歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

足利市・樺崎寺跡 南北朝期の池護岸を確認 

2009年03月18日 | Weblog
 市教委は16日、国史跡樺崎寺跡(法界寺跡)の浄土庭園の池の北東岸で二列並行する護岸を確認したと発表した。東側の護岸は南北朝期に築かれ、約1.5m西側の護岸はそれより後に新たに造り変えられたと見られる。護岸には5-20cmの石が張り詰めてあった。
 この地点は池の東の山裾にある多宝塔の対岸にあり、池岸を入り組ませるなどして景観に気を配った様子がうかがえる。
 護岸の確認により池の形状などが明らかになり、景観に気を配った美しい浄土庭園であることが裏付けられたとする。毛越寺(岩手県平泉町)に匹敵する浄土庭園を持つ寺院とも言われ、将来復元を目指す予定という。
 樺崎寺は鎌倉時代初頭に足利氏二代目の義兼が創建した足利氏の廟所。
 市教委は22日午後1時半から、樺崎寺跡で発掘現場説明会を開催する。
[参考:下野新聞]

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豊橋市牛川町・西側遺跡 縄文時代のフラスコ土坑が出土

2009年03月18日 | Weblog
 豊橋市教委は17日、同市牛川町の西側遺跡から縄文時代晩期(紀元前300年~900年)の遺構「フラスコ状土坑」が市内で初めて見つかったと発表した。
 同遺跡は縄文時代から江戸時代までの複合遺跡で、これまでに古墳、奈良、平安各時代の住居跡などが見つかっている。今回、遺跡周辺の区画整理に合わせて昨年5月から牛川小学校の北約200mの旧梨畑2650㎡の発掘調査を行い、先月末、遺跡北側の区域(約2700㎡)からフラスコ状土坑(内部をえぐって袋状とした穴)が3か所見つかった。
 3つの土坑はいずれも直径約1・4m、深さ70cm程度。今回、1か所の土坑から条痕文と呼ばれる模様が描かれた縄文晩期の土器の破片が見つかり、時代が特定できた。食料などの貯蔵施設として使われたと見られる。
 このほか弥生時代中期の方形周溝墓(いずれも一辺約10m)が3基、東西に隣接して並んだ状態で見つかった。この地の有力豪族の3代か、3兄弟といった「何らかの血縁関係を持った人が埋葬されたもの想像される」という。
 すぐ近くの別地点からは、弥生時代後期の環濠と竪穴式住居群も見つかった。なお方形周溝墓の上には、奈良時代以降に住居が建てられており、墓の存在は忘れられていたらしい。出土した遺物は奈良・平安時代ごろと中世のものが目立ち、柱穴などの遺構も多く見つかっていることから、大規模な集落が築かれていたとみられる。
 20日午後2時から牛川小学校北側約200mの西側遺跡(牛川町字西側)で現地説明会が開かれる。問合先は市美術博物館
[参考:東愛知新聞、読売新聞]

備考:牛川町といえば、「牛川人骨」で知られる。
 昭和32年(1957)人骨が見つかった。人骨の年代は、更新世後期(約10万年前)のものと考えられ、現存する化石人骨では国内最古といわれる。
 地図の中心は、牛川人骨が出土した場所(豊橋市牛川町字乗小路)とした。西側遺跡は、この場所から西北に約2kmの牛川小学校北側約200mの地点である。


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