歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・石のカラト古墳(8世紀築造) 出土した銀製の玉がアマルガム法を用いて作ったことが判明

2009年03月04日 | Weblog
 8世紀初めに築造されたとみられる「石のカラト古墳」で出土した銀製の玉と、同時期の官営工房「飛鳥池遺跡」(奈良県明日香村)で見つかった銀粒が、水銀を使って銀の純度を上げるアマルガム法を利用して作られていたことが、奈良文化財研究所の調査でわかった。
 同法は17世紀に日本で初めて利用されたと言われてきたが、導入時期が約900年遡ることになるという。
 同研究所が、石のカラト古墳の副葬品とみられる銀製の玉(直径約1・2cm)を分析した結果、水銀が1%含まれていることが判明。飛鳥池遺跡で発掘された銀粒(直径0・5cm)にも、水銀が含まれており、同研究所はともに同遺跡でアマルガム法を使って精錬したとみている。
[参考: 読売新聞]

石のカラト古墳
 奈良県と京都府の府県境、奈良山丘陵に位置する古墳でカザハヒ古墳ともよばれる。
 墳形は上円下方墳で、上円部径9.7m、下方部1辺13.8m、高さ2.9m以上。墳丘には全面に葺石がみられる。
 埋葬施設は凝灰岩切石を用いた横口式石槨で、規模は長さ2.6m、幅1.03m、高さ1.165m。このような石槨墳は終末期古墳とよばれ、明日香村の高松塚古墳やキトラ古墳がよく知られている。発掘調査で大刀装具として鞘尻金具、責金具があり共に銀製である。他に、金・銀製の玉、琥珀玉、金箔、漆片がある。また墳丘に関って出土した土器の時期は奈良時代前半であるが、古墳の築造時期を直接に示すかは明らかではない。
[参考:奈良市HP]

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エジプト・カイロ 早大の古代エジプト調査隊 ラムセス2世の孫娘イシスノフレトの墓を発見か

2009年03月04日 | Weblog
 エジプト考古最高評議会は3日、カイロ郊外のサッカラ遺跡で、吉村作治氏が率いる早稲田大の調査隊が新王国時代(紀元前1565年ごろ-同1070年ごろ)の第19王朝に造られたとみられる墓を発見したと発表した。
古代エジプトの最有力ファラオ(王)、第19王朝ラムセス2世(紀元前1304年から1237年まで68年にわたりエジプトを統治)の孫娘・女性イシスノフレトの墓の可能性があるという。
 墓の内部では、彫刻が施され青く塗られた石棺や、3体のミイラなどが見つかった。石棺には「高貴な女性」との文字が彫られていた。
ラムセス2世の息子の墓が近くにあり構造も似ていることから、孫の墓の可能性があるという。墓の上部は失われていた。
ラムセス2世の第4皇子カエムワセト(Khaemwaset)王子にはイシスノフレトという名前の娘がいたとされる。
[参考:共同通信]
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岡山県・犬島貝塚 西日本最古(1万年以上前)か 山形押型文土器を確認

2009年03月04日 | Weblog
 岡山市の犬島諸島・地竹ノ子島にある犬島貝塚(縄文時代早期)が、紀元前7600~8千年ごろにできたことが同貝塚調査保護プロジェクトチーム(代表=遠部慎・北海道大埋蔵文化財調査研究員)の発掘調査でわかり、2日発表された。遠部代表は「西日本最古とされる礼田崎貝塚(香川県土庄町・豊島)より古い土器も見つかっており、犬島が西日本最古の可能性もある」と話している。
 犬島貝塚は縄文時代早期に成立したとみられ、地竹ノ子島の南側に第1貝塚、北側に第2貝塚がある。
調査は08年8月7~12日に、4地点計約10㎡を発掘した。
 その結果、第1貝塚は東西8m、南北5m以上、第2貝塚は東西10m、南北5m以上と判明。同地域の縄文早期貝塚で有数の規模であることを確認。ともに花崗岩の堆積土に覆われて保存状態は良く、計約300点の土器や石器と、貝類676点が出土した。貝類の95%が汽水域に生息するヤマトシジミだったという。
 チームは、特定の有機物の含有量から年代を割り出す「炭素14年代測定」でヤマトシジミなどを分析し、第1貝塚は紀元前7600~7800年ごろ、第2貝塚は紀元前7600~8千年ごろにできたらしいと推定した。現在、西日本最古とされる礼田崎貝塚は、紀元前8千年前後にできたことがわかっている。
 第2貝塚で発掘された山形押型文の土器には、礼田崎貝塚から出土した同様の土器より古いとみられるものも含まれていたとして、遠部代表は「今後の調査によっては、西日本最古となる可能性もある」としている。
 さらに、貝殻の分析で、貝は春から夏にかけて採取されていたことが判明。貝以外の魚介類や動物の痕跡は見つからず、遠部代表は「汽水域だったと考えられる時期に、人類がどのように活動していたかを知る上で非常に重要」としている。
 チームは、21日午後1時半から岡山市駅元町の市デジタルミュージアムで研究成果を報告する「犬島貝塚の発掘2008」を開く。無料。当日先着80人。
[参考:朝日新聞、読売新聞、山陽新聞、岡山日日新聞]
前出
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京都府精華町・鞍岡山2号墳 2基の木棺跡を検出、現地説明会3/7

2009年03月04日 | Weblog
 鞍岡山古墳群(相楽郡精華町下狛)の4基の円墳のうち、直径40mの3号墳墓(4世紀末)が最大であるが、2号墳は直径約30mを測り、5世紀初頭に築造されたとみられる。
 ここから2基の木棺跡が検出され、国内産の鏡や剣、玉類が出土した。
 木棺跡は、長さ7.4m、最大幅3.4m、深さ1.6mの墓壙から見つかり、底部で南北に平行に並べられて、同時に埋葬されたと見られる。西側の木棺跡は長さ約6m、東側は同約5mで、いずれも半円状の溝が掘られており、丸太をくり抜いた形の割竹形木棺が収められていたことがわかった。一部盗掘されていたが、すぐ脇に長短の鉄剣5本(長さ20~50cm、幅4~5cm)が副葬されていた。
東側からは青銅鏡(直径約7cm)や首飾りの管玉や勾玉が見つかった。
1つの墓壙に2つの棺を収めた例は全国的にも珍しく、西側に一帯を支配した武人の男性が、東側には妻が埋葬されたと推測。
 現地説明会が3月7日(土)に開催される。
[参考:産経新聞、京都府埋蔵文化財調査研究センター]


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