歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

愛知・朝日遺跡 弥生人がコイを養殖 国内最古の事例

2008年09月18日 | Weblog
 滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)は18日、弥生時代中期の集落遺跡「朝日遺跡」(愛知県清洲市など)で出土した魚の歯の化石から、この時代の弥生人が冬の保存食のため灌漑技術を利用してコイを養殖していたことが分かったと発表した。
 同博物館によると、自然の水域から小さな幼魚を大量に捕獲するのは困難で、弥生人が春に産卵期の成魚を捕獲し、集落内の環濠や灌漑水路などに放して自然に産卵させ、生まれた幼魚を水田や池で飼育していたとみられるという。
 縄文時代には、琵琶湖周辺の遺跡からコイ科の魚を捕獲した痕跡が見つかっているが、養殖した跡が見つかったのは初めてで、コイの養殖を示す国内最古の事例という。古代中国でコイの養殖方法を記した文献などが見つかっていることから、コイ養殖の知識は水田稲作と共に水位を制御する灌漑技術が大陸から伝来し、養殖が発達したとみられる。
 同館や奈良文化財研究所(奈良市)などの研究グループが、咽頭歯(喉の奥の歯)が残る魚類の化石244点を調査。うち167点がコイで、歯の大きさなどから推定すると、体長5~15cmの生後数カ月の幼魚と35~45cmの2、3歳の成魚に大別できた。
[参考:毎日新聞、中日新聞、京都新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

柏原市・玉手山3号墳 近畿最古の石棺が存在したことを確認

2008年09月18日 | Weblog
 大阪市立大は17日、同市旭ヶ丘の玉手山3号墳(全長約100mの前方後円墳、4世紀初め)の竪穴式石室跡から中国製冑の部品「小札(こざね)」が50点以上出土したこと、また、石棺が存在ことした可能性が高いことがわかったと発表した。
 近くの安福寺に、同古墳から出土したと伝えられる香川産の石材で造られた割竹形石棺の蓋があり、石棺の本体が残っているとみて発掘調査をした。
 乱掘されていて石棺は残っておらず、石室も除去されていたが、予想される石室規模(約4m)や床の構造から石棺の存在が推定できたという。初期の有力古墳が木製の棺を用いたのに対し、同古墳は竪穴式石室に畿内で最古の刳り抜き式石棺を埋葬していたとみられる。
 また、副葬品から、奈良県天理市の黒塚古墳などでも見つかっている中国製冑などを確認。中国製冑は国内で約15例しか見つかっていない。冑は、小札と呼ばれる数百枚の鉄製の板を革ひもでつなぎ合わせ、ヘルメットのような形にしたらしい。このほか青銅製の矢尻や鉄製の武器の破片も見つかった。
 被葬者が河内の最有力首長だったことが裏付けられた。同じ時期の石棺が香川県にあり、被葬者が香川の勢力と密接な関係があったことがうかがわれるとみている。
現地説明会を21日(日)午後2~4時に行う。
[参考: 読売新聞、共同通信]

履歴 2006.8.31
 3号墳の竪穴式石室が盗掘で大きく破壊されていることが発掘調査で確認され、その破損状況から、同古墳近くの安福寺に残されている近畿地方で最古級とされる石棺の蓋(国重要文化財)が、同古墳から出土したものであることがほぼ確実になったことを報じた。
 安福寺に蓋が残る石棺は、丸太状の木棺を模した「割竹形石棺」と呼ばれる石棺の中では最古のタイプで、玉手山3号墳で出土したと言い伝えられてきた。
竪穴式石室は棺を包み込むように造られており、石棺を掘り出した際に石室の壁を大きく壊し、板石を捨てたのではとする。
[参考:朝日新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

小郡市・大保横枕遺跡 弥生時代前期の二重環濠全体を発掘

2008年09月18日 | Weblog
 小郡市教育委員会は17日、小郡市運動公園の西側隣接地にある同市大保の大保横枕(おおほよこまくら)遺跡で、弥生時代前期の二重構造の堀「環濠」のすべてを発掘したと発表した。
 弥生時代後期の吉野ケ里遺跡では、二重構造の環濠のすべてが発掘されている。弥生時代前期以前では、福岡市の那珂遺跡などで二重構造の環濠が部分的に発掘されているが、環濠の全体を発掘したのは国内で初めてという。
環濠は楕円形で、内環濠が南北61m、東西54m、外環濠が南北88m、東西79mで円周は250mになる。ともに幅2・5~4m、深さ1~2mのV字形に掘られている。
 二重環濠は、堀の内側に設けた住居や食料倉庫を野獣などから防衛するために掘られたとされる。二重環濠の内側や周辺には、7軒の住居跡や食料を保管した約100基の貯蔵穴、外側の南方に墓地の一角もが発見された。
 出入り口となる「陸橋」は、内環濠が南側に1カ所、外環濠は南と北東側に1カ所ずつあった。
 出土した土器などから時代を特定し、両環濠がほぼ同時に存在していたらしい。
 小郡市教委は今後、住居や貯蔵穴の年代を特定し、環濠との関連を調べるという。
 調査は、ショッピングセンターの建設を控え、約11万㎡の開発面積のうち、遺跡にかかる3万5300㎡を対象に5月から始まり、年末まで続けられる。広大な土地を調査したため、二重構造の環濠の全体を発掘できたという。
 小郡市埋蔵文化財調査センター(0942・75・7555)は、20日午前10時と同11時、現地を一般公開する。
[参考:朝日新聞、西日本新聞、毎日新聞]

弥生前期の二重環濠 小郡市 全体発掘は全国初(西日本新聞) - goo ニュース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

西都原古墳群 姫塚古墳(202号墳) 横穴式石室を持つ?

2008年09月18日 | Weblog
西都原古墳群の姫塚古墳 木棺跡など新たに出土 96年ぶり再調査 横穴式石室存在か(西日本新聞) - goo ニュース

墳長が縦55mとさらに大きくなっています。

(現地の説明板より)
202号墳(姫塚) 6世紀後半
 姫塚は主軸長が52m、後円部径28m、同高6m、前方部幅30m、同高さ5mの前方後円墳です。
 周囲を盾形の周溝で囲まれています。大正元(1912)年の調査によれば後円部から直刀3、刀子1、鉄鏃多数などの武器、ガラス勾玉1、ガラス管玉2・棗玉1・切子玉10・小玉などの装身具、須恵器(坏・提瓶4)などの土器が出土しました。前方部から直刀1・刀子1・鉄鏃23などの武器、須恵器(坏2)などの土器が出土しました。西都原古墳群では最後の前方後円墳の1つです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

高松塚古墳壁画 11月に一般公開 明日より事前申込み開始

2008年09月18日 | Weblog
「国宝高松塚古墳壁画修理作業室の一般公開」
 文化庁は17日、修復を進める高松塚古墳(奈良県明日香村)の国宝壁画を11月2-9日の8日間、村内の施設で一般公開すると発表した。
 公開は春に続き2回目。定員は1日約500人で、指定された日時で10分間の見学になる。
 初公開だった前回は先着順で応募が殺到したため、途中で受け付けを終了。計3763人が見学した。
 定員制で、期間中に計約4000人が見学通路からガラス越しに壁画と対面できる。
 希望者は往復はがきで事前に申し込む。応募多数の場合は抽選。
 募集期間は9月19-30日(当日消印有効)。
 詳しくは、文化庁のホームページで。

[参考:毎日新聞、産経新聞、文化庁文化財部古墳壁画室HP]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする