以前紹介した、「沖縄発・何でもあり」というサイト。過日ゆいレール延伸工事の新着情報がアップされていることを期待して、久しぶりにチェックさせてもらった。
同サイトの「沖縄再開発」というカテゴリの記事を読み進めたところ、ゆいレールの延伸どころではない記事を読むことができた。2月8日付の記事、『[沖縄再開発]那覇バスターミナル(2016.1)』には、ものすごい情報が出ていた。それによれば、沖縄県営鉄道(軽便鉄道)那覇駅のターンテーブル(転車台)の遺構が出たとのこと。
そんなものが、出たのか。びっくりした。
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もう少しネットで記事検索をかけたところ、沖縄タイムス’15年10月22日の記事が見つかった。
見出し:
軽便鉄道那覇駅の転車台か 再開発地から遺構出土
記事概要:
再開発事業が進められている那覇市泉崎の旧バスターミナル跡から、9月下旬に、軽便鉄道の那覇駅の一部とみられる遺構が出土していた。(21日までに判明)
同地区には2018年までに地下1階、地上11階建ての複合施設を建設予定。
那覇市文化財課:
『事業を進める旭橋都市再開発などと調整し、対応を協議したい。』
戦前に沖縄に存在した軽便鉄道那覇駅の遺構(施設跡)であり、機関車の方向転換に用いられた転車台であると書かれていた。
直径約10m、円形のれんが積み。
一部が壊れている。沖縄戦か旧バスターミナル施設の時、工事で破壊と推測。(同課)
バスターミナル工事前、’15年5月に敷地内を試掘、遺構の有無を調査したものの見つからなかった。9月下旬に同社がモノレール旭橋駅側の歩道を撤去し、地面を掘ったところ、深さ約0.8m~1m地点から発見されたとのことだ。
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「沖縄発」ブログの写真を見る限り、同所は立ち入りは禁止。沖タイによれば現地説明会も開催されたようだ。
この遺構は、日本初の鉄道である「新橋-横浜」開通時の新橋駅遺構にも匹敵すると思う。
鉄道にあまりなじみのない沖縄県で、どのような調査・保存になるか。その文化的な価値を、後世にどう伝えるか考えるべきだろう。
旧那覇バスターミナルが県営鉄道、記事にもある通り軽便鉄道那覇駅の跡地である。写真、その他各種資料も残っている。
加田芳英著、「図説沖縄の鉄道<改訂版>」に、開業当初の那覇駅写真(p.11)があり、ターンテーブルが確認できる。同書p.57に、那覇駅略図が出ているが、ターンテーブルが久茂地川寄りに描かれている。
県営鉄道は1914(大正3)年開業、1945(昭和20)年3月営業をやめている。おおよそ30年間でどの程度施設設備の改築、移築をしたかわからないが、今回出土したものは、写真のそれだと考えていいと思う。かなりの確率で最初からあったもの(の、遺構)だろう。
同ブログに紹介されている写真を見ると、旭橋駅から旧バスターミナルへの歩行者デッキで久茂地川を渡り、ほぼ正面にあたりから遺構は発見されている。僕のブログでも取り上げたことのある場所である。「那覇バスターミナル乗り場一時移転」の2枚目の写真のバス、そのバスが停車している乗り場(茶色の舗装)の地下あたりだと思う。
昨年11月22日、僕は修学旅行引率で那覇市にいた。ゆいレールの車窓から工事現場を見ている。国際通りも県庁・市役所前まで歩いた。この件に気がついていたら、もう少し歩いて、写真を撮れた。
大ショックである。
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参考図書リスト
〇書名
著者(発行)
①図説・沖縄の鉄道<改訂版>
加田芳英(2003/8)
②歩いてみよう!おきなわ軽便鉄道マップ
おきなわ散策はんじゃ会(2008/8)
③ケービンの跡を歩く
金城功(1997/10)
③はアマゾンで「書籍」ではヒットしない。電子書籍は入手可能である。