その昔。
親の運転する車で大阪から岡山の爺ちゃん婆ちゃんの家に向う途中、できたばかりの阪神高速道路神戸線を走っていると、自動車の車窓から無数の黒い船が浮かんでいるのが目に留まった。
なんやろあれ?
黒い色をした船は艀の群れであった。
そのどす暗い景色は子供の目には何か怖いものという印象があったことは否めない。
なんとなく不安感を覚えたことを今も鮮明に記憶している。
昭和40年代。
つまりあのころは神戸にも艀が沢山残っていたというわけだ。
今はその艀を見ることは殆ど無く、艀に代わって広大なコンテナターミナルが広がっている。
マルク・レビンソン著「コンテナ物語」はタイトルの通りコンテナがもたらした劇的な流通革命の物語だ。
規格化された海上コンテナが国内国際を問わず海運というもののあり方を劇的に変化させた結果、私たちは現在、オーストラリアの美味しいビーフ、北海でとれた美味しい塩さば、カナダで水揚げされた美味しい数の子、タイで養殖された美味しいブラックタイガー、中国で栽培された美味しい毒物劇物混入野菜などを安価で入手することができる。
そればかりではなく、中国で製造されたタイヤとタイで製造されたランプ、マレーシアで縫製されたクッション、日本で生産されたエンジン、などを北米の工場で組み立てて完成品の自動車に仕上げることなんてこともできるようになっているのだ。
この、ワールドワイドでグローバルなネットワークを築いたのがコンテナなのだという。
コンテナの登場で沖仲仕と艀が姿を消し、巨大なガントリークレーンが登場。
従来であれば人力で荷卸しと荷積みが行われた海運の世界が、完全機械化になった。
まさしくコンテナは人件費を削減し海のレーンをコンベアベルトに変えたわけだ。
本書を読んで最も驚いたのは、この規格化された海上コンテナが登場するまで、海上輸送の方法は古代となんら変わらなかったことに気がついたことだ。
確かに船積みに使用するパレットやそれを運搬するフォークリフトなどは20世紀に入ってから開発されたものには違いないが、荷物の積み方や運び入れ、運び出しの方法は大航海時代となんら変わりなかった。
コンテナの登場により船、トラック、鉄道での輸送がシームレスに繋がり現在の流通文化がある。
よくよく考えてみると、阪神高速道路から艀の群れを眺めた頃を境にして、舶来品という言葉が無くなったような気がする。
舶来品はイコール高級品という意味でもあった。
その舶来品が単なる輸入品になったのはコンテナの威力があったことは間違いない。
~「コンテナ物語」マルク・レビンソン著 村井章子訳 日経BP社刊~
| Trackback ( 0 )
|
|
|
|
|
|