桜井市教委が20日、邪馬台国の「最有力候補地」とされる纒向遺跡で、卑弥呼(?~248年ごろ)と同時期の3世紀前半の建物跡(柱穴)や凸字形の柵が見つかったと発表した。
今回の調査地点では、78年度に柵と神殿のような建物跡(約5m四方)を確認していた。
今回の調査は、区域を約380㎡に広げ今年2月から実施し、前回確認した5m四方の建物跡を凸字で囲む柵列を検出した。柵列は更に南北へ伸び、東に折れ曲がっている。柵は南北23m以上、東西9m以上の範囲を囲っていたことが分かった。総延長は40m以上になるとみられる。
一帯は約100m四方が付近に比べてやや高い地形。大規模に整地され、柵で複雑に区画していた。
新たな建物跡(南北6m以上、東西は不明)は、前回確認した建物跡の東側5・2mで見つかった。 新旧出土の2棟は、周囲を巡る凸字形の柵(南北の最大幅約26m)の内側にあった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。
過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認した。
3棟は、西端の一棟がある「外郭」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある「内郭」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。このような特異な構造は同時期では例がないといい、王権の中枢施設の一角の可能性があるとする。
現地説明会は22日午前10時と午後1時から行われる。
[共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞]
今回の調査地点では、78年度に柵と神殿のような建物跡(約5m四方)を確認していた。
今回の調査は、区域を約380㎡に広げ今年2月から実施し、前回確認した5m四方の建物跡を凸字で囲む柵列を検出した。柵列は更に南北へ伸び、東に折れ曲がっている。柵は南北23m以上、東西9m以上の範囲を囲っていたことが分かった。総延長は40m以上になるとみられる。
一帯は約100m四方が付近に比べてやや高い地形。大規模に整地され、柵で複雑に区画していた。
新たな建物跡(南北6m以上、東西は不明)は、前回確認した建物跡の東側5・2mで見つかった。 新旧出土の2棟は、周囲を巡る凸字形の柵(南北の最大幅約26m)の内側にあった。その西側で以前、見つかっていた柱穴は同様の建物跡と分かった。
過去に見つかった建物跡とあわせ、3棟が東西に整然と並ぶことも確認した。
3棟は、西端の一棟がある「外郭」と、凸字形の柵に囲まれた2棟がある「内郭」に分かれた宮殿構造だった可能性もある。
3棟が高台の西端に位置することから、さらに東へ発掘を進めれば、神殿のような中心的な建物が見つかる可能性がある。
当時、方位に合わせて計画的に建てられた例は極めて珍しい。このような特異な構造は同時期では例がないといい、王権の中枢施設の一角の可能性があるとする。
現地説明会は22日午前10時と午後1時から行われる。
[共同通信、産経新聞、毎日新聞、読売新聞]