歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

扶余・陵山里跡隣地 泗比時代の石築百済窯を初めて発見

2009年03月14日 | Weblog
 韓国伝統文化学校は、扶余郡の依頼で昨年11月から、泗比時代百済王陵密集地区の扶余陵山里古墳群隣の地点、陵山里寺(능산리 절)の跡地西側の部分と扶余羅城(나성)城壁が隣接する地帯に形成された湾曲部1,700㎡を発掘調査していた。
 3月11日、この地域が土を削って固めて作った盛土敷地であることを確認したと発表した。
 ここでは金堂と塔があった所の中間を東-西方向に貫く百済時代溝形石列遺構と排水路、瓦窯をはじめとする百済時代遺跡と高麗時代建物跡1ヶ所が発見された。
 百済時代瓦窯は地上に露出した壁の部分は石で積んだ半地下式(반지하식)登窯(등요)であり、灰のような廃棄物が積もった部分の灰丘部とかまど、燃焼室、器や瓦を焼いた空間の焼成室、煙道部等が比較的完全な状態で確認された。 燃焼室で沿道部まで長さは約5.8m。
 調査団は「燃焼室と焼成室壁をみな石で積んだ泗比時代百済窯(백제가마)を初めて発見した」と話した。
[参考:聯合ニュース]
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奈良県吉野町・金峯山寺・蔵王堂 建立当初の瓦か 建立時期を考古学的に裏付け

2009年03月14日 | Weblog
 県立橿原考古学研究所が13日、吉野の金峯山寺で、建立当初の本堂「蔵王堂」(国宝、16世紀)に葺いたとみられる平安時代後半(11-12世紀)の瓦が大量に出土したと発表した。
 現在の蔵王堂は檜皮(ひわだ)葺きで、瓦は創建時のものとみられる。この時代の山中に瓦葺きの建物があるのは極めて珍しいとする。
 蔵王堂の建立は、文献から11世紀末-12世紀初めとする説があったが、はっきりしていなかった。同研究所は「年代が合致しており、建立時期が考古学的に裏付けられた」とする。
 寺の記録「金峯山創草記」によると、蔵王堂での行事、曼荼羅供養が康和年5年(1103)に始まったとされる。別の文献には、寛治6年(1092)に白河上皇(1053-1129)が金峯山に詣でたとの記述があり、上皇の発願でこの間に蔵王堂が建てられたと想定されていた。
 瓦は現在の蔵王堂の西側の軒下で13世紀に整地された場所から、幅1m、長さ5mの範囲から平瓦、丸瓦、軒平瓦の破片約200点が出土した。型式や製法などから平安後期の製造と特定した。
 蔵王堂はこのころに2回焼失したとの記録があり、どちらかの再建の際に捨てられたらしい。
 金峯山寺は7世紀後半に修験道の開祖・役行者が開いたと伝わる。現在の蔵王堂(高さ34m、36m四方)は1592年に再建された。鎌倉時代の嘉禄元(1225)年の火災で焼失した記録があるほか、それまでに少なくとも4回は焼けたとされるが。
[参考:産経新聞、共同通信、朝日新聞]
平安の瓦出土、蔵王堂創建時のものか 奈良・金峯山寺(朝日新聞) - goo ニュース

蔵王堂の西側をアップしました。
蔵王堂・西側
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