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山里は 冬ぞさびしさ まさりける 人目も草も かれぬと思へば

2020年12月12日 13時12分37秒 | 懐かしい小倉百人一首

昨年、書棚に詰め込まれていた古い書籍、辞書等を大胆に整理処分したことが有ったが、その際に、多分、長男か次男かが学生時代に使っていたものに違いない、文英堂の「小倉百人一首」(解説本・参考書)が目に止まった。パラパラと ページを捲ってみたところ、なかなか詳しく、分かりやすく、子供の頃、正月になると、必ず家族でやっていた「百人一首かるた取り」を思い出して懐かしくなり、「今更、向学心?」なーんてものではなく、ブログネタに?、頭の体操に?等と思い込んでしまい、処分せず、以後座右の書にしてしまっている。「小倉百人一首」は、奈良時代から鎌倉時代初期までの百人の歌人の歌を、藤原定家の美意識により選び抜かれた秀歌であるが、時代が変わっても、日本人の心情が呼び起こされるような気がする。
今年も残すところ1ケ月、師走に入り、初冬から本格的な冬を迎える。「小倉百人一首」で、季節を詠んだ歌の中では 「冬」を詠んだ歌は非常に少なく、一般的には、6首のみとされているようだ。「雪」や「霜」、「白」等という文字が含まれている歌が多く、「冬」の印象的な風景が詠まれているという。今回、「冬」を詠んだ歌を取り上げてみることにした。


百人一首で「冬」を詠んだ歌 その3

山里は 冬ぞさびしさ まさりける
人目も草も かれぬと思へば

出典
古今集(巻六)

歌番号
28

作者
源宗于朝臣(みなもとのむねゆきあそん)

歌意
山里は いつも寂しいが 冬にはその寂しさが
いっそうまさって身にしみてくることよ。
たまに訪れてきた人たちも 
ぱったりと姿を見せなくなってしまい
草も枯れてしまうと 思うと。

注釈・補足
「山里は」の「は」は 他と区別し強調する係助詞、
(都や人里と違って)山里は・・・の意になる。
「山里」という歌語は 
孤独、寂しさ、愁い等の気分を表すのに
用いられている。
「人目」は 山を訪れる人の目。
「かれぬ」は 「枯れる」と「離れる」との掛詞。
人の訪問が途絶え、草木も枯れるという
情景を表現している。
掛詞、縁語、倒置法を使って見事に表現した歌。

古今集の詞書に「冬の歌とてよめる」とある。

源宗于朝臣
光孝天皇の孫に当たるが 官職に恵まれず 
宇多天皇に自分の不遇を訴える歌を献上した話が
「大和物語」に記されている。
三十六歌仙の一人。


参照・引用
小町谷照彦著 解説本「小倉百人一首」(文英堂)


 

 

 


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