映画と本の『たんぽぽ館』

映画と本を味わう『たんぽぽ館』。新旧ジャンルを問わず。さて、今日は何をいただきましょうか? 

「きことわ」朝吹真理子

2014年06月02日 | 本(その他)
二人が融け合って行く意味

きことわ (新潮文庫)
朝吹 真理子
新潮社


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貴子(きこ)と永遠子(とわこ)。
葉山の別荘で、同じ時間を過ごしたふたりの少女。
最後に会ったのは、夏だった……。
25年後、別荘の解体をきっかけに、ふたりは再会する。
ときにかみ合い、ときに食い違う、思い出。
境がゆらぐ現在、過去、夢。
記憶は縺れ、時間は混ざり、言葉は解けていく――。
やわらかな文章で紡がれる、曖昧で、しかし強かな世界のかたち。
小説の愉悦に満ちた、芥川賞受賞作。


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芥川賞受賞作。
本のボリュームはさほどなく、特に難解な言葉が使われているわけでもない。
むしろかな文字が多用されている。
・・・されど、さすが芥川賞作品。
文学ですね、これ。
私には歯が立ち難い・・・。
本の帯にもあるのですが「読むことの愉悦に満ちた、小説の奇蹟」
・・・うーん、そんな心境に達することはできませんでした。


25年の時を経て再開した二人。
現在と25年前の『記憶』が交互に語られていきますが、
ここで語られる過去は、あくまでも二人の心の中から呼び起こしたもの。
確かにその時「現実」はあった。
けれども人にとっての「過去」は、
その過ぎ去った現実の事象ではなくて、
あくまでも現在の「思い」であるのでしょう。
そういう意味で、「過去」は夢にも似ている。
過去も夢も混ざり合い混沌としてゆく
・・・その辺りはまあなんとなく納得できます。


でも私の中でうまく咀嚼できないのは、この2人の一体化のようなところ。
25年前貴子は8歳、永遠子は15歳、
と、結構年が離れています。
じゃれあうには離れすぎ?のような気がしますが、
15歳ならまだ無邪気なところもありますかね。
この二人は仲が良くて、よくくっつき合うので髪や手足がこんぐらかって、
どちらがどちらのものか分からなくなってしまうほど。
でもそれは全く性愛のイメージはありません。
そもそも本作の題名も「きことわ」と、二人の合体ですし。


でもこの一体化の意味するところがよくわかりません。
まさか「かことわ(過去永遠)」のもじりじゃないですよね?


それから作品中、二人がそれぞれに突然
"髪を掴んでぎゅっと後ろに惹かれるような"感覚を味わいます。
これの意味するところも分からない。
後ろ髪を引かれる・・・ということなのでしょうか。
25年前、貴子の母親がまだ生きていて、二人はまだ子どもで、
「守られる」存在だった。
そんな温かな過去の名残を留めるこその家を処分することに、
後ろ髪を引かれている二人・・・
そういうことなのかなあ・・・。


読書に答えなんか必要ない。
確かにその通り。
でもやっぱりストンと納得してみたかった。
そういう本であります。


「きことわ」朝吹真理子 新潮文庫
満足度★★★☆☆



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