今回のタイトルは、「~那覇は2つある!?~」である。
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国際通り。那覇市の県庁北口交差点(パレットくもじ前交差点)~安里三叉路にかけての約1.6kmの通りの名称。
沖縄県で最も賑やかな通りで、年間600万人を超える観光客で賑わう。那覇最大の繁華街。
国際通りは、昔から現在のような繁華街ではない。この通りは、1933年(昭和8年)に、旧那覇市中心部と旧首里市を最短距離で結ぶ県道として整備された郊外の一本道。人家は少なく畑や湿地帯が広がっていた。
現在のように繁華街化したのは、第2次世界大戦後のこと。
戦前の那覇の中心は、海のすぐそば、港に隣り合った場所。
これらは沖縄好きとしては、ある程度既知のこと。これら以外に、どんなことを見せてくれるか楽しみにしていた。
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「かつての那覇」、オールド那覇の姿とは。
昔の那覇の中心は海のそばである。「波の上ビーチ」が出てきた。波食窪(notch,波に削られた部分)がある大きな琉球石灰岩。
波上宮も探検。
オールド那覇と王都の首里は、浅瀬に築かれた「長虹堤(ちょうこうてい)」という堤で結ばれていた。街の中にポツンとある緑の小山は、かつて島だったところ。
・・・知らなかった。
これは沖縄以外の場所だと、なんとなく古墳のように見える。ゆいレールに乗ると、車窓から見える。特に美栄橋駅そばのものは、バスケットボールプロショップ・ステップ バイ ステップの黄色い看板が見えたのですぐわかった。駅のほぼ南の緑の場所がそれである。
「御物城(おものぐすく)」跡もぶらぶらした。ここは那覇港内の小島(現在は那覇軍港、陸続き)にあった王府の施設。海外との貿易品などを収めた倉庫である。15世紀中期ごろから史料に見える。
御物城(の場所)は現在アメリカ軍の管理区域になる。一般人は通常立ち入れない。位置関係では、那覇市(那覇港)のランドマークの一つだった巨木のツリーハウス(「島野菜としゃぶしゃぶ がじゅまる」)から、国道331号線を越えて港を見る方角になる。
ブラタモリでも紹介していたが、地図は仮に御物城へ行く場合のルートを示している。【警告】上陸を試みた場合、命の保証はない。
なお、「がじゅまる」は国際通りに移転、建物は昨年取り壊された。
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「新しい那覇」発展の秘密とは。
「壺屋やちむん通り」をぶらたもり。
僕はかなり沖縄(那覇)に出向いているのに、ここは出向いたことがない。戦後、食器づくりからニュー那覇の発展がはじまったとまとめていた。
平和通り商店街~むつみ橋通り~ガーブ川。このあたりも出向いたことはないなあ。
何のことはない、僕は那覇のことなんて、な~んにも知らないのだ。まだまだ出向く楽しみの余地が多いようだ。
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長虹堤
1451年、琉球王国が建設。全長約1kmの堤防と橋からなる道路。
ネットで検索すると、様々な資料がみつかる。一般社団法人「沖縄しまたて協会」の建設情報誌「しまたてぃ」(2002年10月号)、「長虹堤の跡を追って」(福島駿介流大教授,執筆時)の論文がわかりやすい。
御物城
長官は鎖之側(役職名,「さすのそば」と読む)という。海外貿易の衰退により18世紀初期にはすでに廃されていた。(出典:琉球新報ウェブサイト他)
御物城の位置情報(東経・北緯)は、以下より得た。
岡本弘道の海域アジア史漂流
〜琉球と海域アジアの歴史研究のために〜
http://www.maritime-asia.net/index.html
「がじゅまる」の元の位置は、沖縄県那覇市奥武山46。
現在は国際通り(沖縄県那覇市牧志1-2-31 ハイサイおきなわビル2F)に移転して、営業中とのこと。