歴歩

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尼崎市・東園田遺跡 弥生時代のタコつぼにシカの絵 全国初

2009年03月27日 | Weblog
 市教育委員会が27日、東園田遺跡で出土したイイダコ漁のタコつぼ(1世紀、弥生時代中期-後期)に、線刻されたシカの絵が全国で初めて見つかったと発表した。
 つぼは高さ8・7cm、口径が最大4・4cmの楕円型の湯飲みのような形で、紐を通したとみられる穴もあった。側面には初夏のころの夏毛の斑点を表現したシカと海の表現をした可能性もある格子柄の絵があり、頭と耳は1本の線でY字形に描かれ、首から下の胴体と尻尾は輪郭を描いて表現していた。他の土器では見られない写実的な技法が特徴。
 鹿毛があることから漁を終えた初夏ごろ、豊漁を祈念して描かれたとみられる。
 東園田遺跡は弥生時代には海岸沿いで、2003年に519個のタコつぼが2カ所からまとまって見つかったが、絵があったのは、この1つだけだった。
[参考:共同通信、産経新聞]


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堺市・大野寺跡 行基建立の「土塔」を復元

2009年03月27日 | Weblog
 奈良時代の僧・行基(668~749)が築いたとされる、大野寺の跡地(堺市中区土塔町)から出土した「土塔」(国史跡)が、約1300年前の築造当時の姿に復元され、堺市は27日完成記念式典を開いた。
 土塔は約53.1m四方、高さ約8.6mの四角錐形で、十三重の仏塔。各地のお寺で見かける五重塔や七重塔と同じで、仏舎利を納める仏塔の一種。ピラミッド型の仏塔はほかにも奈良市の頭塔(ずとう)が知られているが、堺市の土塔の方が一辺が約20m長い。土で盛られた仏塔としては国内最大。
 行基が727年に建立した大野寺の境内にあったとされ、長きにわたって荒れ果て、表面が崩れて土の山になっていた。
 市は、土塔の発掘調査を1998~2003年度に実施。幅3~1mの階段が12層に連なっていたことがわかり、2004年度から、復元工事を進めていた。構造が判明している12段分を復元し、南側と西側の面には灰色や茶色の瓦約5万枚を葺いた。近くには模型のモニュメントも作られた。
 4月1日から一般公開される。
[参考:朝日新聞、読売新聞]

備考
■土塔山観音院大野寺 (堺市中区土塔町2167)
高野山真言宗。高僧行基が建立した四十九院の一つ。本尊は十一面観音。寺暦や規模などの詳細は不明だが、境内には古い礎石が残る。現在は本堂と、門、庫裡がある。道路を挟んで東南に土塔があり、さらに土塔の南には大門池がある。
平安時代の安元元(1175)年に記された『行基年譜』に、神亀4(727)年に建立されたとあり、また同寺跡・土塔出土の八葉複弁蓮華紋軒丸瓦にも「神亀四年」と記され、創建年代が確認されている。ただし、奈良時代の建物跡が見つかっていないので、創建当時は土塔のみが作られた可能性がある。
■土塔 (堺市土塔町2143-1)
主軸をほぼ真北にする方錐形に土を重ねて造られた塔で、発掘調査の結果、一辺約53m(180尺)、高さ約9m(30尺)の規模と判明。現在は12段あるが、かつては頂上に八角形の建物が乗る十三重塔だったらしい。各段の表面は瓦で葺かれていた。
今回の復元では、4面のうち西側と南側の2面のみ5万枚の瓦を葺いている。
[参考:堺市HP、同志社大学歴史資料館HP、朝日新聞]

■大野寺は、添付の地図の記載の場所にあります。土塔はこの大野寺から道路を挟んで東南にあります。
 鳳駅(大鳥大社)から東に1.8kmのところに、行基の母親の生誕地の華林寺(けいりんじ、古名は蜂田寺)があり、大野寺はさらに東に3km先にあります。行基の生誕地である家原寺(えばらじ)は華林寺から北に約1.5km先のところです。


コメント (3)
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