全英連参加者のブログ

全英連参加者の、言葉やその他諸々についての雑感... 不定期更新です。

5月15日 沖縄 復帰50周年記念式典 沖縄県知事式辞

2022-05-15 20:00:00 | 気になる 沖縄

沖縄県旗 はいさい、ぐすーよー ちゅーうがなびら。みなさま、こんにちは。本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、政府との共催の下、沖縄復帰50周年記念式典を開催できますことは、等しく県民の喜びとするところであります。
 岸田文雄内閣総理大臣、細田博之衆議院議長、山東昭子参議院議長、大谷直人最高裁判所長官をはじめ、ラーム・エマニュエル駐日米国特命全権大使、平井伸治全国知事会会長、そして多数の御来賓のご臨席を賜り、沖縄県民を代表して心から感謝を申し上げます。
 沖縄県は、日本本土と東アジアおよび東南アジアの海域の中心に位置し、古くからアジア諸国との貿易で栄え、たくさんの国々との交流の中で、多様性に富んだ独特の文化を育み、その歴史を刻んできました。
 しかしながら、先の大戦においては凄惨極まる地上戦により、20万人を超える尊い命だけではなく、貴重な文化財や県民の財産のほとんどが失われるなど、県民は耐えがたい苦難を経験しました。
 その後、サンフランシスコ講和条約の締結による米国民政府の統治が、戦後27年間にも及び、産業の発展は立ち遅れ、パスポート無しでは日本本土への渡航も許されない時代が続きましたが、県内外で沖縄の日本復帰を願う全ての方々の努力や、佐藤栄作元総理大臣をはじめとする政府関係者の皆さまのご尽力が実り、50年前の本日、昭和47年5月15日に日本復帰を果たしました。
 1972年からの5次にわたる沖縄振興計画等により、社会基盤の整備等によって本土との格差は縮小され、社会経済は着実に進展しました。
 また、観光関連産業や情報通信産業等の成長が沖縄経済をけん引し、那覇空港第2滑走路の増設等、今後の沖縄の発展がますます期待されております。
 他方、1人当たり県民所得は全国平均の水準に達しておらず、自立型経済の構築はなお道半ばにあるとともに、子どもの貧困や離島における不利性、脆弱な産業構造など、依然として克服すべき多くの課題が残されています。
 沖縄県では、平成22年に策定した将来のあるべき沖縄の姿を描いた「沖縄21世紀ビジョン」の実現に向け、令和4年度からの10年を期間とする「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」を策定しました。本計画を着実に推進し、本県の自立的発展と県民一人一人が豊かさを実感できる「誰一人取り残さない社会」の実現に向けて取り組んでまいる所存であります。
 他方、復帰から50年たった現在も、わが国の国土面積の0.6%に過ぎない沖縄県に全国の在日米軍専用施設面積の70.3%が集中し、米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けております。
 そのため、沖縄県は本土復帰にあたって沖縄県と政府が共有した「沖縄を平和の島とする」という目標が、復帰から50年たってなお達成されていないことに鑑み、復帰50周年の節目に「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を日本政府および衆参両議院へ建議するとともに、米国政府に対し協力を求めました。
 政府におかれましては、沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図っていただき、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて誠心誠意取り組んでいただきますよう申し上げるものであります。
 我した「沖縄」には、大きな可能性や潜在力が秘められています。
 世界に誇る多様な自然環境を有しており、令和3年7月には「沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産に登録されました。
 点在する多数の島々からなる広大な海域は、日本の国土総面積に匹敵し、広大な海洋から得られる多様な資源と多大な恩恵は、新たな発展に貢献できる、独自の可能性を有しております。
 私たち沖縄県民は、子や孫たちのために、豊かな自然を守り、県民一人一人が生きがいを感じられ、人と人とのつながりとチムグクルを大切にし、万国津梁の精神のもとアジア太平洋地域の持続的安定と平和に貢献し、われわれ県民が描く自立と自主性が尊重された「時代を切り拓き、世界と交流し、ともに支え合う平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向かってさらに力強くまい進してまいります。
 結びに、天皇皇后両陛下の御健勝と、皇室の弥栄を心から御祈念申し上げますとともに、岸田文雄内閣総理大臣をはじめ、本日、沖縄会場ならびに東京会場に御参列いただいた皆さま、146万沖縄県民のますますの幸せを願って、式辞といたします。

令和4年5月15日 沖縄県知事 玉城デニー


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5月15日 沖縄 復帰50周年記念式典

2022-05-15 17:00:00 | 気になる 沖縄

 天皇陛下のお言葉(オンラインにて御臨席)
沖縄県・赤丸は那覇市 島嶼部は省略しています。 沖縄復帰50周年に当たり,本日,沖縄と東京をオンラインでつなぎ,記念式典が開催されることを誠に喜ばしく思います。
 先の大戦で悲惨な地上戦の舞台となり,戦後も約27年間にわたり日本国の施政下から外れた沖縄は,日米両国の友好と信頼に基づき,50年前の今日,本土への復帰を果たしました。大戦で多くの尊い命が失われた沖縄において,人々は「ぬちどぅたから」(命こそ宝)の思いを深められたと伺っていますが,その後も苦難の道を歩んできた沖縄の人々の歴史に思いを致しつつ,この式典に臨むことに深い感慨を覚えます。
 本土復帰の日,中学1年生であった私は,両親と一緒にニュースを見たことをよく覚えています。そして,復帰から15年を経た昭和62年,国民体育大会夏季大会の折に初めて沖縄を訪れました。その当時と比べても,沖縄は発展を遂げ,県民生活も向上したと伺います。沖縄県民を始めとする,多くの人々の長年にわたるたゆみない努力に深く敬意を表します。
 一方で,沖縄には,今なお様々な課題が残されています。今後,若い世代を含め,広く国民の沖縄に対する理解が更に深まることを希望するとともに,今後とも,これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ,豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています。
 美しい海を始めとする自然に恵まれ,豊かな歴史,伝統,文化を育んできた沖縄は,多くの魅力を有しています。沖縄の一層の発展と人々の幸せを祈り,式典に寄せる言葉といたします。

 岸田首相の式辞全文
 本日、天皇皇后両陛下のオンラインでのご臨席を賜り、東京、沖縄それぞれの会場に内外から多数の賓客のご参列をいただいて、沖縄県との共催の下で沖縄復帰50周年記念式典を挙行できることは、大変喜ばしいことであり、沖縄県民のみならず、全ての日本国民にとって、誠に意義深いことと考えます。
 昭和47(1972)年5月15日、沖縄は本土復帰を果たしました。
 先の大戦で地上戦の舞台となった沖縄は、戦後、連合国による我が国の占領が終了した後も、長きにわたり、米国の施政下に置かれました。沖縄復帰は、このような苦難を乗り越え、沖縄県民そして国民全体の悲願として実現したものです。戦争によって失われた領土を外交交渉で回復したことは史上まれなことであり、日米両国の友好と信頼により可能となったものでした。
 この50年、沖縄は着実に発展の歩みを進め、政府は5次にわたる振興計画や各種の特別措置等を講じ、その歩みを後押ししてまいりました。
 復帰から50年を迎える本日、沖縄の歩んだ歴史に改めて思いを致し、沖縄県民のひたむきな努力に深甚なる敬意を表したいと思います。
 アジアの玄関口に位置する地理的特性。亜熱帯の豊かな自然。独自の歴史の中で育まれてきた国際色豊かな文化や伝統。これらはいずれも沖縄ならではの魅力・可能性です。一方で、1人当たり県民所得の向上、子供の貧困の解消などの課題は、今なお残されております。
 全会一致で成立した改正沖縄振興特別措置法等の政策手段により、沖縄の潜在力を最大限に引き出し、「強い沖縄経済」を実現してまいります。
 「強い沖縄経済」の実現には沖縄産業の高度化・高付加価値化が重要です。私も担当大臣として創設に深く関与した沖縄科学技術大学院大学(OIST)では、多様な研究者や学生が切磋琢磨(せっさたくま)する中で、真理を追究しています。このOISTにおける量子、バイオなど幅広い分野に係る世界最高水準の教育研究を推進し、また、その成果が社会に還元されるよう強力に支援します。
 開業率が全国トップの沖縄は、創業意欲にあふれる地です。地元や民間の熱意により既に成果が出つつある取り組みをさらに後押しするため、科学技術スタートアップの拠点構築や支援を推進・強化します。
 さらに、那覇空港第2滑走路や名護東道路など、重点的に整備してきたインフラを最大限活用し、観光業をはじめ沖縄産業の振興に取り組みます。
 沖縄の更なる発展の鍵は、未来を担う子供たちにあります。引き続き、子供の貧困対策を沖縄振興の重要課題の一つと位置付け、着実に取り組みを進めます。人材育成の充実を図るため、地域ニーズを踏まえつつ、国立沖縄高専における観光等のプログラムの新設に向けた取り組みを進めます。
 沖縄が独自の歴史の中で育んできた文化や伝統は、大きな魅力であり、沖縄は、国際的な交流拠点として大きな可能性を秘めています。
首里城イラスト(byイラスト沖縄) 「万国津梁(ばんこくしんりょう)」の精神の下、島しょ地域に共通する課題の解決に貢献できる国際的な人材の育成や人材交流等を推進し、平和創造の拠点としての沖縄の発展、国際的なネットワークの形成を目指してまいります。また、沖縄の象徴であり、県民の皆様の誇りである首里城の正殿について、令和8(2026)年秋の完成を目指し、本年11月に建築に着手し、関連のセレモニーを開催いたします。
 復帰から50年がたつ今もなお、沖縄の皆様には、大きな基地負担を担っていただいています。政府として、このことを重く受け止め、引き続き、基地負担軽減に全力で取り組んでまいります。
 在日米軍施設・区域の整理・統合・縮小を進めており、返還された跡地は、沖縄の将来の発展のためにご利用いただくものになります。その一環として、キャンプ瑞慶覧(ずけらん)のロウワー・プラザ住宅地区については、返還に先立って、緑地公園として県民の皆様にご利用いただくことを、近く日米間で合意いたします。来年度中の利用開始に向け、必要な準備を進めてまいります。
 これからも、日米同盟の抑止力を維持しながら、基地負担軽減の目に見える成果を一つ一つ着実に積み上げてまいります。
 復帰から50年という大きな節目を迎えた今日、私は、沖縄が、アジア太平洋地域に、そして世界に、力強く羽ばたいていく、新たな時代の幕が開けたことを感じています。
 復帰から今日に至る沖縄県民のたゆまぬ努力と先人たちのご尽力に改めて敬意を表するとともに、世界の平和と沖縄の更なる発展を祈念し、私の式辞といたします。


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5月15日 沖縄

2022-05-15 04:00:00 | 気になる 沖縄

 過去何度か取り上げた「昭和四十六年法律第百二十九号 沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」の、学校関係の条文を読んでみる。


第五節 文部省関係

(沖縄の学校その他の教育機関に関する経過措置)
第九十四条 この法律の施行の際沖縄の学校教育法(1958年立法第3号)の規定により設置されている学校又は各種学校は、政令で定めるところにより、学校教育法(昭和22年法律第26号)の規定による学校又は各種学校となるものとする
2 この法律の施行の際琉球政府又は教育区の設置する学校その他の教育機関(沖縄法令の規定による琉球大学及び琉球大学短期大学部を除く。)は、それぞれ沖縄県又は当該教育区と区域を一にする市町村の設置する学校その他の教育機関となるものとする

(沖縄の学校の卒業者の卒業資格等)
第九十五条 沖縄の学校教育法による小学校、中学校、高等学校、大学、盲学校、聾ろう学校若しくは養護学校を卒業し、又はこれらの学校の課程若しくは修業年限の一部を修了した者は、学校教育法による相当の学校を卒業し、又はこれらの学校の相当の課程若しくは相当の修業年限の一部を修了した者とみなす
2 昭和21年1月29日から沖縄の学校教育法の施行の日の前日までの間に沖縄に存在した学校で学校教育法第一条に規定する学校における教育に相当する教育を行つたものを卒業し、又はその課程の一部を修了した者の資格に関し必要な事項は、文部科学省令で定める。


 下線は僕が付したもの。

 第94条で復帰前に現に存在する(した)「学校又は各種学校」は、学校教育法の規定による学校又は学校になると定めている。復帰の日をもって、規定する法律が変わることになる。

 はじめてこの法律を読んだとき、やはり印象的だったのは第95条だ。第95条は「沖縄の学校の卒業資格等」を規定している。わざわざ条文を設け「同じ」に扱うと定めている。復帰前も沖縄の児童生徒が、本土の学校に転校、入学していたはずだが、この条文を読むと、彼ら彼女たちが置かれていた立場の大変さを考えさせられた。
 なお、「みなす」については、『昭和四十七年文部省令第二十八号 沖縄の復帰に伴う文部省関係省令の適用の特別措置等に関する省令』に一覧表がある。

  この政令の元になる「昭和四十六年法律第百二十九号 沖縄の復帰に伴う特別措置に関する法律」について、僕は15年前「沖縄返還35周年」に書いている。

 あれから15年である。


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