<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
宇宙エンタメ前哨基地



国軍によるクーデータに注目が集まるミャンマー。
この10年間、急速に民主化が進み、タイやベトナムに並ぶ人口と豊富な天然資源、何にも増して乏しいが優秀な人材が多い国として注目が集まっていた。「東南アジア最後の開拓地」とも呼ばれていただけに今回のクーデターは政治だけではなく経済界や文化面に大きなショックとなっている。
私も少なからずショックだ。
軍隊たるものシビリアンコントロールのもとで機能しなければならず、ましてや自国民に銃口を向けるなど言語道断。
正直時代錯誤もいい加減にしろといいたい。

ミャンマーの人たちにとっては当然これは大問題であり歴史は後戻りができないところに来ているのに、後戻りしろとは許されるものではないに違いない。

一方、日本はあいかわらず。
アメリカのバイデン大統領がどうしたの、EUがどうするの、中国が背景にいるの、と他人事のように報道するマスメディアと他人事のように眺めている日本人のなんと多いことか。
なんで自分のことを決めるのに周りの顔色を伺うのか。
小学校の学級会とは違うはず。
そもそもミャンマー国軍は私たち日本がその種を蒔いて芽吹いた存在だからだ。

ミャンマー国軍はスー・チー女史のお父さんであるアウンサン将軍がバー・モウやその他当時の有力ミャンマー人たちとともに結成したものだが、それを主導したのはボー・モジョこと鈴木大佐を現地工作員とする大日本帝国陸軍なのであった。
陸軍は鈴木大佐に指示を出し、英国を撹乱するためにミャンマーの独立を画策。
1943年にバー・モウ博士を首相に日本はミャンマーを独立させることに成功するが、この時にアウンサンや後に軍事独裁の礎を作ったネ・ウィンら30人の優秀な若者を当時日本の占領地であった中国の海南島で軍事調練し、軍を作った。
やがて日本の戦況が不利になってきていよいよという時に鈴木大佐の助言もありミャンマー軍は日本軍に反旗を翻して英国に味方する。
この時のリーダーがアウンサンなのだ。
鈴木大佐はミャンマーへの肩入れし過ぎを咎められ本国へ召喚されるが、そもそも日本がこんなことをしなかったら今の軍は違った形になっていただろう。
この屈折した情勢は終戦後、アウンサン暗殺やネ・ウィンの独裁、中華系、インド系追放政策などミャンマーの現在の政治情勢のもととなる数々の事件を生み出すことになるのだが。
それでも戦後、本当の独立をしたミャンマーは日本が国際社会に復帰する時、お隣タイと一緒に率先して圧してくれた重要な国の一つだが、それも軍の設立同様知らない人が多い。

テレビの報道でミャンマー人のデモ参加者が日本大使館の前に来て「日本、私達を支援して!」と叫んでいるニュースが流れていた。
なぜなのか?
歴史を少ししっていると日本に対するミャンマーの人たちの心情が感じられて日本人として心が痛む。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




優生保護法が憲法の人権侵害に当たるのかどうかが今日、東京地裁で判決がでる。

「不良な子孫を残さない」という考え方で立法化された優生保護法だが、誰がこんな法律をだしたのかというと日本社会党なのであった。
当時、日本社会党は占領軍の方策もあって好き勝手なことを展開したのだが、その好き勝手な2つのうちの一つが優生保護法だったといってもいい。
ちなみにもう1つは農地開放。
遺伝的に欠陥があると思われる不良な子孫を残さないようにするために不妊手術や中絶をする。
そんな無茶な考えはないのであって「日本人は減っても構わない」という占領軍の法律とも合致して立法化されたのだろう。

それにしても大に嗤えるのはこのことだ。
いつもはこの手の裁判には被害者支援を叫ぶ社民党は全くだんまりを決め込んでいる。
その理由はこういうところに原因がある。

パチンコ屋。
北朝鮮拉致問題。

モリカケやサクラには大声を挙げて糾弾するのだが臭いものには蓋をするのがこの人達のやり方だ。
ちなみに消費税も社会党政権下で税率3%が4%に増税された。
そもそも導入に反対していた消費税に便乗しての増税だった。

何をやってもろくな事はない。
中国共産党もその一つ。
恥を知らない政党は社会に負の遺産を残していく。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




今年の秋でJR西日本の新快速電車が走りはじめて50年を迎えるのだという。

この新快速電車、何で有名かというと早いことで有名なのだ。
大阪〜京都 約30分。
大阪〜三宮 約20分。
大阪〜姫路 約60分。
いずれも在来線の特急なみである。

阪神大震災以降に停車駅が増えたことと、宝塚線の転覆脱線事故以降に若干のスピードダウンを図ったため所要時間が少し伸びてしまったのだが、それでも在来私鉄を圧倒する速さなのだ。
なんでも最高時速は130km/hなのだという。
乗っているときは車両が新しいこともあって揺れをあまり気にすることがないのでスピード感はあまりない。
それでも阪急や京阪なら45分以上必要な大阪〜京都間を15分以上短縮した時間で走破するのは運賃が多少高いことを考えてもメリットはある。
新快速よりも早く大阪から京都まで行こうと思うともはや選択肢は新幹線しかない。
特急サンダーバードに乗ったとしても所要時間は新快速と同じがそれより遅いという信じられないダイヤ編成なのだという。

この新快速電車。
東は福井県の敦賀か滋賀県の彦根、西は播州赤穂まで走っているのだが、かつて私の住んでいる大阪府南部も走っていたことがある。
天王寺〜和歌山間のJR阪和線で、天王寺を出ると鳳駅にしか途中停車せず、そのまま和歌山まで行ってしまうという優れものなのであった。
これは阪和電鉄時代の特急を模倣したものであったのだろうか、天王寺から和歌山までの所要時間は多分40分。
南海の難波〜和歌山が約60分なので大阪〜京都同様ぶっ飛ばしである。

当時私は堺市駅を最寄りとしていた。
このため利用駅を通過する新快速電車にはいささか関係なしの不自由さを感じながらも大胆な停車駅に「大丈夫かいな」と子供心に感じていた。
大丈夫かいな、というのは途中一駅しか停車しないし、しかも終点は和歌山というような電車をどれほどの人が利用するのか。
大いに疑問であったからだ。

当時はまだJRではなく国鉄時代。
浮世ずれした国鉄エリートのマーケティング担当がアホなダイヤを組んだのであろう。
子供だった私の予想通り、1年ほどしか存在できない幻の新快速電車になってしまったのであった。

そもそも和歌山の方には申し訳ないが和歌山は産業が偏っている。
例えば和歌山市の面積の3分の1は住友金属工業和歌山製鉄所であり、その製鉄所の隣に製鉄所の3分の1ぐらいの広さの花王和歌山工場がある。
この2社で和歌山市の圧倒的面積を占めているため移動する人が極めて限られる、というところに問題があったと思う。
今も問題だと思う。
で、その2社以外はほとんどが農業と漁業、林業の地域なのだ。
和歌山の一次産業はすごい規模なのだが農業や漁業、林業関係者はたぶんあまり電車を利用することはない。
したがって御三家のお膝元ながら和歌山は京都や神戸と比べると交通機関のマーケットの魅力としては雲泥の差があるわけだ。

ともあれ新快速50年。
京阪神ならではの電車なのだ。




コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




新聞を読んでいたら非常事態宣言をしているのに外出して街に遊びに来たという52歳男性の言葉が載っていた。

「せっかくの休みなのに家に居るのは嫌なので出てきました。これからあちこち回るつもりです」

緊急事態宣言の意味がよくわかっていないのか、単なる反抗期を迎えた悲しい中年男なのか。
インタビューは東京でとられたものだったが大阪にも、福岡にも同様の輩は居るもんだろうと思うと、現行法制下の日本では緊急事態に対応できないのが在々でいかにももどかしい。

反抗期を迎えたおっさんのインタビューを読んでつくずくそう思ったのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




明日4月7日に7都府県で緊急事態宣言が発せられるという。
東京と大阪。
それぞれその近隣ということだろうか。

措置は学校の休校、人が集まる場所の休業。
そして生活必需品以外の買い物の外出「自粛」。
などなど。
仕事の継続についても「自粛」なんだそうだ。
私の付き合いのある中小企業は皆「営業します」との回答。

この法律は諸外国のものと比べても非常にゆる〜い内容で果たして効果があるのかどうか疑わしい。

だから発令してこなかったのか。
平和ニッポンの真骨頂ここにあり。

「わしら子供じゃったが、国家総動員法の方が大変じゃ。」
親父の一言に戦前世代のパワーを感じたのであった。




コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






新型コロナウィルスは観光産業を崩壊へ導いているのだろうか。

先日2週間ほどの間隔を開けて京都の清水・産寧坂、嵐山と訪れてきてそこそこ旅行客を目にして微かな安心感を受けたのだが、先週、奈良公園を訪れてみると夕方だったこともあり動くものと言えば鹿ぐらいしか見当たらず、商店街の奈良町も開店休業の状態なのであった。
奈良は京都と比べると平常時でも地味ではある。
外国人観光客が増え始めたのも京都に遅れることつい数年前の話で昨年は鹿に悪戯をする中国人や韓国人観光客のマナーの悪さが話題になっていたくらいなのだった。

興福寺のあたりといえば春先の今頃は観光客がぞろぞろ来ているはずだが県庁前から五重塔を抜けて猿沢の池に出るまで、出会った人は数人なのであった。
鹿でさえ歩いておらず芝生に座り込みむしゃむしゃと反芻を繰り返していた。

私はどちらかという京都よりも奈良の方が圧倒的に好みなので、静かな奈良は大いに結構だがここまでくると寂しさを通り越して災害と言えるだろう。
事実、災害なのだ。

奈良が都であった天平時代。
首都奈良を中心に日本全土を恐るべしパンデミックが襲った。
そのパンデミックとは天然痘なのであった。
亡くなった人は当時の日本の人口の三分の一と言われていて100万人を越える。
パンデミックの収束には数年の時間を要し、国は想像を絶するダメージを受けた。
科学知識のない時代。
この恐るべし伝染病に対決するための有効な手段はなかった。

このパンデミックが収束が見えてきた時、時の聖武天皇は仏教を尊び釈迦の教えに国民救済を祈られた。
そして日本史上初となる国民のための仏教寺院東大寺が勅令により建立された。
奈良の大仏様は伝染病に疲弊した国民を立ち直らせ安寧を祈るために作られたのだった。

などどということを少しも考えずにただ「人、少ない。お店気の毒」と思いながら大阪への家路についたのであった。






コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




いつもなら大阪〜東京の出張は飛行機を利用するのだが、その日は自腹で移動ということもありできる限り安いチケットを購入したため新幹線での移動となった。
新幹線のぞみ号新大阪(大阪市内)〜東京(東京都区)往復指定席乗車券と東京メトロ+都営地下鉄24時間乗り放題切符と東京スカイツリー展望デッキ入場券がセットになった日本旅行の日帰りツアーチケットで〆てお値段17800円なのであった。
東京〜大阪の新幹線だけでも普通は片道14000円ほどかかるので、いかにお得なのかが良く分かるチケットなのであった。

自腹の場合はLCCを利用する方針だったのだが、成田空港と都内の往復に2000円強、ピーチが第三ターミナルに引っ越したなどの要因を考えるとLCCがちっともお得ではないということを証明するツアーチケットなのであった。

尤も、仕事なので東京スカイツリーのチケットはどうなのよ、という感じなのだが、電車の時間に余裕があったのでちゃんと押上まで移動してスカイツリーに登ってきたのは言うまでもない。

で、この日。
いつもの飛行機で羽田と往復していたら私は自宅に帰ることができなかったのだ。

私はいつも東京からの帰りはANAとスターフライヤー共同運行の羽田発大阪行最終便21:30発を利用するのだが、この日は例のドローン事件で当該便は関空に着陸することができずに羽田に戻っていたのであった。
私はめったに使わない新幹線を経費節減を理由に利用した幸運を喜んだ一方、世界屈指の国際空港の一つの上をドローンを飛ばす輩は即刻逮捕し大阪湾の藻屑とすべきだと考えたのは言うまでもない。

このドローン。
正直言って一般ルートでの販売を禁止してすべて免許登録制にしてはどうかと以前から思っている。
ちゃんと講習を受けて試験を受けて合格した人のみが所有し操作することができる。
販売される機体も大小に関係なくすべて登録制。
飛行時は機体の機種や所有者が確認できる信号を発信することを義務付け、当然飛行プランの提出も必要にする。

「そんなことをしたら写真撮影など気軽にできなくなるじゃないか」
と、言う人も現れるかもしれない。

でも、できないで結構である。
写真を取りたいのであればちゃん手続きすればいいわけだし、免許も取ればいいわけだ。
それにドローンを使って何をするんだ?
今までドローンがなくても写真ぐらい撮影することはわけなかったのだから。

反対にドローンが今回のような業務妨害に使われたり、テロに利用される方がよっぽど恐ろしい。
社会的リスクがある。

例えば市販のカメラを搭載できるぐらいのドローンであればコップいっぱいのガソリンを運ぶこともできよう。
そういうガソリンを積んだドローンを群衆の中に墜落させたり、離陸しようとしている飛行機のエンジンに突っ込まさせたりしたらどうなるか。
推して知るべしであろう。

ということで固い話かもしれませんが、ドローンなんか許認可制で十分。
誰でも無許可で使えていいものではないのだ。



コメント ( 2 ) | Trackback ( 0 )




表現の不自由展が条件付きで再開された。
不自由だからこそ制限を加えて開示するというのは、悪いシャレ以外の何物でもないような気がするのだがどうなんだろう。

最も議論を呼んでいるのは昭和天皇の肖像焼き払い踏みつけ画像と韓国の売春婦像。

そもそも昭和天皇の肖像画を踏みつけるのは自分たちの父や祖父の写真を踏みつけるのと同じではないのか。
そんなことして喜ぶ家族はどこにいるのか、主催者に訊いてみたい。
また「慰安婦」という像があるがあれは売春婦だ。
韓国は今も新宿や六本木、ミナミや京橋あたりのフーゾク街におけるフーゾク労働者の最大人材供給国という見方もあり、あれはあれで彼の国の伝統産業である。
それを「慰安婦」と持ち上げている感覚がすでにおかしいのがわからないのは、これまたいかがなものか。

今回とは趣旨は違うが海外の有名美術館の名前を被して「愛知〇〇〇〇美術館」なんてのを作る土地柄なので、仕方がないのかも。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )






この本を書店で見つけた時、
「これはなにやら面白そうだ」
という予感がした。
面白そうな本は「面白いよ」というオーラを放っている。
それは新聞や雑誌の書評、広告に影響されることなく威厳のように漂っているものだ。
この本もタイトルに秘められた謎が大いにそのオーラを発散していたのだ。

ヘンリー・ペトロフスキー著「フォークの歯はなぜ4本になったのか」はまさにそういう一冊なのであった。
私たちが日常使っているもの。
表題にあるように例えばフォークやジッパー、ポストイットなどがどのようなきっかけで生まれ、デザインされ、改良され、商品として出回っきたのかということを語っている。

フォークは人がナイフで食べているところからスタートしたという。
でもナイフだと後ろから「おっ!」とか言って食べている最中に後頭部を叩かれたりすると悲劇が起こりかねない。
このようにナイフの悲劇を避ける、というか、そんな鋭いものではなくモノを固定するため、口に運ぶためだけの役目でフォークが誕生した。
その歴史はカトラリーの歴史である。
もしかすると本書よりも詳しい書籍があるのかもしれないが初めて知る者(私)には新鮮で大いに驚くものがあった。
ジッパー、ポストイット、アルミ缶などどれもこれも普通に存在しているにも関わらず生まれは他の商品と同じく難産で、その過程はプロジェクトXもびっくりな血と汗と欲と涙の塊だ。

今回様々なモノの誕生を知ったわけだが、最も印象に残ったのが缶詰の物語。

食物を保存する手法として誕生した缶詰。
その最初の商品に使われていた鉄板はなんと5mmもあったのだという。
ものを保存するために密閉性を保たなければならない缶詰は試行錯誤の中で誕生。
容器に入った食物を光熱で殺菌処理するところは現代と同じだが、その圧力や熱に絶えうるために使用した鋼板のなんと厚いことだろう。
5mmの鋼板というと1メートル角だと16キログラム弱もある。
現在の規格寸法の鋼板だと4.5mm厚さというのが一番ちかいものになるが、よほどの強度を要求するものではないかぎり使用されることはない。
だから最初の缶詰は開封するのも一苦労。
だから缶詰は専用の器械で開封するためお店にお願いしないと行けなかったのだという。
しかも時にライフルを使って破壊していたのだともいい、なんのための缶詰なのかわからなくなる。
これではまるで紛失防止チェーンのついたコードレス電話みたいなものだ。

他にもジッパーの開発話がなかなかな感動ではあるが、あとは読んでのお楽しみ。

素敵なデザイン読み物なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )




最近は私の地元を走っている南海電車よりも出張先の京急線や東急線を利用することが多い。
地元ではJRを利用しているからなのだが。
それだけに昨日発生した京急線の事故はリアルで衝撃的なのであった。
しかも事故が起こる少し前、私は京急線で羽田空港から仲木戸駅へ。
そこからJR横浜線に乗り換えるという移動をしていたものだからびっくりしてしまったのだ。

いま、横浜市内某所にいるのだが今日の帰りに羽田へ行くにはどうすれば良いのか思案している。
川崎までJRで行って、動いているかもしれないそこから北側の京急線に乗り換えるのか。
それとも浜松町まで移動してモノレールを利用するのか。
それともそれとも横浜駅から空港バスに乗るのか。

京急線。
こうなってみると羽田アクセスの重要な路線なのであった。


コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )



« 前ページ 次ページ »