歴歩

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鳥取市・青谷上寺地遺跡 弥生時代の盾から緑土 アジア最古の使用例

2008年09月03日 | Weblog
 県埋蔵文化センターは3日、鳥取市青谷町の「青谷上寺地遺跡」で見つかった弥生時代後期(1-3世紀)の木製の盾に塗られていた緑色の顔料の「緑土」が、東アジアでは最古の使用例だったことが分かったことを発表した。
 これまで朱の赤や漆の黒の2色とされてきたが、緑が加わったことで大陸の顔料が伝来する以前の日本独自の色彩を知る貴重な史料となりそうだ。
 同遺跡中心部西側と水田跡を区切る溝から、1998年度の発掘調査で盾(モミの木製)が2枚出土。発掘当初から緑色の顔料を施していることが分かっていた。1枚は長さ約88cm、幅8.5cm、厚さ1.1cmで、もう1枚は長さ40cm、幅約10.4cm、厚さ1cm。
 緑色顔料は、松江市東津田町の石屋古墳で出土した埴輪の盾に塗られたり、熊本市の千金甲一号墳など装飾古墳の壁に描かれた幾何学模様に使われているが、いずれも五世紀後半。
 宮内庁正倉院事務所成瀬課長が2月、同センターを訪れ盾片を見たのが分析のきっかけ。表面に残る顔料はくすんで黒っぽくなっていたが、独特の細かい粒子が残っていたことから緑土の可能性が高いと判断、元素の種類や量を調べる蛍光X線分析など3種類の方法で確認した。
 同遺跡では23点の盾や破片が見つかり、うち18点が彩色されていた。赤一色が13点と最も多く、赤と黒の2色が3点。緑土が使われていたのは残る2点で、うち1点は2002年に確認されていた。1例だけだと偶然も考えられるが、今回、2例目が見つかったことで、緑もある程度は使われていたことが確実になったと強調する。
 緑土は鉄分を含んでおり、朝鮮半島の高句麗に築造された徳興里古墳(平壌、408年)の壁画にも使われている。国内では5~6世紀の装飾古墳壁画に使用されていた。
 センターによると、同時期に中国の後漢では銅の錆で、より鮮やかな緑青を緑色顔料として使用していた。極彩色壁画で知られる高松塚古墳(奈良県、700年前後)、法隆寺金堂壁画(同、7世紀末頃)にも緑青が用いられており、6世紀前半の仏教伝来の際、日本にもたらされたらしい。
 平成20年9月13日(土)午後1時30分から、鳥取市青谷町総合支所多目的ホールにおいて「青谷上寺地から正倉院まで わが国における顔料の歴史」と題した講演を行う予定。 講師は今回分析を行った宮内庁正倉院事務所成瀬正和氏。
[参考:共同通信、中国新聞、日本海新聞、読売新聞、鳥取県埋蔵文化財センター」
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エルビス・プレスリー・ファンのひとり言 1

2008年09月03日 | Weblog
 何回か続けて、エルビス・プレスリーのことについて書いてみようと思う。
 EPFC(エルビス・プレスリー・ファンクラブ)の赤沢会長が昨年61歳で急逝され、大変なことになっているらしい。EPFCJ(エルビス・プレスリー・ファンクラブ・オブ・ジャパン)の再興を祈りつつ。
 プレスリーのファンになったのは、中学校3年の終り頃。いとこの家で、映画雑誌で「アカプルコの海」のプレスリーを見たのがきっかけであった。プレスリーの映画を初めて観たのが、昭和39年5月3日新宿武蔵野館であった。その時は2本立てで同時上映は、「わんぱく旋風」であった。その後、プレスリーの映画を上映している映画館を探してはよく行ったものである。特に自由が丘劇場は、しばしば3本立てで上映をしていた。一日にプレスリーの映画を3本以上観たり、あるいは同じ映画を何回も観るのはごく当たり前の年頃であった。
 おそらく、EPFCJの会員になったのは翌年昭和40年1月のようだ。その年の会報ELVIS JAN.’65が残っている。昭和42年まで会員になっていた。といっても、途中ブランク(会費を払っていない期間)があったりして、会報ELVIS NOV.DEC.’65 を見ると、住所不明者リストが出ていて、私の名前が載っている。よく見ると、住所の1字が欠字になっていて、郵便物が届かなかったようだ。さらに、面白いことに、同じ頁に元宮城県知事の浅野史郎さんの名前も一緒に載っていた。

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エルビス、エルヴィス
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三鷹市天文台構内古墳 発掘見学会

2008年09月03日 | Weblog
 三鷹市教育委員会より、表題開催のお知らせが出ています。

 国立天文台の敷地内にある「天文台構内古墳」は、7世紀に造られたと推定されるもので、全国的にもたいへん珍しい「上円下方墳」です。市では8月18日(月)からこの古墳の石室内部の本格的な調査に入りますが、あわせて一般見学会を開催します。
◆日時 9月6日(土)・7日(日)(各日2回開催)
     [1]午前10時~11時30分  [2]午後1時30分~3時
◆所在地 大沢2-21 国立天文台構内(正門から入場してください)
主催:三鷹市教育委員会・三鷹市遺跡調査会
教育委員会生涯学習課 ℡0422-45-1151 内線3315
[参考:三鷹市HPより]

1970年 初調査を行う。
 縦横27~28mの方墳に径18mの円墳が乗った形状の古墳。高さ2.2m。
2007年 上円下方墳(国内4例目)として確認される。
 7世紀に築造。玄室と石室が3つある、全長6.9mの切石を用いた複式胴張り構造の横穴式石室を持つ。
 西7.5kmには、03年に発見された、国内最大の上円下方墳(1段目1辺32mの方形、2段目径16mの円形)である「武蔵野府中熊野神社古墳」(府中市、7世紀半)がある。
[参考:三鷹市HP、三鷹市遺跡調査会HP、2007/12/4東京新聞]
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