Splendor in the Grass―涯なき光
第67話 陽向act.1―another,side story「陽はまた昇る」
眠りの夢から温もり離れてゆく、そして額に熱ふれる。
優しい熱は静かに触れて離れて、ふわり森の香が頬撫でる。
そっと穏やかな気配が身じろいでシーツが沈み、ベッドが軋んだ。
…ぎっ、
かすかな音に微睡み開いて瞳が披く。
まだ薄暗い部屋、けれどシーツの波はあわい光に白く隣の空白を示す。
ゆっくり寝返りうって見上げた先、薄闇にダークブラウンの髪ふり向いて切長い瞳が笑ってくれた。
「ごめん周太、起こしちゃったな?」
「ううん…おはよう、英二、」
微笑んで起きあがった前に長身が屈みこんでくれる。
近づいた眼差し何だか気恥ずかしくて、けれど大好きな笑顔の額が額ふれた。
ふれる額の温もりが前髪を透かす、その温度は幸せで、けれど気恥ずかしい至近距離で綺麗な低い声が笑った。
「可愛い周太、その恥ずかしそうな顔ってほんと可愛い、この一週間ずっと朝はその顔してくれてるな、」
そんなに可愛いって言われると、ますます恥ずかしいんですけど?
そう言いたいのに寝起きの言葉は出てこない。
こんな台詞は一週間ずっと聴かされて、その前だって幾度も聴いているのに慣れない。
なんて答えて良いか解からなくて困ってしまう、それでも周太は伝えたい想いを声にした。
「あの…今日も訓練とか気をつけてね、」
「うん、気をつけるよ。周太は今日は大学だろ?」
嬉しそうなトーンで応えて長い指の掌が頬くるむ。
優しい温もり頬ふれて次がもう解ってしまう、それも恥ずかしくて周太は瞳を伏せた。
「ん、きょうはがっこうです…こうぎもおてつだいもあります、」
「じゃ、今朝は良いよな、周太、」
すかさず了解を求めて笑ってくれる、その笑顔が何を言いたいのか解って気恥ずかしい。
この一週間ずっと禁じていた習慣をねだってくれる、それが嬉しいけれど恥ずかしい前で恋人は微笑んだ。
「訓練も任務も無い日だったら、おはようのキスして良いよね、周太?隊舎も留守にするプライベートの日だったら、キスも大丈夫だろ?」
ほら、やっぱりこれを言ってきた。
仕事前には気が散るから駄目だと一週間ずっと言い張ってきた。
非番も週休も隊舎内にいるなら緊急出動の可能性もある、だから駄目だと言ってきた。
それでも今日のよう完全にプライベートな休日だと言い分けも出来なくて、けれど朝食の席を思うと気恥ずかしい。
―だって朝ごはんの時って箭野さんと一緒だし、たぶん黒木さんも一緒だし、もっと皆も一緒かもしれないし、
心で呟く言訳たちに尚更また気恥ずかしい。
同じ職場になれば傍で過ごせる、それは単純に嬉しいけれどこんなことは困ってしまう。
それでも求めて貰えることは幸せで、けれど恥ずかしさに瞳伏せたままの唇に優しい吐息ふれた。
「おはよう、周太…」
名前を呼んで微笑んだ唇が、静かに素早く動いて唇ふれる。
重なる吐息は甘くほろ苦い、深い森を想わす香が肩を抱きしめる。
ベッドに座りこんだまま交わすキスに屈んだ長身が重みを懸けて、そのまま体が傾いた。
「…っ、」
キスのまま驚いた声は呑まれて背中がシーツに受けとめられる。
かすかなベッドの軋みに広やかな肩が圧し掛からす、そして綺麗な深い声が微笑んだ。
「周太のキス甘くて好きだよ、ほんと可愛い。ね、このままちょっと触らせて?仕事前じゃなければ良いよね、周太、」
このひと何てこと言ってるの?
「だっ、だめですっ!」
「そんな恥ずかしがらなくて良いよ、周太、」
拒絶にも白皙の貌は幸せ微笑んで、抱きしめる掌がTシャツの裾に掛けられる。
このまま捲られたら困ったことになってしまう、その予兆に周太は拒絶を訴えた。
「だめっ、きょうがっこうなんだからっ、し、しょくどうでせんぱいたちもいっしょでしょっ、だめやめてっ、」
「朝飯まで2時間あるから大丈夫、一眠りして起きたら恥ずかしいの落着くから…あ、周太の肌すべすべ、」
微笑んだ声のまま挿しこまれた掌が素肌ふれる。
なぞらす長い指の感触に熱が背すじ逆上せて、もう赤くなる感覚にもがいた。
「やっ、えいじのばかばかやめて、ねむっておきてもはずかしいのっ、だめっ、」
「そんな冷たいこと言わないで、周太…周太は相変わらず肌きれいだな、見たいな?」
見たいな?
そんな一言に次の行動が読めてしまう。
読めて尚更に恥ずかしくて周太は必死で白皙の腕を掴んだ。
けれど笑顔の綺麗な恋人は幸せな眼差しのまま、軽やかに紺色の生地をめくりあげた。
「綺麗だ、周太…キスさせて?」
「だめっ!そんなめくらないでばかちかんっ、あ、…」
抵抗の声すら止められる、そんな接吻けが心臓の真上に熱い。
優しい唇が素肌を吸って熱が籠る、その感覚に愛しい瞬間たちが深く目を覚ます。
―でもだめ、今はだめ…だめ、
心繰りかえす拒絶の言葉、けれど腕から力消えそうになる。
それでも解放された肌に安堵が息ついて、その右腕が熱やわらかに吸われた。
「あっ…」
声こぼれた腕にすぐ唇は解放して、そのあとに真紅の痣が濡れて艶めく。
この痣にキス重ねたのは幾度めだろう、そんな想い見つめたまま温もりが離れた。
ベッドから紺色Tシャツの背中は降りてゆく、その広やかな背を見つめ起きあがると綺麗な笑顔が振向いた。
「周太、行ってくるな。朝飯また一緒させて?」
いつもの穏かで綺麗な笑顔、切長い瞳も笑ってくれる。
けれど濃やかな睫に光ひとつ煌めいて、その一滴が愛しくて周太は微笑んだ。
「ん、…行ってらっしゃい、」
送りだす声の向こう、綺麗な笑顔は踵返して扉を開く。
静かに閉じた音に背中の残像を残して、聴き慣れた足音は遠ざかった。
「…英二、泣いてた、」
ぽつん、消えゆく足音に言葉こぼれて胸が迫り上げる。
いま見送った笑顔と背中に想い込みあげてしまう、その気配に扉を施錠する。
そのまま鞄を開いて薬袋を取りだし口含むとテルモスの水で噎せないよう飲み下した。
「はっ…っぅ、」
胸が痛い、その痛みが喘息発作の予兆と重なりこむ。
この傷み二つながら抱きしめて周太はベッドに横たわった。
―英二が行った後でよかった、
なんとか見られずに済んだ、そんな安堵に胸も収まりだす。
この病気を知られること無く過ごしたい、それが誰にも幸せだろうから。
そんな願いに痛みも薄れて楽になる、けれど横たわったまま周太はベッドサイドの本を開いた。
Though nothing can bring back the hour of splendor in the grass,
of glory in the flower, we will grieve not.
Rather find strength in what remains behind.
何ひとつ戻せない、草に光宿らす時も、
誇らかな花の輝きもそう、けれど哀惜に沈まなくていい
むしろ後に名残らすものにこそ強い力は見いだせるから
William Wordsworth「Splendor in the Grass」
この詩を幾度も口遊んでくれた声が懐かしい、その声は記憶に今も温かい。
あの幼い日には山と森は身近だった、そんな時間に父はこの詩を声に微笑んだ。
「周、あの木も花は散っちゃったね、だけど見てごらん?もう小さな実が生ってる、」
そう言いながら抱き上げて肩車して、梢を近く見せてくれた。
あの肩は広く温かで、いつも視界を高く広やかに明るませてくれた。
こんな記憶すら自分は13年眠りこませて、けれど今は想い出す幸福と、それから疑問がふれる。
―お父さんの肩車は高かった、たぶん、今の俺の視線よりも、
父の肩車と梢の高さに思ってしまう、父の身長が幾つだったのか知りたくなる。
その答えは祖父が開いた研究室で見つけられるはず、こうして知った数だけ真相は近くなる。
そして多分、大好きな人からはまた少し遠ざかってゆく。
「…ごめんね、英二、」
そっと呼んだ名前に微笑んで枕許の腕時計を掌くるます。
見つめる文字盤に元の持主を探して、贈られた日の約束と喜びを心が追いかける。
―…その英二の腕時計を俺にください、
そして英二は俺の贈った時計をずっと嵌めていて?
そうして英二のこれからの時間も全部を俺にください、そして一緒にいさせて?
―…あのな、腕時計はね、婚約の贈り物にもするんだよ。ね、周太?
時計を贈り合おうって言ったのは周太だ、俺、周太にプロポーズされちゃった。幸せだよ、
クリスマスの夕暮れ時、部屋の窓辺で見つめあった幸福が愛おしい。
いま自分の掌に時を刻んでくれるクライマーウォッチは、英二の5ヶ月間が籠っている。
英二が山に生き初めた最初の5ヶ月、そんな大切な時間と想いごと贈られたのは約束と、英二に未来だった。
あのときの約束通り英二は分籍までして夫婦になる覚悟と真心をくれた、そんな真摯な誠実はいつも幸せだった。
けれど今は知っている、あの頃と同じに自分を妻にしたいと願いながらも本当は、英二は光一に憧れ恋している。
そしてアイガーの麓で体ごと光一を愛してしまった、それを責める資格など自分には何も無いと今は知っている。
あのとき哀しかったと英二に告げて受けとめて貰えた、謝って心から泣いて悔いてくれた。
そんな英二が嬉しかった、幸せだと想う、けれど今はもう未来の約束なんて出来ない。
Though nothing can bring back the hour
何ひとつ時は戻せない、あの日の幸福も今は過去。
あの日に結んだ約束は今も英二に生きている、そう解っている。
この一週間前にも約束を再び贈ってくれた、その言葉に眼差しに真実だけが微笑んでいた。
けれど今の自分には約束を叶えることは難しい、ただ約束を「願う」ことしか今もう出来ない。
「…だけどね、英二?変わらないよ、」
そっと想い微笑んでページの一行を見つめる。
この一行こそ父が謳い親しんだ詩の想い、そして今の自分に希望をくれる。
この一節に綴られるよう祖父も父も自分に遺した光がある、それを探しに今日も大学に、父と祖父の母校に行く。
Rather find strength in what remains behind.
【引用詩文:William Wordsworth「Splendor in the Grass」】
(to be continued)
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