歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

中野市 柳沢遺跡 銅鐸計4個に

2008年09月12日 | Weblog
弥生のクニ、原型裏付け
 長野県埋蔵文化財センターは12日、昨年に東日本で初めて弥生時代の青銅器「銅鐸」と「銅戈」が一緒に出土した中野市の柳沢遺跡で、新たに弥生中期ごろの銅鐸の破片が少なくとも3個分出土し、同遺跡で出土した銅鐸が合わせて4個以上になることが分かったと発表した。
 銅鐸が4個以上出土した遺跡は全国で10例もない。
 柳沢遺跡では昨年、祭器として使われた銅鐸と銅戈7本(大阪湾型6本、九州型1本)が同時出土。東日本の長野に、弥生時代のクニの原型になる有力な集団が存在していたことを示す発見として注目を集めた。
 想像以上の強力な集団がいたことを意味付ける成果だとみられる。
[参考:共同通信、前出]


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土佐清水市 加久見城館遺跡 家臣団の建物跡

2008年09月12日 | Weblog
①加久見(かぐみ)氏家臣の屋敷跡確認 [2008年09月11日18時10分 高知新聞]
 土佐清水市の加久見城館遺跡で、加久見氏家臣団の新たな屋敷跡を確認。市が11日発表。15―16世紀に有力武士だった同氏の勢力裏付ける。

②加久見城館遺跡:鎌倉時代の家臣団の建物跡 中国製天目碗も出土-土佐清水 [9月12日16時1分 毎日新聞] 
 土佐清水市教委は11日、加久見城館遺跡(同市加久見)から、鎌倉時代の家臣団の建物跡や中国製の貿易陶磁器の破片、石仏などが見つかったと発表した。
 発掘は市教委が県埋蔵文化財センターの協力を受け、同遺跡内の屋敷跡や田んぼ、寺院跡など3カ所を調査。家臣団の建物跡は、昨年の発掘調査で見つかった加久見氏の屋敷跡近くから見つかり、中から天目碗の破片が出土した。天目碗は中国から輸入したもので、一般の集落からは出土しないため、家臣が加久見氏から拝領したものとみられる。
 この他、寺跡からは五輪塔、一石五輪塔、石仏など約140体が見つかった。
◇あす現地説明会
 市教委は13日午後1時半から現地説明会を開く。問い合わせは市教委(0880・82・0472)へ

(考察)
 以上2紙による表題のニュースが発信された。
 同じニュースと思えるのだが、集約できない。年代が鎌倉時代と15-16世紀と別時代だからである。
 加久見氏一族と特定するにはいまのところ15世紀以降が相応しいし、天目碗の出土は13世紀頃が適当に思える。
 13世紀末は北条氏が全国各地の主要な海運拠点の掌握に努めていた時期であり、北条氏と・加久見氏との関係も考えられる。

 昨年12月には、加久見城館遺跡で鎌倉時代(13世紀後半)の掘立建物跡や中国製陶磁器「青白磁梅瓶」の破片、室町時代(15世紀中頃)の石列遺構などが発見された。同城館は土佐一条家の重臣・加久見氏の屋敷跡とみられるという。[毎日新聞]とのニュースがあった。
 さらに、加久見氏一族とその家臣の墓であると伝えられている、加久見五輪塔群中の一基に「貞治二四月十九」の年代銘(1363年)があり、加久見氏一族がこの地に14世紀以前にもいた可能性も大いにある。
 いずれにしても、詳細を待つしかない。
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長崎・平戸 キリシタン遺構 全身人骨発見 伝承裏付け

2008年09月12日 | Weblog
ウシワキの森で見つかった人骨
 平戸市教委は11日、キリシタンの殉教関連の埋葬跡との伝承が残る同市大石脇町の「ウシワキの森」で行っていた発掘調査で、石組み遺構の下から殉教者ではないかとみられる全身人骨一体が見つかったことを発表した。
 ウシワキの森は、豊臣秀吉の伴天連追放令(1587年)後のキリシタン弾圧時代、1000人の村人をかばって処刑された「おろくにん様」と呼ばれる一家6人が埋葬されたと伝えられる。
 8月に行った試掘調査で人為的に石が並べられた3か所を確認。うち1か所(約1.5m四方)を今月8日から、さらに掘り下げた結果、身長1m30前後のほぼ全身分の人骨が、体を伸ばしたような状態で見つかった。
 仏教の一般的な埋葬形態である屈葬と異なり、仰向けに伸ばした「伸展葬」状態で見つかったことから、キリスト教にかかわる人物ではないかとみられる。 
頭部付近には、くぎの様な金属片もあったことから、棺は木製だった可能性があるという。
 埋葬された状況などから、弾圧時代の16世紀末から17世紀初めに埋葬された信者だった可能性が大きいとみている。
 人骨は8日、深さ約1mの砂地から見つかり、身長約130cm。性別などは不明で、13日に掘り出し、形質人類学の専門家が調べる。
 発掘現場を見た活水女子大の下川達弥教授(考古学)は「キリシタン墓地の発掘で完全な人骨が発見されたのは例がなく、大変貴重な発見」と話している。
[参考:読売新聞、西日本新聞、朝日新聞、前出]
殉教者? の全身人骨発見 平戸市「ウシワキの森」 「伝承の裏付けに」(西日本新聞) - goo ニュース

(前出参照)
 東京駅八重洲北口遺跡では、同時期頃のキリスト教信者が仰臥伸展葬で埋葬された長方形木棺や土坑墓が見つかっている。
発掘された日本列島2008 「…江戸の誕生」初期のキリシタン遺物
平戸市・殉教遺跡の発掘開始 隠れキリシタンの歴史実証へ

平戸市のウシワキの森 石組み遺構出土 隠れキリシタン 殉教者埋葬跡か(西日本新聞) - goo ニュース

備考
 日本最古のキリシタン墓碑としては、高槻市千光寺跡の『田原礼幡キリシタン墓碑』(天正九年(1581))であり、周辺では同じように木棺に埋葬された「伸展葬」状態の人骨が見つかっている。
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紫香楽宮跡発掘再開へ 万葉集の歌木簡の謎解きに期待

2008年09月12日 | Weblog
補正予算で増額され発掘再開へ
 宮町遺跡は00年に100mを超える長大な建物跡が出土し、公式儀礼を行う「朝堂」跡が確認されたが、天皇が暮らした内裏の中心部などは未確認。県の補助金の削減により、83年から続いていた発掘調査が今年度初めて凍結され、全容解明が危ぶまれていた。
 しかし、万葉歌の書かれた歌木簡が全国で初めて出土したことを5月に発表したのを機に、市は県に調査再開を要望。7月には同宮に関連する鍛冶屋敷遺跡(同町黄瀬)で役所跡とみられる新区画が見つかり再開を望む声が高まっていた。
 市教委は10日、予算削減で凍結されていた発掘調査を年内をめどに再開すると発表した。市教委は12月に「内裏」があったと想定される朝堂跡の北側で発掘を再開する。約700平方メートルの調査ができる見通しとなった。

宮町遺跡: 聖武天皇(701~756)が造営した紫香楽宮跡とされる。甲賀市信楽町宮町にある。

[参考:京都新聞、毎日新聞、前出]
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鳥取市 松原古墳群 現地説明会開催予定

2008年09月12日 | Weblog
松原古墳群の概要  
 湖山池の南岸の尾根上に立地する古墳時代後期(約1500から1400年前)に築造された古墳群。 
発掘調査によって、円墳8基及び方墳2基の計10基の古墳を確認している。

日時:平成20年9月14日(日) 午後1時30分~3時(小雨決行)
場所:松原古墳群(鳥取市松原198番地外)
問合せ先: 鳥取県埋蔵文化財センター美和調査事務所 電話090-1182-4918
[参考:鳥取県埋蔵文化財センターHP]
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