部品ではなく、人間
* * * * * * * * * * * *
カンヌ映画祭グランプリ、アカデミー外国語映画賞受賞という実力派作品。
アウシュビッツ解放70周年を記念して制作されたという本作、重いです。
ユダヤ人の強制収容所で、死体処理に従事するユダヤ人、サウル(ルーリブ・ゲーザ)。
このように、同胞の死体処理を行う特殊部隊は「ゾンダーコマンド」と呼ばれ、
数ヶ月仕事をした後、人員を入れ替え(すなわち前任は処刑)していたようなのです・・・。
そんな中の一員サウルは、ある日、ガス室で辛くも生き残った少年を見ます。
しかし少年はその場ですぐ処刑されてしまいました。
でもサウルはその少年を自分の息子だと言い、なんとか手厚く葬ろうと奔走するのです・・・。
本作、カメラはほとんどサウルの顔だけをとらえていて、
その背景は焦点が合わずぼんやりしています。
音は遠い音もはっきり聞こえてくる。
冒頭、連行されてきたユダヤ人たちが「シャワーを浴びるから・・・」と言われ、
ぞろぞろと歩くシーンでも、
人々の諦めたようなつぶやきや、ドイツ兵のかけ声のようなものがつぶさに聞こえてきます。
サウルはこの人たちの運命をもちろん知ってはいるのですが、
ひたすら無表情で黙って付き添うように歩いて行きます。
そんな時も、人々の姿はひたすらぼんやり。
つまりカメラはほとんどサウルの視点と同じ。
画面に出てくることはすべてサウル自身が体験することで、
情報も、彼が知りうることだけ。
ガス室の中の阿鼻叫喚は映し出されず、でもその断末魔の声が忌まわしく響きます。
さて、ゾンダーコマンドたちはユダヤ人の死体を「部品」と呼びます。
それを「人」だと見なすと仕事ができない・・・。
あえて、「モノ」扱いすることでかろうじて正気を保っている。
そのサウルが、たった一人「生きて」いた少年を見たとき、
彼だけは「部品」にしたくないと思ったのでしょう。
おそらくそれは彼の本当の息子ではない。
(真偽は作中でも語られません)。
けれども、モノではなくて、正当な愛を注ぐべき身内とみなし、
ユダヤ人として当然の弔いをすることで、
彼自身が救われるように思ったのかもしれません。
それはもう、妄執と呼ぶべきモノなのですが・・・。
彼はまず解剖されそうな少年の遺体を盗み出し、
コマンドかあるいは収容者の中から「ラビ」を探し出そうとします。
少しでも怪しい動きがあれば即処刑されるに違いない場所・・・。
全くハラハラさせられます。
そしてまたちょうどその時、ゾンダーコマンドたちの中で脱走を試みようとする者たちがいて、
なぜかサウルも無理矢理仲間に引き入れられてしまう。
目を背けたくなるような重いテーマながらも、
こうしたドキドキハラハラ感もあって、なかなか侮れない作品なのです。
でもやはり、お気楽なラストにはなり得ないモノでしたが・・・。
<Amazonプライムビデオにて>
「サウルの息子」
2015年/ハンガリー/107分
監督:ネメシュ・ラースロー
出演:ルーリブ・ゲーザ、モルナール・レベンテ、ユルス・レチン、トッド・シャルモン
アウシュビッツ追悼度★★★★★
満足度★★★★★
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます