歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

桜井市・纒向遺跡 卑弥呼時代の建物群と柵が出土

2009年03月20日 | Weblog
 桜井市教委が20日、邪馬台国の「最有力候補地」とされる纒向遺跡で、卑弥呼(?~248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵が見つかったと発表した。
 今回の調査地点では、78年度に柵と神殿のような建物跡(約5m四方)を確認していた。
 今回の調査は、区域を約380㎡に広げ今年2月から実施し、前回確認した5m四方の建物跡を凸字で囲む柵列を検出した。柵列は更に南北へ伸び、東に折れ曲がっている。柵は南北23m以上、東西9m以上の範囲を囲っていたことが分かった。総延長は40m以上になるとみられる。
 一帯は約100m四方が付近に比べてやや高い地形。大規模に整地され、柵で複雑に区画していた。
 新たな建物跡(南北6m以上、東西は不明)は、前回確認した建物跡の東側5・2mで見つかった。 新旧出土の2棟は、周囲を巡る凸字形の柵(南北の最大幅約26m)の内側にあった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。
 過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認した。
 3棟は、西端の一棟がある「外郭」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある「内郭」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
 3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。
 当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。このような特異な構造は同時期では例がないといい、王権の中枢施設の一角の可能性があるとする。
 現地説明会は22日午前10時と午後1時から行われる。
[共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞]



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大和郡山市・額安寺 宝篋印塔 解体修理・組立が終り750年前の姿が甦る

2009年03月20日 | Weblog
 古刹・額安寺(大和郡山市額田部寺町)で18日、解体修理を終えた鎌倉時代の「宝篋印塔」の組み立て作業があり、約750年前に造られた当時の姿がよみがえった。
[参考:毎日新聞]
過去の記事・情報
 大和郡山市・額安寺 宝篋印塔の矢跡は中国・寧波がルーツ
 伊賀市・霊山寺 石造宝塔 伊行元の作と判明
 東大寺南大門 石造獅子 中国の石材「梅園石」か
 
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福岡県添田町・陣屋遺跡 700年前の火葬に用いた石室墓が出土

2009年03月20日 | Weblog
 添田町教委は18日、同町中元寺の陣屋遺跡が、奈良~鎌倉時代の墓群だったとする調査結果を公表した。
火葬に用いた石室墓などが見つかっており、町教委は火葬文化が九州に広まった時期を推測できる貴重な発見とする。
 昨年10月から同遺跡の発掘調査をしたところ、2基の石室墓や焼却灰を捨てた3か所の「灰原」、平安時代の5基の「土壙墓」が見つかった。このほか、副葬品の碁石や磁器の破片、木棺に打ち付けたとみられる鉄釘なども多数出土した。
 石室墓は方形で、縦1・3m、横1・9m、深さ40cm。複数の石によって周りが囲まれている。中央に棺を置き、その上にまきをくべて遺体を燃やしたとされる。石に付着した炭化物を調べた結果、使用されたのは1290年頃と推測されることが判明した。人骨は見つからなかったが、武士や僧侶のような有力者を火葬したとみられる。
 遺跡がある地域は大宰府政庁の直轄地だったが、その後、大分・宇佐地方の寺社や地元豪族の支配地になったとされる。
 町教委は22日午後1時半から現地説明会を開く。
[参考:西日本新聞、読売新聞]
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津市・山ノ下古墳群 新たに横穴式石室の古墳3基を確認 22日に報告会

2009年03月20日 | Weblog
 津市教委は22日に、山ノ下古墳群(津市安濃町戸島)で行っている発掘調査で確認された古墳について、市民向けの報告会を開く。
 同古墳群は安濃川中流右岸の標高50―60mの丘陵に位置し、計25基の古墳を確認している。80年代から古墳群を発掘しており、01年までに6、7世紀の古墳15基を確認していた。
 今回、市教委は昨年10月から今年2月まで発掘調査を行い、新たに横穴式石室の古墳3基を確認した。
 3基のうち「B20号墳」は、直径14mの円墳で、横穴式石室は長さ6・6m、幅1・1m、玄室(幅1.1m、長さ3.1m、高さ1.7m)は長さ3.5mの通路につながるが、石積みの段差のため、約60cm通路より低かったことを確認した。周辺の6、7世紀の古墳は石室内で、玄室(埋葬する場所)が通路より約60cm低くなっているという。安濃町地域の古墳の特徴が改めて確認されたとしている。
 三基の石室からは、ほかに、鉄製の鏃、須恵器、玉類などが出土した。
 報告会は22日午後1時半から、津市安濃町の安濃中央公民館で。市教委生涯学習課。
 23日からは同市東観音寺町の市安濃郷土資料館で出土品を展示する。
[参考:3/17毎日新聞、3/19伊勢新聞、3/21読売新聞]
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