歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

運慶作大日如来座像~大道あや展~ベルギーロイヤルコレクション展

2008年09月20日 | Weblog
 つい先日17日(水)午後から3件の展覧会に行って来ました。
 最初は上野国立博物館です。ニューヨークのオークションにかけられて有名になった運慶作とみられる大日如来像(①)。そしてその隣に並んで展示される同じく運慶作とみられる光得寺(足利市)の大日如来像(②)が目当です。六波羅蜜寺の仏像展も同時に行っており、運慶作が1体、そして運慶作と見られる仏像が1ないし2体一緒に見ることができました。やはり①の大日如来座像の顔は秀逸です。切れ長の目がややつり上がっていて、顔はふくよかであり、凛とした中の穏やかさが凄さを感じさせます。来場者の中には、お年寄りがこの大日如来の前で手を合わせ泣きながら手を合わせ拝んでいる姿も見受けられました。一方②は顔の漆箔の剥れがやや大きく、顔の表情を細かく見てとれないのが残念です。ただ、①にはない細かいアクセサリーが両二の腕とお腹にあり、繊細さを感じさせます。両者と画も衣を薄く着飾って描いており、これも運慶の特徴だそうです。
 次に、渋谷・松涛美術館の「大道あや展」。大道あやさんは江戸時代の仏教行者であり仏像彫刻家の木喰と同じように60歳になってから創作活動を始めたそうです。キャンバスに花、動物、魚など自分の好きなものをたくさん並べて描いていて楽しい絵です。やや、うるささがあるのは否めませんが、絵本などにするとあっさりして見やすく持ち味が活かせるようです。それに、秩父、越生、川越、東松山などの祭りや獅子舞を描いており、時折その方面を訪れていただけに懐かしさも感じました。
 3番目は、原宿の太田記念美術館「ベルギーロイヤルコレクション展」です。写楽コレクションを始めとし、葛飾北斎「富嶽三十六景 凱風快晴」、国芳、晴信、広重、国貞、歌麿の作を展示しています。歌麿作では、珍しい妖怪を描いた「見越入道」「一つ目」は世界で1点だそうです。
 そんな中から、僕の目についたのは、喜多川歌麿の「高島おひさ」。寛政時代の美人の一人です。彼女も細めで切れ長の目がややつり上がっています。ただ、顔はふっくらとは違い面長です。
[高島久(ひさ)のプロフィール]
 江戸両国薬研堀米沢町2丁目の煎餅屋高島長兵衛の長女。長兵衛が薬研堀に水茶屋を出したため、おひさはそこを手伝い評判の看板娘となった。

 歌麿は彼女をモデルに浮世絵を描き、さらに大評判となる。おひさを描いた大首絵「高島おひさ」は寛政5年(1793)頃の作で、当時のひさは17歳であったらしい。
 2007年3月4日(日)にNHKで放映された「歌麿・紫の謎」にもこの絵が紹介されていました。ボストン美術館にも所蔵されているこの絵は、色褪せが少なく紫の色が鮮明に残っています。残念ながら、ベルギーロイヤルコレクション展のものは鮮明にはその色合いを覚えていないので分かりません。
 高島ひさを描いた絵には、団扇あるいは服には「丸に三つ柏」の家紋が描かれています。それをちょっと比べてみました。
 左:「高島おひさ」より団扇の家紋、中:「高名美人六家撰」のうち [高島おひさ]より服の肩口の家紋、右:「丸に三つ柏」の家紋それぞれ葉のスベ(葉脈の線)の本数が違うようです。左は片側のスベが3本、中は2本、右は4本です。しかし、左と中は右「丸に三つ柏」に対し「陰」になるため、1本少なくするのが規則ということですので、中のものが2本というのは1本少ないようです。
 柏は「神聖な木」とされているため、神社や神家によく使用されるようです。
写真の色合いは、前述のTV「歌麿・紫の謎」の映像に合わせて調整してみました。
 この先、いろいろなことを調べてみたいと思います。
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名古屋市 白川公園遺跡 縄文晩期の彫刻石皿が出土

2008年09月20日 | Weblog
 名古屋市教育委員会は、県内で最大規模の縄文時代の貯蔵穴群がある白川公園遺跡(名古屋市中区栄)で、縄をねじったような彫刻が施してある縄文時代晩期(約2500年前)の彫刻石皿(縦約40cm横約30cmの楕円形)が出土したと発表した。
 同時期の彫刻石皿は石川、富山県で各1皿出土しているが、周囲に凹凸の簡単な模様が付いている程度で、今回のように複雑な模様の彫刻がしてある石皿の発見は日本初という。
 同市教委は、名古屋市科学館の改築工事のために、1月から白川公園遺跡第5次発掘調査を進めてきた。
[参考:読売新聞]
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松阪市・小谷A遺跡 弥生後期の方形周溝墓を確認 

2008年09月20日 | Weblog
 県埋蔵文化財センターは18日、松阪市の天花寺丘陵北部斜面にある小谷A遺跡(嬉野天花寺町)で、周囲を方形の溝で囲った約1800年前の弥生時代後期の方形周溝墓6基を確認したと発表した。
 方形周溝墓は1辺が5~9mで、6基が並んでいた。上土が削られ埋葬部分は確認できない。溝から葬儀に使われたと思われる土器の壺などが出土している。集落で暮らす人々の中の有力者を埋葬したと推定している。
 近くの小谷赤坂遺跡で、弥生期の大規模な集落跡が確認されており、この住民の墓域であった可能性が高いという。
 当時の社会構造を知る貴重な史料としている。
 現地は埋め戻したため、同市嬉野川北町の県埋蔵文化財センター嬉野分室で23日午後1時半から2時半、発掘調査成果説明会を開く。
 問合せは県埋蔵文化財センター=0596(52)1732=へ。
[参考:伊勢新聞、朝日新聞、三重県HP] 
 なお、三重県ホームページ→お知らせ情報→小谷A遺跡調査説明会資料(http://www.pref.mie.jp/TOPICS/2008090309.htm)で、調査説明会資料が公開されています。

備考:
 小谷赤坂遺跡は縄文時代から近世までの遺跡ですが、1998年に出土した「船とシカを刻んだ絵画土器」弥生後期(3世紀前半)が、船を描いた土器としては県内初、船とシカを組合せて描いた土器としては、鳥取県稲吉角田遺跡(弥生時代中期後半)に続いて2例目として有名です。シカは角の生え替わる時期が稲作のサイクルと一致し、船は稲の霊を運ぶものとされ、豊穣を願う弥生の祭祀の様子を表すものと考えられているそうです。
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