「中学生日記より」
「gooブログ」に引っ越してくる前、「OCNブログ人」時代に 一度書き込んだことの有る「中学生日記より」を 改めてリメイクしてみようと思っているところだ。「中学生日記」とは 中学生だった頃のM男が ほんの一時期付けていた日記帳のことで 数年前に実家を解体する際に発見した、ボロボロのゴミ同然の日記帳のこと。土産物の小綺麗な空き箱や包装紙、冠婚葬祭ののし袋に至るまで 廃棄処分するという感覚が無かった父母が、子供達の教科書やノート、通信簿、図画工作作品等も押し入れの奥に詰め込んでいたもので、その中に有った。まさに「タイムカプセル」を開けるが如くの感じで、ページを捲ってみると すっかり喪失してしまっていた記憶が 断片的に炙り出されてくる。まさか 60数年後に、ブログで第三者の目に晒される等とは 当時のM男は想像もしていなかったはずで 下手な文章、下手な文字、誤字脱字多しの日記である。(コピペ文、再読無用)
その25「村祭り」
昭和30年9月9日(金)、天気 雨、
起床 6時、就床 9時30分
朝礼
白組 すずわり(鈴割り)の用意
1、村祭り、沢口3人、ながや1人、よばれてきた(招かれてやってきた)。
ながや とまった(泊まった)。
お宮(神社)には いかなかった(行かなかった)。
帰家(宅) 11時半、
前日の放課後、M男達中学生は 「9月9日の祭り」と呼んでいた「村祭り」の準備のため、学校の近くの村の鎮守、小さな神社の掃除に駆り出されたようだが、村祭り当日は、あいにく雨になってしまったようだ。娯楽等何も無かった時代の北陸の山村のこと、「村祭り」は、大人も子供も特別な日であり、每年、学校も半ば休みと決まっていて、その日も朝礼だけで終わったようだ。M男達は、午前中、運動会の準備、「鈴割り競技」の「鈴」作りをしたと書いて有る。記憶曖昧だが、生徒の誰かが家から調達してきた大きな2個のザル(笊)の表面に紙を貼り付け、色付けした後、2個を合わせ、ボールが当たると割れる程度に紙紐で止める、割れると紙吹雪になるように中に色紙を細かく切って詰める、・・・というようなものだった気がする。一般的に「くすだま」と言われるようなものだったと思う。
11時半には 帰宅と 書いてある。
毎年 鎮守の森の神社参道には、何店かの露店も出て賑わうが、雨でもあり、徒歩で30分以上かかる集落のM男は神社には行かなかったようだ。もともと、あまり「お祭り騒ぎ」が好きな方では無かったと思う。
昼頃だろうか、父親の勤務先の印刷店「沢口」の家族と「ながや」と屋号で呼ばれていた隣り町の親戚が、多分バスかなにかでやってきたようだ。当時、村祭り等には、極く親しい人を招待したりされたりする、人の付き合いの習慣がまだ有った。昼間から特別設えた座敷の宴席で宴会が始まったのだと思う。まだまだ、暮らしは貧しく余裕等無かった時代だったが、お祭り等には、普段なかなか食することの無かった刺身や肉料理、魚料理等が豪勢に並び、子供達にとっても楽しいものであったが、所詮大人の付き合いの場、客人にやたら褒められたりお世辞を言われるのが苦手なM男は、早々に退席していたように思う。酔いつぶれたか?、高齢だった親戚は、父母祖父母に強引に?宿泊をすすめられ、翌日に帰ったようだ。
童謡「村祭り」 安田祥子 (YouTubeから共有)