はいさい、ぐすーよー ちゅーうがなびら。みなさま、こんにちは。本日ここに、天皇皇后両陛下のご臨席を仰ぎ、政府との共催の下、沖縄復帰50周年記念式典を開催できますことは、等しく県民の喜びとするところであります。
岸田文雄内閣総理大臣、細田博之衆議院議長、山東昭子参議院議長、大谷直人最高裁判所長官をはじめ、ラーム・エマニュエル駐日米国特命全権大使、平井伸治全国知事会会長、そして多数の御来賓のご臨席を賜り、沖縄県民を代表して心から感謝を申し上げます。
沖縄県は、日本本土と東アジアおよび東南アジアの海域の中心に位置し、古くからアジア諸国との貿易で栄え、たくさんの国々との交流の中で、多様性に富んだ独特の文化を育み、その歴史を刻んできました。
しかしながら、先の大戦においては凄惨極まる地上戦により、20万人を超える尊い命だけではなく、貴重な文化財や県民の財産のほとんどが失われるなど、県民は耐えがたい苦難を経験しました。
その後、サンフランシスコ講和条約の締結による米国民政府の統治が、戦後27年間にも及び、産業の発展は立ち遅れ、パスポート無しでは日本本土への渡航も許されない時代が続きましたが、県内外で沖縄の日本復帰を願う全ての方々の努力や、佐藤栄作元総理大臣をはじめとする政府関係者の皆さまのご尽力が実り、50年前の本日、昭和47年5月15日に日本復帰を果たしました。
1972年からの5次にわたる沖縄振興計画等により、社会基盤の整備等によって本土との格差は縮小され、社会経済は着実に進展しました。
また、観光関連産業や情報通信産業等の成長が沖縄経済をけん引し、那覇空港第2滑走路の増設等、今後の沖縄の発展がますます期待されております。
他方、1人当たり県民所得は全国平均の水準に達しておらず、自立型経済の構築はなお道半ばにあるとともに、子どもの貧困や離島における不利性、脆弱な産業構造など、依然として克服すべき多くの課題が残されています。
沖縄県では、平成22年に策定した将来のあるべき沖縄の姿を描いた「沖縄21世紀ビジョン」の実現に向け、令和4年度からの10年を期間とする「新・沖縄21世紀ビジョン基本計画」を策定しました。本計画を着実に推進し、本県の自立的発展と県民一人一人が豊かさを実感できる「誰一人取り残さない社会」の実現に向けて取り組んでまいる所存であります。
他方、復帰から50年たった現在も、わが国の国土面積の0.6%に過ぎない沖縄県に全国の在日米軍専用施設面積の70.3%が集中し、米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けております。
そのため、沖縄県は本土復帰にあたって沖縄県と政府が共有した「沖縄を平和の島とする」という目標が、復帰から50年たってなお達成されていないことに鑑み、復帰50周年の節目に「平和で豊かな沖縄の実現に向けた新たな建議書」を日本政府および衆参両議院へ建議するとともに、米国政府に対し協力を求めました。
政府におかれましては、沖縄の本土復帰の意義と重要性について国民全体の認識の共有を図っていただき、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて誠心誠意取り組んでいただきますよう申し上げるものであります。
我した「沖縄」には、大きな可能性や潜在力が秘められています。
世界に誇る多様な自然環境を有しており、令和3年7月には「沖縄島北部および西表島」が世界自然遺産に登録されました。
点在する多数の島々からなる広大な海域は、日本の国土総面積に匹敵し、広大な海洋から得られる多様な資源と多大な恩恵は、新たな発展に貢献できる、独自の可能性を有しております。
私たち沖縄県民は、子や孫たちのために、豊かな自然を守り、県民一人一人が生きがいを感じられ、人と人とのつながりとチムグクルを大切にし、万国津梁の精神のもとアジア太平洋地域の持続的安定と平和に貢献し、われわれ県民が描く自立と自主性が尊重された「時代を切り拓き、世界と交流し、ともに支え合う平和で豊かな『美ら島』おきなわ」の未来に向かってさらに力強くまい進してまいります。
結びに、天皇皇后両陛下の御健勝と、皇室の弥栄を心から御祈念申し上げますとともに、岸田文雄内閣総理大臣をはじめ、本日、沖縄会場ならびに東京会場に御参列いただいた皆さま、146万沖縄県民のますますの幸せを願って、式辞といたします。
令和4年5月15日 沖縄県知事 玉城デニー