滋賀県立琵琶湖博物館(草津市)は18日、弥生時代中期の集落遺跡「朝日遺跡」(愛知県清洲市など)で出土した魚の歯の化石から、この時代の弥生人が冬の保存食のため灌漑技術を利用してコイを養殖していたことが分かったと発表した。
同博物館によると、自然の水域から小さな幼魚を大量に捕獲するのは困難で、弥生人が春に産卵期の成魚を捕獲し、集落内の環濠や灌漑水路などに放して自然に産卵させ、生まれた幼魚を水田や池で飼育していたとみられるという。
縄文時代には、琵琶湖周辺の遺跡からコイ科の魚を捕獲した痕跡が見つかっているが、養殖した跡が見つかったのは初めてで、コイの養殖を示す国内最古の事例という。古代中国でコイの養殖方法を記した文献などが見つかっていることから、コイ養殖の知識は水田稲作と共に水位を制御する灌漑技術が大陸から伝来し、養殖が発達したとみられる。
同館や奈良文化財研究所(奈良市)などの研究グループが、咽頭歯(喉の奥の歯)が残る魚類の化石244点を調査。うち167点がコイで、歯の大きさなどから推定すると、体長5~15cmの生後数カ月の幼魚と35~45cmの2、3歳の成魚に大別できた。
[参考:毎日新聞、中日新聞、京都新聞]
同博物館によると、自然の水域から小さな幼魚を大量に捕獲するのは困難で、弥生人が春に産卵期の成魚を捕獲し、集落内の環濠や灌漑水路などに放して自然に産卵させ、生まれた幼魚を水田や池で飼育していたとみられるという。
縄文時代には、琵琶湖周辺の遺跡からコイ科の魚を捕獲した痕跡が見つかっているが、養殖した跡が見つかったのは初めてで、コイの養殖を示す国内最古の事例という。古代中国でコイの養殖方法を記した文献などが見つかっていることから、コイ養殖の知識は水田稲作と共に水位を制御する灌漑技術が大陸から伝来し、養殖が発達したとみられる。
同館や奈良文化財研究所(奈良市)などの研究グループが、咽頭歯(喉の奥の歯)が残る魚類の化石244点を調査。うち167点がコイで、歯の大きさなどから推定すると、体長5~15cmの生後数カ月の幼魚と35~45cmの2、3歳の成魚に大別できた。
[参考:毎日新聞、中日新聞、京都新聞]