たつの市揖西町と揖保川町にまたがる龍子(りゅうこ)三ツ塚古墳群を発掘調査している大手前大学史学研究所は、2号墳が古墳時代前期(3世紀後半)に築造された円墳で、古墳時代で最古級の首長墓と発表した。同時代の古墳は揖保川流域では四例目。
龍子三ツ塚古墳群は山の頂上付近の約2000㎡に前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳がある。1931年に三角縁神獣鏡や浮彫式獣帯鏡などの副葬品が出土したが、古墳の構造など不明な点も多かった。07年度から大手前大が発掘調査しており、今年度の調査結果を発表した。
2号墳は直径約17mの円墳で、墳丘の周囲にテラス状の段差を設けた「2段築成」だったと分かった。石垣のような列石(高さ60~70cm)が並んでいた。長さ約3・9m、幅約70cmの竪穴式石室も確認され、木棺を石で覆って埋葬したらしい。石槨の角が丸いなど1号墳より古い様式で、床面はU字型にくぼみ、壁面には自然石が積まれていた。くりぬき式の木棺を安置してから周囲に自然石を積んで埋葬した、古墳時代前期の埋葬方法がうかがえるという。
2世紀後半~3世紀初めの作とみられる銅鏡の破片3点や約1cmの水色のガラス勾玉(長さ約1cm)1点も石室付近から出土。副葬品や古墳の様式から年代を推測した。鏡片3点をつなげると長さ約4cmの破片となり、過去に2号墳から出土した浮彫式獣帯鏡の欠損部と一致した。
4世紀前半に造られたとみられる1号墳は全長36mの前方後円墳と確認された。
近くを流れる揖保川の流域には、2号墳と同じ3世紀後半につくられたとされる国史跡の吉島(よしま)古墳(たつの市新宮町)などもあることから、各地域の古墳に葬られた首長は、比較的小さな地域を治めていたと考えられるという。
現地説明会は14日午後1時30分から(少雨決行) 問合せは、同研究所(0798・32・5007)へ。
[参考: 読売新聞、毎日新聞、神戸新聞、朝日新聞]
龍子三ツ塚古墳群は山の頂上付近の約2000㎡に前方後円墳の1号墳と円墳の2号墳がある。1931年に三角縁神獣鏡や浮彫式獣帯鏡などの副葬品が出土したが、古墳の構造など不明な点も多かった。07年度から大手前大が発掘調査しており、今年度の調査結果を発表した。
2号墳は直径約17mの円墳で、墳丘の周囲にテラス状の段差を設けた「2段築成」だったと分かった。石垣のような列石(高さ60~70cm)が並んでいた。長さ約3・9m、幅約70cmの竪穴式石室も確認され、木棺を石で覆って埋葬したらしい。石槨の角が丸いなど1号墳より古い様式で、床面はU字型にくぼみ、壁面には自然石が積まれていた。くりぬき式の木棺を安置してから周囲に自然石を積んで埋葬した、古墳時代前期の埋葬方法がうかがえるという。
2世紀後半~3世紀初めの作とみられる銅鏡の破片3点や約1cmの水色のガラス勾玉(長さ約1cm)1点も石室付近から出土。副葬品や古墳の様式から年代を推測した。鏡片3点をつなげると長さ約4cmの破片となり、過去に2号墳から出土した浮彫式獣帯鏡の欠損部と一致した。
4世紀前半に造られたとみられる1号墳は全長36mの前方後円墳と確認された。
近くを流れる揖保川の流域には、2号墳と同じ3世紀後半につくられたとされる国史跡の吉島(よしま)古墳(たつの市新宮町)などもあることから、各地域の古墳に葬られた首長は、比較的小さな地域を治めていたと考えられるという。
現地説明会は14日午後1時30分から(少雨決行) 問合せは、同研究所(0798・32・5007)へ。
[参考: 読売新聞、毎日新聞、神戸新聞、朝日新聞]