11月1日公開の『42~世界を変えた男~』は、大リーグ球団と初めて契約したアフリカン・アメリカン、ジャッキー・ロビンソン(当時ブルックリン・ドジャース)と、彼をドジャースに呼び寄せたGMブランチ・リッキーのものがたりである。ロビンソンは、いわゆる『カラー・ライン(バリア)』白人でなければ大リーグ選手になれなかったこと、を破った選手である。その功績をたたえ、彼の背番号は大リーグ全球団で永久欠番となっている。
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ロビンソン選手が大リーグデビューをしたのは1947年のシーズン。4月15日である。でも、カラー・ラインを破ったのは彼だけなのか。第一号の名誉は彼だけのものなのか。実は他にもいるのである。
以下は、決してロビンソン選手の名誉を傷つけるためのものではない。知らなくてもいい知識だが、知っていると、何かに役に立つかもしれない。そういうお話しである。
プロフットボールでは、1946年に4人のアフリカン・アメリカンが契約、デビューしている。アメリカではフットボールは秋冬スポーツ。野球よりも、半年早かったことになる。
ビル・ウイリス(Bill Willis:クリーブランド・ブラウンズ,AAFC)
マリオン・モントレー(Marion Montley:クリーブランド・ブラウンズ,AAFC)
二人は、当時NFLとライバル関係の、AAFCのチーム所属。二人は現役の後半(1950年以降)チームがNFLに加盟したのでNFL選手でもある。
ウイリスは1977年、モントレーは1968年に殿堂入りする。名選手である。
ケニー・ワシントン(Kenny Washington:ロサンゼルス・ラムズ,NFL)
ウディ・ストロード(Woody Strode:ロサンゼルス・ラムズ,NFL)
二人のNFL選手としての契約は、ワシントンは3年間、ストロードは1年間のみである。前者は後にロサンゼルス市警の警察官として働いた。後者はNFL選手生活の後、カナダのフットボールリーグでプレー、プロレスラーにもなっている。映画俳優として大成功した。
3年、1年。短いとはいえ、プロとして契約、フィールドに立ったことはまぎれもない事実なのだ。
ワシントンとストロードは、ジャッキー・ロビンソンと同時期にUCLAフットボールチームでプレーしている。1939年のこと。すごい才能が同じ場所、同じ時代ににいたものである。
なお、2年前に亡くなられた与那嶺要さんがサンフランシスコ・フォーティーナイーズでデビューしたのは、1947年である。彼は初のアジア系プロフットボール選手となっている。
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