2月28日現地説明会に700人が参加
墳丘の外周で、珍しい石敷き遺構が確認された奈良市田中町の黄金塚陵墓参考地(帯解黄金塚古墳、7世紀中ごろ)で28日、現地見学会があり、考古学ファンら約700人が訪れた。
[参考:毎日新聞]
2009.2.26掲載分
市埋蔵文化財調査センターが26日、日本書紀の編纂をした舎人親王(676~735)の墓との伝承があり、宮内庁が陵墓参考地として管理する帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳(同市田中町字上ノ口575)が親王の没年より以前の7世紀半ばの築造とわかったと発表した。
古墳の範囲確認のため、1月14日から周辺を調査し、墳丘自体は発掘できなかったが、墳丘の南西隅そばで7世紀半ばとみられる須恵器の杯蓋2片(約10~12cm)と土師器の把手付甕1片(約5cm)が出土した。
また、墳丘は一辺約30mの方墳と判明。墳丘外周に2段式の石敷き(幅約2m)が張り巡らされているのが確認された。北側と西側は下段の幅が約1・6m、上段は幅約0・5mで、下段との段差は約5cmあった。使われている石は上段が直径15~30cm、下段が同10~20cmの大きさ。上段、下段とも端に石を一列に並べて縁取っていた。見栄えを良くするためとみられ、被葬者の地位の高さがうかがえるという。 墳丘の裾には石を抜き取った跡があり、築造当初は墳丘にも石が積まれていた可能性が高いという。南側は過去の調査で、下段が幅約6mの石敷きが見つかっている。
「石敷きは寺の基壇周囲を取り入れた」、「被葬者は別の皇族、あるいは有力豪族」、「磚積みの横穴式石室から被葬者を渡来系氏族の人推測」などの専門家からのコメントがあった。
28日午前10時~午後3時に現地見学会がある。小雨決行。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞]
墳丘の外周で、珍しい石敷き遺構が確認された奈良市田中町の黄金塚陵墓参考地(帯解黄金塚古墳、7世紀中ごろ)で28日、現地見学会があり、考古学ファンら約700人が訪れた。
[参考:毎日新聞]
2009.2.26掲載分
市埋蔵文化財調査センターが26日、日本書紀の編纂をした舎人親王(676~735)の墓との伝承があり、宮内庁が陵墓参考地として管理する帯解黄金塚(おびとけこがねづか)古墳(同市田中町字上ノ口575)が親王の没年より以前の7世紀半ばの築造とわかったと発表した。
古墳の範囲確認のため、1月14日から周辺を調査し、墳丘自体は発掘できなかったが、墳丘の南西隅そばで7世紀半ばとみられる須恵器の杯蓋2片(約10~12cm)と土師器の把手付甕1片(約5cm)が出土した。
また、墳丘は一辺約30mの方墳と判明。墳丘外周に2段式の石敷き(幅約2m)が張り巡らされているのが確認された。北側と西側は下段の幅が約1・6m、上段は幅約0・5mで、下段との段差は約5cmあった。使われている石は上段が直径15~30cm、下段が同10~20cmの大きさ。上段、下段とも端に石を一列に並べて縁取っていた。見栄えを良くするためとみられ、被葬者の地位の高さがうかがえるという。 墳丘の裾には石を抜き取った跡があり、築造当初は墳丘にも石が積まれていた可能性が高いという。南側は過去の調査で、下段が幅約6mの石敷きが見つかっている。
「石敷きは寺の基壇周囲を取り入れた」、「被葬者は別の皇族、あるいは有力豪族」、「磚積みの横穴式石室から被葬者を渡来系氏族の人推測」などの専門家からのコメントがあった。
28日午前10時~午後3時に現地見学会がある。小雨決行。
[参考:共同通信、朝日新聞、産経新聞]