鍵の守人
第85話 春鎮 act.9-another,side story「陽はまた昇る」
聴いてくれますか?
そう問いかける瞳は青紫まっすぐ透きとおる。
ごまかしなんて欠片もない、ただ率直な視線に尋ねた。
「どうして菫さん、僕に話してくれるんですか…ガヴァネスの守秘義務を破って、」
「義務と誇りがあるからです、」
銀髪やさしい細面が見つめてくれる。
菫色の瞳は周太を映して、やわらかなアルト微笑んだ。
「私は爵位継承者ではありません、でもね周太さん、私にも noble obligation は大切なのです、」
noble obligation 高貴な義務
イギリス貴族に流れる社会の責任を担う誇り。
その物語してくれた海の窓、紫色ふかい波にアルトが紡ぐ。
「この日本で育てた時間が私の王国です、そこで起きた全てに私の noble obligation があります。だから私のために話すのです、」
やわらかなアルト静かに響く。
時の皺きざむ白皙の貌は穏やかに問いかけた。
「周太さんはお会いしていますね?英二さんのご両親と、」
「…はい、」
うなずいて重ねる手が温かい。
白い掌やわらかな温度に静かな声が告げた。
「英二さんのお母さんとお父さん、美貴子さんと啓輔さんの結婚は…率直に言って、初めから壊れていました、」
初めから壊れて、
「…、」
哀しい言葉、なにもこたえられない。
ただ見つめる窓を波音かすかにアルト寄せる。
「美貴子さんのお父さまが持ちこんだ結婚でした、でも啓輔さんを見込んだからではありません。英二さんのお祖父さまがターゲットでした、」
見込んだからじゃない、どういうこと?
「…お婿さんのお父さんが目的、って…どういう意味ですか?」
疑問こぼれて見つめる真中、青紫の瞳が深い。
澄み透る眼ざし見つめて、その声が言った。
「宮田英輔さまは優秀で人望もある法律家でした、その遺伝子がほしかったのです、」
遺伝子?
「…遺伝子がほしいって、」
どういうことだろう、何を言っているのだろう?
解からないまま紅茶あまやかな香に老婦人は告げた。
「ご自分の遺伝子と英輔さまの遺伝子に生まれる才能で、理想の後継者をつくれると仰いました、」
つくれる、って、
「そんなこと…どうして、誰から聴いたんですか?」
「あの方ご自身が仰ったんですよ、生まれたばかりの英二さんを抱きあげたとき、」
応えてくれるアルトは静かに凪ぐ。
けれど言葉の哀しみに周太は唇ひらいた。
「そんなこと英二は言われたんですか?生まれたばかりで…つくれるって、」
「はい、美貴子さんのお父さまはそういう方です、」
やわらかな声、それなのに哀しい。
こんな言葉たち繰りかえす、その痛みが告げた。
「鷲田さまはそういう方なのです、だから美貴子さんは息子を愛せないの、」
鷲田、その名前だ。
“権力者だ、その後継者として宮田は鷲田になった”
午後に聞いたばかりの名前、その事実がアルトに紡ぐ。
「遺伝子で理想の後継者をつくる、そういう鷲田さまの言葉は私も解からなくありません。貴族の家に生まれたなら後継者問題は大切ですからね?私にも肯けるのです…鷲田さまのお立場なら当然の義務であり、責任でもあるでしょう。安心できる跡継ぎを望むことは、責められることではありません、」
静かな声が名前めぐる現実つづる。
この名前、だからほら、午後の声また響きだす。
『鷲田克憲って元官僚が宮田の祖父だ、官庁の裏事情から官僚個人まで全てを知ってる。それだけ情報網を張れる人脈と才能がある男だ、』
人脈と才能、そんな男が「つくった」と言う。
そんな全て見つめてきた菫色の瞳ゆっくり瞬いて、続けた。
「鷲田さまを私は否定できません、でも美貴子さんの言葉も忘れられないのです、」
忘れられない言葉、
それが鍵だろうか、あのひとの。
それなら受けとめたくて見つめた先、深い青紫が告げた。
「私は遺伝子を混ぜるフラスコだったのね、」
穿たれる、
「鷲田さまが帰られてから言ったんです、ご自身のこと…美貴子さんの涙を初めて見ました、」
穿たれる言葉、その過去つむがれ撃たれる。
“私は遺伝子を混ぜるフラスコだった”
そんなふうに想ったら心、どれだけ痛いの?
「…そんな、」
あの女性がそんなふう想ったなんて、嘘みたい?
嘘じゃない、だから彼女はあんなに凍えた瞳で。
『私の好きにして、何がいけないの?』
春の雪ふる病院の廊下、美しい冷たい眼。
美しい声は刺すような口調、それから底深く眠る哀しい痛み。
『その全てが私が生んであげたからでしょう?だったら、私の好きにして、何がいけないの?』
生んであげたから、好きにして何がいけない?
あんなふう言われる英二がただ哀しかった、けれど今もう彼女を責められない。
“理想の後継者をつくれると仰いました、”
ああ、だから貴女はあのとき怒鳴ったんだ?
だから瞳あんなに凍えてしまった、その熱あふれだす。
「…周太さん、誰のために泣いて?」
アルトやわらかに問う、その瞳は菫色ふかく温かい。
この温もり欠片でも贈りたくて、そんな想い零れた。
「…英二のお母さんの言葉…思いだして、僕は、」
あの瞳に出逢った、あれから時間どれだけ過ぎる?
数えた一瞬が声になった。
「…去年の三月です、初めてお逢いしたとき言ってたんです…私が生んであげた、わたしの好きにして何がいけないの、って、」
ひどいことを言う、そう想った。
けれど今もう責められない、その言葉なぞった。
「理想通りでいてほしいのよ、って言ったんですお母さんは…あれは言われたからなんですね、理想の後継者をつくれる、って…」
三月の雪ふる奥多摩、しずかな病院の片隅の声。
『私の理想通りにいてほしいのよ、』
刺すような声は冷たく依怙地で、固くて、そして冷たい瞳。
あんなふう凍りついてしまった過去に静かなアルトが言った。
「英二さんが雪崩に巻きこまれた時ですね…そう、そんなときでも美貴子さん、そんなことを、」
やわらかな声つづる想い、その瞳は青紫ふかく哀しい。
こんなふう哀しみいくつ見つめたのだろう?その深い瞳は告げた。
「それでも、もし啓輔さんが美貴子さんの愛に応えていたら多分、違っていたんです、」
ふかい深い声、窓の海に映る。
残照ふかい紫色の波、あわい潮騒にガヴァネスは言った。
「母親とは強いものです、もし美貴子さんに啓輔さんへの気持が何もないなら、却って救われたのかもしれません、」
静かに告げる名前ひとつ、春の記憶が映りだす。
去年なつかしい春の家の庭、あのひとの父親は訪れた。
『愛する場所と人を、自分で見つけて選び守っていく。そういう生き方が出来る息子は同じ男として眩しいです、』
花の梢に笑った瞳が似ていた、あの切長い眼ざし。
だから気づいてしまいそうになる真実が、静かな声ゆらす。
「啓輔さんへの想いがなければ、ただ母親として生きる時間を選べたかもしれませんね?でも報われたい愛情が傷つくのです…だから家にいられない、」
家にいられない、その家の女主人が。
「美貴子さんが家にいなかったこと、英理さんも英二さんも周太さんに話したそうですね?その理由が啓輔さんである以上、私にも責任があるのです、」
静かな深い声が告げる、その瞳ふかく優しい哀しみが澄む。
そこにある歳月しずかに続けた。
「私が宮田の家にきたのは啓輔さんのガヴァネスになるためでした、彼と育った時間は私の誇りです…でも、いちばん大切なこと教えられなかった、」
紫色やわらかに暮れゆく窓、部屋の灯が映る。
おだやかな明り銀色の髪を映して、静かなアルト告げた。
「お見合いに恋愛感情がなくても仕方ありません、でも結婚は愛情を育むことです、育もうとする強い温かい心は…私は教えられませんでした、」
教えられなかった、その瞳ゆれる青紫が澄む。
澄み透るほど長くふりつもる哀痛は、そっと微笑んだ。
「啓輔さんは立派な男性に育ったと思います、でも、女性の傷を理解できない…真面目すぎて、優秀すぎて、」
真面目すぎて、優秀すぎて。
そういう男の感情どんな人間なのか、自分も知っている。
だから解ってしまう哀しみが、その痛み青紫の瞳を透かす。
「遺伝子をつなぐことが結婚でもあります、でも、それが苦しみになる女性もいるのです…そこへ美貴子さんを追いつめたのは、ふたつの家です、」
灯やわらかな窓に深い声、透きとおる年月の哀痛。
この哀しみ痛み全て受けとめたい、願う真中で菫色の光こぼれた。
「だから美貴子さんは母として生きることを選べなかったのです…父親と、夫と、どちらにも選ばれなかった愛情が、」
選ばれなかった愛情、その声に涙つたう。
白皙の頬きらきら零れて、長い睫ゆるやかに瞬いた。
「選ばれなかった愛情が英二さんの原点です…だから家を出たかったのかもしれません、」
やさしい深い声ひとしずく、海の窓こぼれる。
(to be continued)
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harushizume―周太24歳3下旬
第85話 春鎮 act.9-another,side story「陽はまた昇る」
聴いてくれますか?
そう問いかける瞳は青紫まっすぐ透きとおる。
ごまかしなんて欠片もない、ただ率直な視線に尋ねた。
「どうして菫さん、僕に話してくれるんですか…ガヴァネスの守秘義務を破って、」
「義務と誇りがあるからです、」
銀髪やさしい細面が見つめてくれる。
菫色の瞳は周太を映して、やわらかなアルト微笑んだ。
「私は爵位継承者ではありません、でもね周太さん、私にも noble obligation は大切なのです、」
noble obligation 高貴な義務
イギリス貴族に流れる社会の責任を担う誇り。
その物語してくれた海の窓、紫色ふかい波にアルトが紡ぐ。
「この日本で育てた時間が私の王国です、そこで起きた全てに私の noble obligation があります。だから私のために話すのです、」
やわらかなアルト静かに響く。
時の皺きざむ白皙の貌は穏やかに問いかけた。
「周太さんはお会いしていますね?英二さんのご両親と、」
「…はい、」
うなずいて重ねる手が温かい。
白い掌やわらかな温度に静かな声が告げた。
「英二さんのお母さんとお父さん、美貴子さんと啓輔さんの結婚は…率直に言って、初めから壊れていました、」
初めから壊れて、
「…、」
哀しい言葉、なにもこたえられない。
ただ見つめる窓を波音かすかにアルト寄せる。
「美貴子さんのお父さまが持ちこんだ結婚でした、でも啓輔さんを見込んだからではありません。英二さんのお祖父さまがターゲットでした、」
見込んだからじゃない、どういうこと?
「…お婿さんのお父さんが目的、って…どういう意味ですか?」
疑問こぼれて見つめる真中、青紫の瞳が深い。
澄み透る眼ざし見つめて、その声が言った。
「宮田英輔さまは優秀で人望もある法律家でした、その遺伝子がほしかったのです、」
遺伝子?
「…遺伝子がほしいって、」
どういうことだろう、何を言っているのだろう?
解からないまま紅茶あまやかな香に老婦人は告げた。
「ご自分の遺伝子と英輔さまの遺伝子に生まれる才能で、理想の後継者をつくれると仰いました、」
つくれる、って、
「そんなこと…どうして、誰から聴いたんですか?」
「あの方ご自身が仰ったんですよ、生まれたばかりの英二さんを抱きあげたとき、」
応えてくれるアルトは静かに凪ぐ。
けれど言葉の哀しみに周太は唇ひらいた。
「そんなこと英二は言われたんですか?生まれたばかりで…つくれるって、」
「はい、美貴子さんのお父さまはそういう方です、」
やわらかな声、それなのに哀しい。
こんな言葉たち繰りかえす、その痛みが告げた。
「鷲田さまはそういう方なのです、だから美貴子さんは息子を愛せないの、」
鷲田、その名前だ。
“権力者だ、その後継者として宮田は鷲田になった”
午後に聞いたばかりの名前、その事実がアルトに紡ぐ。
「遺伝子で理想の後継者をつくる、そういう鷲田さまの言葉は私も解からなくありません。貴族の家に生まれたなら後継者問題は大切ですからね?私にも肯けるのです…鷲田さまのお立場なら当然の義務であり、責任でもあるでしょう。安心できる跡継ぎを望むことは、責められることではありません、」
静かな声が名前めぐる現実つづる。
この名前、だからほら、午後の声また響きだす。
『鷲田克憲って元官僚が宮田の祖父だ、官庁の裏事情から官僚個人まで全てを知ってる。それだけ情報網を張れる人脈と才能がある男だ、』
人脈と才能、そんな男が「つくった」と言う。
そんな全て見つめてきた菫色の瞳ゆっくり瞬いて、続けた。
「鷲田さまを私は否定できません、でも美貴子さんの言葉も忘れられないのです、」
忘れられない言葉、
それが鍵だろうか、あのひとの。
それなら受けとめたくて見つめた先、深い青紫が告げた。
「私は遺伝子を混ぜるフラスコだったのね、」
穿たれる、
「鷲田さまが帰られてから言ったんです、ご自身のこと…美貴子さんの涙を初めて見ました、」
穿たれる言葉、その過去つむがれ撃たれる。
“私は遺伝子を混ぜるフラスコだった”
そんなふうに想ったら心、どれだけ痛いの?
「…そんな、」
あの女性がそんなふう想ったなんて、嘘みたい?
嘘じゃない、だから彼女はあんなに凍えた瞳で。
『私の好きにして、何がいけないの?』
春の雪ふる病院の廊下、美しい冷たい眼。
美しい声は刺すような口調、それから底深く眠る哀しい痛み。
『その全てが私が生んであげたからでしょう?だったら、私の好きにして、何がいけないの?』
生んであげたから、好きにして何がいけない?
あんなふう言われる英二がただ哀しかった、けれど今もう彼女を責められない。
“理想の後継者をつくれると仰いました、”
ああ、だから貴女はあのとき怒鳴ったんだ?
だから瞳あんなに凍えてしまった、その熱あふれだす。
「…周太さん、誰のために泣いて?」
アルトやわらかに問う、その瞳は菫色ふかく温かい。
この温もり欠片でも贈りたくて、そんな想い零れた。
「…英二のお母さんの言葉…思いだして、僕は、」
あの瞳に出逢った、あれから時間どれだけ過ぎる?
数えた一瞬が声になった。
「…去年の三月です、初めてお逢いしたとき言ってたんです…私が生んであげた、わたしの好きにして何がいけないの、って、」
ひどいことを言う、そう想った。
けれど今もう責められない、その言葉なぞった。
「理想通りでいてほしいのよ、って言ったんですお母さんは…あれは言われたからなんですね、理想の後継者をつくれる、って…」
三月の雪ふる奥多摩、しずかな病院の片隅の声。
『私の理想通りにいてほしいのよ、』
刺すような声は冷たく依怙地で、固くて、そして冷たい瞳。
あんなふう凍りついてしまった過去に静かなアルトが言った。
「英二さんが雪崩に巻きこまれた時ですね…そう、そんなときでも美貴子さん、そんなことを、」
やわらかな声つづる想い、その瞳は青紫ふかく哀しい。
こんなふう哀しみいくつ見つめたのだろう?その深い瞳は告げた。
「それでも、もし啓輔さんが美貴子さんの愛に応えていたら多分、違っていたんです、」
ふかい深い声、窓の海に映る。
残照ふかい紫色の波、あわい潮騒にガヴァネスは言った。
「母親とは強いものです、もし美貴子さんに啓輔さんへの気持が何もないなら、却って救われたのかもしれません、」
静かに告げる名前ひとつ、春の記憶が映りだす。
去年なつかしい春の家の庭、あのひとの父親は訪れた。
『愛する場所と人を、自分で見つけて選び守っていく。そういう生き方が出来る息子は同じ男として眩しいです、』
花の梢に笑った瞳が似ていた、あの切長い眼ざし。
だから気づいてしまいそうになる真実が、静かな声ゆらす。
「啓輔さんへの想いがなければ、ただ母親として生きる時間を選べたかもしれませんね?でも報われたい愛情が傷つくのです…だから家にいられない、」
家にいられない、その家の女主人が。
「美貴子さんが家にいなかったこと、英理さんも英二さんも周太さんに話したそうですね?その理由が啓輔さんである以上、私にも責任があるのです、」
静かな深い声が告げる、その瞳ふかく優しい哀しみが澄む。
そこにある歳月しずかに続けた。
「私が宮田の家にきたのは啓輔さんのガヴァネスになるためでした、彼と育った時間は私の誇りです…でも、いちばん大切なこと教えられなかった、」
紫色やわらかに暮れゆく窓、部屋の灯が映る。
おだやかな明り銀色の髪を映して、静かなアルト告げた。
「お見合いに恋愛感情がなくても仕方ありません、でも結婚は愛情を育むことです、育もうとする強い温かい心は…私は教えられませんでした、」
教えられなかった、その瞳ゆれる青紫が澄む。
澄み透るほど長くふりつもる哀痛は、そっと微笑んだ。
「啓輔さんは立派な男性に育ったと思います、でも、女性の傷を理解できない…真面目すぎて、優秀すぎて、」
真面目すぎて、優秀すぎて。
そういう男の感情どんな人間なのか、自分も知っている。
だから解ってしまう哀しみが、その痛み青紫の瞳を透かす。
「遺伝子をつなぐことが結婚でもあります、でも、それが苦しみになる女性もいるのです…そこへ美貴子さんを追いつめたのは、ふたつの家です、」
灯やわらかな窓に深い声、透きとおる年月の哀痛。
この哀しみ痛み全て受けとめたい、願う真中で菫色の光こぼれた。
「だから美貴子さんは母として生きることを選べなかったのです…父親と、夫と、どちらにも選ばれなかった愛情が、」
選ばれなかった愛情、その声に涙つたう。
白皙の頬きらきら零れて、長い睫ゆるやかに瞬いた。
「選ばれなかった愛情が英二さんの原点です…だから家を出たかったのかもしれません、」
やさしい深い声ひとしずく、海の窓こぼれる。
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