぬや。
まいて、底ひも知らず、千尋(ちひろ)などあらむよ。
ものいと多く積み入れたれば、水際はただ一尺ばかりだになきに、
下衆(げす)どもの、いささか恐ろしとも思はで走りありき、
つゆあしうもせば沈みやせむと思ふを、
大きな松の木などの、二、三尺にてまろなる、五つ、六つ、
ほうほうと投げ入れなどするこそいみじけれ。
(中略)
海はなほいとゆゆしと思ふに、まいて海女のかづきしに入るは憂きわざなり。
腰に着(つ)きたる緒の絶えもしなば、いかにせむとならむ。
男だにせましかば、さてもありぬべきを、女はなほおぼろげの心ならじ。
船に男は乗りて、歌などうちうたひて、
この拷縄(たくなは)を海に浮けてありく、
危くうしろめたくはあらぬにやあらむ。
上らむとて、その縄をなむ引くとか。
惑ひ繰り入るるさまぞことわりなるや。
船の端をおさへて放ちたる息などこそ、まことに、
ただ見る人だにしほたるるに、落し入れて漂ひありく男は、
目もあやにあさましかし。
(注釈)
考えてみると、船に乗って海を漕ぎ回る人ぐらい、ひどく恐ろしいものはない。
いい加減な深さなどであってさえ、あんなに頼りないものに乗って漕ぎ出せそうにないことだよ。
まして底の果ても分からず、千尋などもあるだろうに、船に物をとても沢山積み入れてあるので、
水際はただ一尺ぐらいさえもないのに、船人足の下衆男達が、少しも恐ろしいとも思わぬ風に走り回り、ちょっとでも下手に取り扱ったら沈んでしまうだろうと思うに、大きな松の木などで、二、三尺の長さで丸いのを 五つ六つ、ぽんぽんと船の中に投げ入れなどしているのがひどく恐ろしい。
(中略)
海はなんといっても恐ろしいと思うのに、まして海女が海中にもぐりに入って行くのは気のふさぐ仕業だ。腰についている綱が切れでもしたら、どうしようというのだろう。せめて男がそれをするのならそれでよかろうが、女はやはり並一通りの心ではあるまい。船に男が乗って、歌などを歌ったりして、この拷縄を海に浮かべて漕ぎ回っているが、危険で不安ではないのだろうか。海女が海面に上がろうとして、その縄を引くとかいうことだ。男はあわててたぐり入れる様子こそ、もっともなことだ。海女が船端を押さえて、はいている息などこそは、本当に、ただ見物している人でさえ涙をもよおすのに、それを海中に落とし込んで、海上を漕ぎ回っている男は、見る目もくらむくらいあきれた仕業だよ。