孤独の航跡

第85話 春鎮 act.10-another,side story「陽はまた昇る」
選ばれなかった愛情、その居場所はどこにある?
「…菫さん、英二は知っているんですか?今お話ししてくれたこと、」
語られた過去に願いたい、どうか知らないならそのままで。
けれど哀しい予測のまま青紫の瞳が言った。
「知らないとしても気づいているでしょう、賢い、鋭い子ですから…だから家を出たのだと思います、」
穏やかな声、でも深い哀しみ疼く。
その優しい瞳は静かに微笑んだ。
「父親にも夫にも選ばれなくても母親になれるひともいます、でも、お母さんを知らない美貴子さんは…どうしたら良かったのでしょう?」
菫色の眼ざしに海が染まる。
ちいさなテーブルむかいあう窓、周太はそっと踏みこんだ。
「あの…英二のお母さんのお母さんは、亡くなられて?」
「そうです、ずっと昔に、」
静かなアルトが応えてくれる。
紅茶やわらかな馥郁の先、過去を見た声は続けてくれた。
「美貴子さんが生まれるとき亡くなられたのです…英輔さんもお葬式に参列されています、お仕事でのお知り合いでした、」
半世紀の過去が紅茶に薫る。
あの女性が生きてきた、その原点が語られる。
「美貴子さんには13歳上のお兄さまがいます、そういうお母さまに美貴子さんは当時として高齢出産です…お産は今よりも命懸けの時代でした、」
生まれた瞬間が死別、それはどんな感情を生むの?
『事故に遭った、ですって?怪我した、ですって?…英二がなぜ、そんなことになるのよ?』
去年三月の声、あの声ずっと最初から。
彼女が生まれた最初からたぶん、彼女は叫んでいた。
“生まれるとき亡くなられました”
自分が生まれる、そのために母親の命を消してしまった。
そんな現実どれだけ彼女は叫んだのだろう?
『なぜ、そんなことになるのよ?』
なぜ?
ずっと叫んでいた彼女の声、あれは五十年の聲。
そんな彼女の願いまた響く、雪の夜の病院の片隅に凍えた声。
『普通に可愛いお嫁さんと結婚して、可愛い孫を見せてほしいの。それのどこが悪いのよ?』
普通に、そう願うあなたは何ひとつ悪くない。
「…だからなんですね、」
想いこぼれて声になる、すこし近づく。
あの凍えた瞳すこし見つめられる、そんな想いに語る声が響く。
「…鷲田さまは再婚されませんでした、美貴子さんは乳母の女性と家宰の男性が育てたのです、鷲田さまも溺愛されて…でも母親にはなれません、」
美貴子の父親が再婚しなかったのは、亡くした妻への想いだろうか?
“溺愛されて”
妻の忘れ形見を溺愛する、そんな人間らしい温度も彼にはある。
それなのに彼はなぜ娘に投げてしまったのだろう、あの言葉を?
『理想の後継者をつくれる、』
産褥に母を亡くした娘、その娘の産後すぐ言ってしまった言葉。
あの言葉すらなければ違ったかもしれない?そんな今にアルトが紡ぐ。
「母親という存在にふれないで美貴子さんは育ったのです、父親の鷲田さまもお忙しくて…親がなにか解からなくても、責められるでしょうか?」
五十年ずっと、ずっと彼女は解からなかった。
そんな時間に生まれた現実へ静かな声は言った。
「そういう美貴子さんなのです、英二さんを愛せなくてもしかたないのかもしれません、でも…私は哀しいのです、」
やわらかなアルトに一滴、紫ふかい瞳あふれる。
白皙ゆるやかに伝わり皺なぞらせて、静かに微笑んだ。
「英二さんは美しくて優秀です、司法試験も学生のとき受かっているんですよ?でも…優れているからこそ残酷です、」
潮騒が聴こえる、君の海に。
「…ざんこく、」
言われたまま声になる、君の貌に。
最後に逢えた笑顔は雪の病室、傷だらけだった貌にアルトが重なる。
「優秀だからこそ人の弱さも痛みも理解しきれないのです、美貴子さんと傷つけあって、そのたびまた…もう素顔の一部です、」
君の素顔、それが「残酷」なの?
そうかもしれない、だって君は美しくて高潔で、高潔なぶんだけ激情も大きい。
優秀だからこそ誇らかに高らかに君は臨んで、それでも見過ごせない記憶こぼれた。
「でも英二は人を救うんです、命懸けで笑って、」
そんな君だから、忘れられない。
「山の英二は本当にきれいに笑うんです、他人の命も自分の命も喜んで笑うんです、山のぜんぶに、」
山を駆ける君を見た、あれを素顔じゃないなんて自分には言えない。
だって見てしまった、肚底まっすぐ立って笑って、泣いても笑って立ちあがる君の傷。
「ざんこくって、英二は残酷なひとだって僕も思います、でも山の英二は本当にきれいなんです、命懸けで誰かを救って笑う英二が山にいます、」
君の残酷さなんて知っている、だって何度もう泣いたろう?
この体どこにも刻みこまれた君の記憶、その傷いくつも軋んで泣きたくなる。
それでも忘れられない、山で笑った君の瞳。
『周太、星すごいだろ?』
紺青色あざやかな山の夜、銀色の星より声が光った。
君の声あざやかに誇らかに輝いて透った、あの煌めき声になる。
「英二は山で生きているんです、ほんとうに笑って泣いています、僕を救ってくれたから僕は知ってるんです、」
初対面は、きらいだった。
『ふーん。じゃ、同期になるんだ、』
あの冷たい瞳が嫌いだった、でも底ふかく君がいた。
そうして警察学校に過ごした時間、なつかしい隣の温もり瞳に燈る。
「僕は知っています、まじめで負けず嫌いで、なきむしで優しい…英二の素顔です、」
想い熱になる、瞳こぼれて頬つたう。
ゆるやかな熱の航跡に君が響く、この窓から今は遠くても。
『空で繋がって俺は、いつも周太の隣にいるよ?』
奥多摩の山頂に笑った君の声、あの瞳ふかく澄んで眩しくて。
あの笑顔どうしても護りたい、ただ願い瞳まっすぐ見つめた。
「教えてください菫さん、英二は鷲田さんの養子になったんですよね?それは英二の進路がどうなることなんですか?」
この答もう聴いてきた、その裏付けしてもらうだけ。
ふたたび聴くだろう現実に心臓が敲きだす、それでも視線まっすぐ言った。
「どうしたら英二を自由にできますか?山で生きてほしいんです、だから僕は、」
だから僕は、君が笑ってくれるなら厭わない。
だって好きだ、あの頬の傷痕に笑った君が。
『最高峰の竜の爪痕だよ、山に生きる御守なんだ、』
あの誇らかな瞳きらめくならそれでいい。
だから僕は、
「だから僕はそのためなら後悔しません、逢えなくなっても、」
君の笑顔が好き、だから君は君を棄てないで?
『俺は、最高峰から世界を見つめたい、』
君の自由に君は生き続けて、あの笑顔は失わないで?
(to be continued)
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harushizume―周太24歳3下旬

第85話 春鎮 act.10-another,side story「陽はまた昇る」
選ばれなかった愛情、その居場所はどこにある?
「…菫さん、英二は知っているんですか?今お話ししてくれたこと、」
語られた過去に願いたい、どうか知らないならそのままで。
けれど哀しい予測のまま青紫の瞳が言った。
「知らないとしても気づいているでしょう、賢い、鋭い子ですから…だから家を出たのだと思います、」
穏やかな声、でも深い哀しみ疼く。
その優しい瞳は静かに微笑んだ。
「父親にも夫にも選ばれなくても母親になれるひともいます、でも、お母さんを知らない美貴子さんは…どうしたら良かったのでしょう?」
菫色の眼ざしに海が染まる。
ちいさなテーブルむかいあう窓、周太はそっと踏みこんだ。
「あの…英二のお母さんのお母さんは、亡くなられて?」
「そうです、ずっと昔に、」
静かなアルトが応えてくれる。
紅茶やわらかな馥郁の先、過去を見た声は続けてくれた。
「美貴子さんが生まれるとき亡くなられたのです…英輔さんもお葬式に参列されています、お仕事でのお知り合いでした、」
半世紀の過去が紅茶に薫る。
あの女性が生きてきた、その原点が語られる。
「美貴子さんには13歳上のお兄さまがいます、そういうお母さまに美貴子さんは当時として高齢出産です…お産は今よりも命懸けの時代でした、」
生まれた瞬間が死別、それはどんな感情を生むの?
『事故に遭った、ですって?怪我した、ですって?…英二がなぜ、そんなことになるのよ?』
去年三月の声、あの声ずっと最初から。
彼女が生まれた最初からたぶん、彼女は叫んでいた。
“生まれるとき亡くなられました”
自分が生まれる、そのために母親の命を消してしまった。
そんな現実どれだけ彼女は叫んだのだろう?
『なぜ、そんなことになるのよ?』
なぜ?
ずっと叫んでいた彼女の声、あれは五十年の聲。
そんな彼女の願いまた響く、雪の夜の病院の片隅に凍えた声。
『普通に可愛いお嫁さんと結婚して、可愛い孫を見せてほしいの。それのどこが悪いのよ?』
普通に、そう願うあなたは何ひとつ悪くない。
「…だからなんですね、」
想いこぼれて声になる、すこし近づく。
あの凍えた瞳すこし見つめられる、そんな想いに語る声が響く。
「…鷲田さまは再婚されませんでした、美貴子さんは乳母の女性と家宰の男性が育てたのです、鷲田さまも溺愛されて…でも母親にはなれません、」
美貴子の父親が再婚しなかったのは、亡くした妻への想いだろうか?
“溺愛されて”
妻の忘れ形見を溺愛する、そんな人間らしい温度も彼にはある。
それなのに彼はなぜ娘に投げてしまったのだろう、あの言葉を?
『理想の後継者をつくれる、』
産褥に母を亡くした娘、その娘の産後すぐ言ってしまった言葉。
あの言葉すらなければ違ったかもしれない?そんな今にアルトが紡ぐ。
「母親という存在にふれないで美貴子さんは育ったのです、父親の鷲田さまもお忙しくて…親がなにか解からなくても、責められるでしょうか?」
五十年ずっと、ずっと彼女は解からなかった。
そんな時間に生まれた現実へ静かな声は言った。
「そういう美貴子さんなのです、英二さんを愛せなくてもしかたないのかもしれません、でも…私は哀しいのです、」
やわらかなアルトに一滴、紫ふかい瞳あふれる。
白皙ゆるやかに伝わり皺なぞらせて、静かに微笑んだ。
「英二さんは美しくて優秀です、司法試験も学生のとき受かっているんですよ?でも…優れているからこそ残酷です、」
潮騒が聴こえる、君の海に。
「…ざんこく、」
言われたまま声になる、君の貌に。
最後に逢えた笑顔は雪の病室、傷だらけだった貌にアルトが重なる。
「優秀だからこそ人の弱さも痛みも理解しきれないのです、美貴子さんと傷つけあって、そのたびまた…もう素顔の一部です、」
君の素顔、それが「残酷」なの?
そうかもしれない、だって君は美しくて高潔で、高潔なぶんだけ激情も大きい。
優秀だからこそ誇らかに高らかに君は臨んで、それでも見過ごせない記憶こぼれた。
「でも英二は人を救うんです、命懸けで笑って、」
そんな君だから、忘れられない。
「山の英二は本当にきれいに笑うんです、他人の命も自分の命も喜んで笑うんです、山のぜんぶに、」
山を駆ける君を見た、あれを素顔じゃないなんて自分には言えない。
だって見てしまった、肚底まっすぐ立って笑って、泣いても笑って立ちあがる君の傷。
「ざんこくって、英二は残酷なひとだって僕も思います、でも山の英二は本当にきれいなんです、命懸けで誰かを救って笑う英二が山にいます、」
君の残酷さなんて知っている、だって何度もう泣いたろう?
この体どこにも刻みこまれた君の記憶、その傷いくつも軋んで泣きたくなる。
それでも忘れられない、山で笑った君の瞳。
『周太、星すごいだろ?』
紺青色あざやかな山の夜、銀色の星より声が光った。
君の声あざやかに誇らかに輝いて透った、あの煌めき声になる。
「英二は山で生きているんです、ほんとうに笑って泣いています、僕を救ってくれたから僕は知ってるんです、」
初対面は、きらいだった。
『ふーん。じゃ、同期になるんだ、』
あの冷たい瞳が嫌いだった、でも底ふかく君がいた。
そうして警察学校に過ごした時間、なつかしい隣の温もり瞳に燈る。
「僕は知っています、まじめで負けず嫌いで、なきむしで優しい…英二の素顔です、」
想い熱になる、瞳こぼれて頬つたう。
ゆるやかな熱の航跡に君が響く、この窓から今は遠くても。
『空で繋がって俺は、いつも周太の隣にいるよ?』
奥多摩の山頂に笑った君の声、あの瞳ふかく澄んで眩しくて。
あの笑顔どうしても護りたい、ただ願い瞳まっすぐ見つめた。
「教えてください菫さん、英二は鷲田さんの養子になったんですよね?それは英二の進路がどうなることなんですか?」
この答もう聴いてきた、その裏付けしてもらうだけ。
ふたたび聴くだろう現実に心臓が敲きだす、それでも視線まっすぐ言った。
「どうしたら英二を自由にできますか?山で生きてほしいんです、だから僕は、」
だから僕は、君が笑ってくれるなら厭わない。
だって好きだ、あの頬の傷痕に笑った君が。
『最高峰の竜の爪痕だよ、山に生きる御守なんだ、』
あの誇らかな瞳きらめくならそれでいい。
だから僕は、
「だから僕はそのためなら後悔しません、逢えなくなっても、」
君の笑顔が好き、だから君は君を棄てないで?
『俺は、最高峰から世界を見つめたい、』
君の自由に君は生き続けて、あの笑顔は失わないで?
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