<新・とりがら時事放談> 旅・映画・音楽・演芸・書籍・雑誌・グルメなど、エンタメに的を絞った自由奔放コラム
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やがてヤンゴンへの便は四番ゲートから出発することディスプレイに表示された。
何もすることがない私は、出発ゲート前のベンチで待つことにした。

実のところ私はバンコクからヤンゴンへは近いこともあり、さほど大きな飛行機が飛んでいるわけではないだろうと勝手に思い込んでいた。
ローカルな国際線なので、きっと利用者も少ないのだろうと思っていた。
ところがこれは大きな間違いなのであった。

時間が経過するに従って、ヤンゴン行きの出発ロビーには客の人数が増えてきた。
やがて大阪からバンコクまでと負けず劣らずの混雑に膨れ上がってきたのだ。
ローカルな国際線とはいえ、やはり首都どうしを結んでいる路線だ。
私の思い込みは、途上国甘く考えた失礼なものなのであった。
大いに反省すべき点なのであった。

出発三十分前になり、搭乗が始まると、カウンターの前は大勢の乗客で長い行列ができた。
私は夕暮れの景色が見たくて窓際の席を押えていたので、早めに乗り込んだほうが都合がいい。
そこで気分アビジネスクラス、しかし現実はエコノミークラスの私は不本意ながら長い行列に率先して並ぶことに決めたのだった。

「パスポートを拝見します。」

搭乗口のもぎりのお兄さんが私のパスポートを手に取りパラパラ捲った。

「ビザはどうしました?」
「あ、ビザはアライバルビザを申請してます。」
「アライバルビザ?」

お兄さんはけげんな顔をした。
そこで私はすかさず旅行社からのミャンマー語と英語の書類を手渡した。
お兄さんは書類を受け取ると首を傾げ、傍らでコンピュータをチェックしているお姉さんにその書類を差し出した。
お姉さんはミャンマー語の書類を見て「読めないわよ」というそぶり。
そしてコンピュータの画面を指さし、なにやらお兄さんとタイ語で二言三言話しを交わした。
どうやら、
「この男、ビザ不所持のため注意すべし。」
という知らせが関西空港から届いていたらしい。

「こちらへ寄ってください。」

列から外されて、私はチェックを受ける身になってしまった。

他の客たちが怪訝な顔をして私を見つめ、搭乗ゲートをくぐっていく。
おいおい、私は不審なイスラム原理主義者ではない。
少々色が黒くて図体はデカイが、日本人なのだ。

ここで初めて私にアライバルビザに対して不安が生まれた。もしかしたらアライバルビザは発行できないんじゃないか、それとも私が騙されているんではないか、と。

ミャンマーの首都ヤンゴンへの空路はタイのバンコク、チェンマイとマレーシアのクアラルンプール、シンガポールからのものがある。
残念ながら現在のところ関西からの全日空の直行便は運休している。
この中で、もっとも一般的なのが1日に2本以上もの便数があるバンコクからの便だ。
機体も300人乗りの大型機。
私の乗る予定の便もほぼ満員。

これだけ大勢の旅客がいるにも関わらず、ドンムアン空港の職員がアライバルビザについて首を傾げるというのは、よっぽとミャンマーのアライバルビザは一般的でないか、はたまた聞いたことがないか、またはこの職員にとって今日が初めての出勤日だった、この職員は偽物だった、ということ以外に考えられない。

次々に搭乗口を抜けてバスへ乗り込んでいく乗客をしり目に、私は不安な目で職員のお兄さんの作業を見つめていた。
やがてお兄さんはニヤッと笑い、パスポートと二枚の書類をポイっと私へ返し「マイペンライ、行っていいよ」というそぶりをみせた。
そのニヤッとした表情で私の不安は増幅した。

だいたいタイ人の「マイペンライ」という言葉ほど、彼らのステレオタイプを表現した言葉はない。

よく聞く嘘のような本当の話に次のようなものがある。
タイのある日系企業でタイ人の従業員がとんだミスをしでかした。お客さんはかなりのおかんむり。そのクレームを収拾するために日本人の上司は四苦八苦。
額に汗してクレーム処理に当たっているその日本人上司に向かって、ミスをおかしたタイ人部下は言った。
「マイペンライ。気にしないで。」

かくのごとく、タイというのは微笑みの国と呼ばれているだけに、天真爛漫で困った時も明るく、マイナス要素も気にしない性格を有しているように思われている。
だからして搭乗口で、職員のお兄さんから行っていいよ、といわれた時は「入国できなくても気にしないで、マイペンライ。」と言われたような気がしたのだ。

つづく

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