全編ワンカット撮影で話題を呼んだサム・メンデス監督の「1917 命をかけた伝令」は第一次世界大戦を題材にした妙にリアルでスリリングな戦場モノであった。
戦争映画の長回しといえば「史上最大の作戦」の1シーンを思い出す。
連合軍がドイツの占領した街の橋を渡り攻めていくシーンで1分以上も上空から俯瞰した戦闘シーンが続くのだ。
このシーンを映画解説者の荻昌弘だったか淀川長治のどちらだったか失念してしまったのだが「神様の視線を表現したシーン」と解説していた。
確かに、人が銃を持って頭を低くしながら敵弾を避け、前へ進んでいく姿を空撮で追うという視点は戦闘シーンの迫力を表現するとともにそれは雲の上から人間の悪行を見つめる神様の目であったに違いない。
それでは今回の「1917」の長回しはどういう意味があるのだろうか。
編集とカメラワーク。
そして最新のデジタル技術でつなぎ合わされた伝令兵の動きは神の目線ではない。
昔、横山光輝の漫画で「時の行者」という作品があった。
主人公はタイムトラベラーである種の時空カプセルの中から歴史が展開される様を観察するといような話があった。
主人公からはその歴史が見えるのだが、歴史の側からは主人公の姿は見えない。
でも、直ぐ側で彼はそれを見て体験することができる、というような内容だった。
今回の長回しはまさに観客が兵士と一緒に伝令の任務を受けて目的の場所まで歩いていくという感覚だった。
観客から兵士は見えるが兵士からは観客は見えない。
観客は安全を保証されているが兵士は命の危険に晒されながら歩んでいく。
それだけにスリリングで、生々しい。
「1917 命をかけた伝令」は戦場を体験する映画だったのだ。