歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

大宰府市・下原七反田遺跡 豊後結ぶ官道「豊前路」出土 

2009年03月06日 | Weblog
 福岡県教育委員会は5日、7~8世紀に大宰府(太宰府市)と宇佐神宮(宇佐市)や豊後国府(大分市)を結んでいた「豊前路」と呼ばれる官道跡が、下原七反田遺跡(同県みやこ町)で出土したと発表した。
 県教委によると、官道跡は幅約9m、長さ約35m。丘を掘り下げる切り通し工法を用い、平らにした路面に乾燥すると堅くなる粘質土や浸透性のある砂質の土を敷いたとみられている。これまで行橋市内の天生田大池遺跡など3カ所で豊前路跡が発見されているが、より広い範囲で発掘でき、残存状態も良かったという。
 官道跡から約30m離れた場所では、20棟以上の高床式の倉庫とみられる掘立柱建物跡や鍛冶工房跡(いずれも8世紀ごろ)も見つかり、県教委は「官道造成に関与した集落ではないか」とみている。
 7日午後1時から現地説明会を開く。
[参考:西日本新聞、産経新聞]


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

エジプト・ルクソールで アメンホテプ3世の石像など2体発掘

2009年03月06日 | Weblog
 エジプト考古最高評議会は5日、ルクソールで約3500年前の古代エジプト新王国第18王朝のファラオ(王)、アメンホテップ3世(紀元前1391 – 1354年頃在位)の石像2体を発掘したと発表した。
石像はナイル川ほとりの多柱式神殿で、エジプトと欧州の考古学チームが土に埋まっているのを発見した。
 1体は高さ約1mで、体はライオンで頭は人間というアメンホテプ3世を象徴するスフィンクスの形をしている。
もう1体は黒い花崗岩で造られ、ファラオの冠(headcover)をかぶっている。
 アメンホテップ3世の治世は古代エジプトで最も栄えた時代の一つで、数々の石像を造らせたことでも知られる。
[参考:読売新聞、AFP]
3500年前のファラオ像など2体発掘、ナイル川ほとりで(読売新聞) - goo ニュース
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

筑後市・高江辻遺跡 箱式石棺墓など出土

2009年03月06日 | Weblog
 筑後市教委は5日、発掘中の高江辻遺跡(同市高江)から、弥生時代中後期(紀元前1~3世紀)の墓地群が見つかったと発表した。
遺跡は標高約12mの小高い丘にあり、見つかったのは石棺墓や木棺墓と、土を掘って作った土壙墓、土壙墓に木や石で蓋をした墓など計26基。棺の大きさは最大で長さ2.5m、幅0.5m。副葬品は見つかってない。
 当時北部九州で主流の甕棺墓ではなく、石棺、木棺墓であることから、甕棺墓を作らない集団がこの地方にあることがわかったとする。
弥生中期の墓とみられる16基は遺跡の北西から南東に2列に並んでいた。北部九州に多い2列埋葬墓と呼ばれる埋葬法が確認された。
 弥生後期の墓とみられる10基は石棺墓で保存状態が良く、棺内は朱色に塗られていた跡や、粘土で目張りした跡があり、丁重に埋葬された可能性が高いという。中から人骨4体が見つかった。骨の大きさから埋葬された人物は身長1m60~1m70と推測され、弥生時代の成人男性の平均。
 発掘現場は16日まで、午前9時~午後5時、平日の作業中にのみ見学できる。
[参考:西日本新聞、読売新聞]
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

向日市・石田・鶏冠井遺跡 、縄文時代後期(約3100年前)の石器が出土

2009年03月06日 | Weblog
 同市埋蔵文化財センターが5日、同市鶏冠井(かいで)町の石田・鶏冠井遺跡で、縄文時代後期(約3100年前)の石器が出土したと発表した。未完成や失敗した石器の破片も含まれており、加工前や過程の石がまとまって見つかる珍しい例であり、石器の製作過程がわかる貴重な例」としている。
 同遺跡の約120㎡を調査。長さ6・5cm、幅2・7cmのスクレイパー(削器)や、平べったい三角形にしそこねた矢尻(長さ1・9cm、幅1・8cm)など十数点のほか、加工をする前の石や破片も大量に見つかった。
 石は、奈良県の二上山などで取れるサヌカイト(讃岐岩)で、人の移動や交易で運ばれてきたらしい。
 また、長岡京(784~94)を東西に走る大通り「一条大路」南側の溝跡も長さ12mにわたって確認。溝は幅3m、深さ0・5~0・6mと大規模で、同センターは「泥がたまりやすく、何度も改修する過程で大きくなっていったのではないか」としている。
 同じ層から、巻き貝で模様を付ける「宮滝式」と呼ばれる土器が出土したことから年代が特定された。
 現地説明会は7日午後1時から行われる。
[参考: 読売新聞]


コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

桜井市・纒向古墳群 勝山古墳、矢塚古墳、東田大塚古墳の規模・形状を確定

2009年03月06日 | Weblog
 奈良県立橿原考古学研究所と桜井市教育委員会は5日、調査中の最古級・纒向古墳群のうちの矢塚(全長約93m)、勝山全長(約115m)、東田大塚(全長約120m)の3基の前方後円墳(3世紀半ば~後半)の墳丘の規模や形状、そして周濠がほぼ確定したと発表した。勝山以外の東田大塚、矢塚の両古墳は、前方部に周濠がなかった可能性が高いことも判明した。
 勝山古墳は、前方部の端が見つかり、全長115m(前方部48m、後円部70m)となることから、「鍵穴型」。築造年代が3世紀のいつごろかは依然はっきりしなかった。また、周濠が墳丘の全周を馬蹄形に巡り、前方部の前面は幅約11mとみられる。
 矢塚古墳は現在残っている見かけの墳丘の2・3m内側から、本来の墳丘が確認され、後円部はやや楕円形だったことが判明した。後円部62m、前方部34mで、全長は96m。同古墳群にある「纒向石塚」、「ホケノ山」と同じ「纒向型」であることは変わらないという。後円部北側の周濠の幅が約17mと判明したが、前方部までは巡っていなかった。後円部南側では、周濠を掘った直後に埋め戻した跡も見つかった。渡り堤の可能性もあるが、幅15m以上と広く、用途は不明という。
 東田大塚古墳は前年度に続いて前方部の端が見つかったことから、前方部50m、後円部70mの全長120mと確定した。これまで、前方部長さが40mで「纒向型」とみられていたが、「鍵穴型」だったことがわかった。また、前方部周辺で周濠の遺構が見つからなかった。
 周濠が切れているのは地形の制約があったとみられるが、しっかりと全体に巡らせるという意識がなかった可能性もあるとしている。
 勝山と東田大塚は、前方後円墳では典型的な「鍵穴形」で、矢塚は前方部が短い「纒向型」といわれる形。鍵穴形と纒向型の出現時期が同じだったのか、ずれていたのかの解明が今後の課題とする。
 矢塚、東田大塚両古墳から出土した土器や写真パネルを6~13日、桜井市立埋蔵文化財センター(同市芝)で展示する。(9、10日は休館)
[参考:産経新聞、読売新聞、日経新聞]

コメント:
 勝山古墳の前方部長さを産経新聞では48m、朝日新聞では45mとしている。
 今回の記事で大きな変更点は、東田大塚古墳の前方部長が40mから50mになったことで「纒向型」から「鍵穴型」になったことである。

過去の関連情報・記事
 桜井市 纒向遺跡を本格調査
 矢塚古墳第3次時調査
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする