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第86話 建巳 act.17 another,side story「陽はまた昇る」
この窓は桜が見える。
「きれい…」
ひとりごと微笑んで、つい想ってしまう。
ここは祖父と祖母と、父が見た窓だから。
「きれいだろ?よく湯原教授もそうして見てたよ、周太くん似てるんだな、」
低いくせ朗らかな声が笑ってくれる。
ひとりごと聞かれてしまったな?気恥ずかしさ微笑んだ。
「そうですか…祖父は桜、好きでしたか?」
「好きだったろうな、そこに植えたの先生らしいから、」
鳶色の瞳が笑って、ことん、デスクにマグカップ2つ置いてくれる。
ほの甘い芳香くゆらせて、この研究室の主は言った。
「まだ先生が学生の時に、勝手に植えたって仰ってたよ。意外とオモシロイことするだろ?」
勝手に植えたんだ?
たしかに意外で、驚いたぶん声が出た。
「あの、田嶋先生がじゃなくて、祖父が勝手にしたんですか?」
あれ、変なこと言っちゃった?
「あ、いえ…」
ほら目の前、鳶色の瞳が大きくなる。
こんなこと自分が言うなんて?困って、けれど祖父の愛弟子が笑った。
「あははっ、俺ならやりかねんって周太くんも思うんだ?」
「あの…いえ、」
声押し出しながら首すじ熱い、もう頬まで熱くなる。
こんな余計なこと言ってしまったどうしよう、困惑の真中で教授が笑った。
「俺もヤッたんだよ?どーせなら山桜のがイイなあ思ってさ、ほら?」
かたん、窓の鍵ひらいて武骨な手が押し開く。
節くれた指さき一点、朱い新芽こまやかな若木が見あげていた。
「馨さんと奥多摩で見つけた苗でな、山桜はゆっくり成長するのがイイだろ?」
研究室の眼下、若い山桜は新芽に萌える。
まだ若い幼い木、そこに積もらす歳月に尋ねた。
「何年生の時に植えたんですか?」
「俺が3年、馨さんが4年になる春だよ。湯原先生も笑ってたぞ?」
応えてくれる眼差しやわらかい。
きっと父との時間を見ている、そんな瞳が温かい。
「父は生きていたんですね、ここで…祖父も、」
この場所で父は生きていた、祖父も生きて笑っていた。
もう見ることはできない時間たち、それでも繋がる今に教授が笑った。
「そうだよ、これから周太くんもだな?」
「はい、」
頷いて温かい、ただ「これから」に。
もう昨日とは違う時間、場所、そこに香る紅茶に席ついた。
「まず、カニみそが苦手だな、」
「え?」
マグカップ口つけかけて止まってしまう。
どういう意味だろう?見つめた真中、鳶色の瞳にやり笑った。
「俺の弱点だ、さっき青木と言ってたろ?」
田嶋先生に無理難題されたら遠慮なくおいで?田嶋先輩の弱点を教えてあげますよ。
そんなふう森林学者に言われたな?思い出して笑ってしまった。
「はい、おっしゃられていました、」
「青木には食い物ネタ知られてんだよ、山岳部で同じ飯盒のメシだったろ?」
低いくせ明るい声が笑っている。
それくらい長閑な話題に文学者は続けた。
「でも新鮮なヤツは好きだぞ?イキのいいカニみそにカニ肉つけて食うと旨いんだ、酒が欲しくなる、」
「はい、っ、ふふっ、」
可笑しくて笑ってしまう、なんだか嬉しくて。
こんなふう父とも話していたのだろうか?想いに教授は言った。
「パリ第3大学とパリ高等師範、周太くんも行ってみたいだろ?」
書類一通、示してくれる。
さっき見たばかりの書面に、その校名を見つめて頷いた。
「はい、祖父の留学先ですから、」
頷いた口もと、あたたかな湯気に紅茶が香る。
このテーブルで父も祖父も紅茶を楽しんだ、そのままの馥郁に教授が笑った。
「じゃあ契約書、よく読んでからサインしろよ?」
差しだされた一通、一行一語ずつ心綴る。
2枚それぞれサインして、押印した1枚を差しだした。
「ありがとな周太くん、夢が叶うよ?」
「先生の夢?」
どんな夢なのだろう?
訊き返した真中で、鳶色の瞳そっと微笑んだ。
「馨と約束してたんだよ、カルチェラタンを歩こうってな、」
約束の場所、そこを自分が田嶋と歩く。
その続きを知りたい。
「先生、パリからスイスにも行きますか?」
※加筆校正中
(to be continued)
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kenshi―周太24歳4月

第86話 建巳 act.17 another,side story「陽はまた昇る」
この窓は桜が見える。
「きれい…」
ひとりごと微笑んで、つい想ってしまう。
ここは祖父と祖母と、父が見た窓だから。
「きれいだろ?よく湯原教授もそうして見てたよ、周太くん似てるんだな、」
低いくせ朗らかな声が笑ってくれる。
ひとりごと聞かれてしまったな?気恥ずかしさ微笑んだ。
「そうですか…祖父は桜、好きでしたか?」
「好きだったろうな、そこに植えたの先生らしいから、」
鳶色の瞳が笑って、ことん、デスクにマグカップ2つ置いてくれる。
ほの甘い芳香くゆらせて、この研究室の主は言った。
「まだ先生が学生の時に、勝手に植えたって仰ってたよ。意外とオモシロイことするだろ?」
勝手に植えたんだ?
たしかに意外で、驚いたぶん声が出た。
「あの、田嶋先生がじゃなくて、祖父が勝手にしたんですか?」
あれ、変なこと言っちゃった?
「あ、いえ…」
ほら目の前、鳶色の瞳が大きくなる。
こんなこと自分が言うなんて?困って、けれど祖父の愛弟子が笑った。
「あははっ、俺ならやりかねんって周太くんも思うんだ?」
「あの…いえ、」
声押し出しながら首すじ熱い、もう頬まで熱くなる。
こんな余計なこと言ってしまったどうしよう、困惑の真中で教授が笑った。
「俺もヤッたんだよ?どーせなら山桜のがイイなあ思ってさ、ほら?」
かたん、窓の鍵ひらいて武骨な手が押し開く。
節くれた指さき一点、朱い新芽こまやかな若木が見あげていた。
「馨さんと奥多摩で見つけた苗でな、山桜はゆっくり成長するのがイイだろ?」
研究室の眼下、若い山桜は新芽に萌える。
まだ若い幼い木、そこに積もらす歳月に尋ねた。
「何年生の時に植えたんですか?」
「俺が3年、馨さんが4年になる春だよ。湯原先生も笑ってたぞ?」
応えてくれる眼差しやわらかい。
きっと父との時間を見ている、そんな瞳が温かい。
「父は生きていたんですね、ここで…祖父も、」
この場所で父は生きていた、祖父も生きて笑っていた。
もう見ることはできない時間たち、それでも繋がる今に教授が笑った。
「そうだよ、これから周太くんもだな?」
「はい、」
頷いて温かい、ただ「これから」に。
もう昨日とは違う時間、場所、そこに香る紅茶に席ついた。
「まず、カニみそが苦手だな、」
「え?」
マグカップ口つけかけて止まってしまう。
どういう意味だろう?見つめた真中、鳶色の瞳にやり笑った。
「俺の弱点だ、さっき青木と言ってたろ?」
田嶋先生に無理難題されたら遠慮なくおいで?田嶋先輩の弱点を教えてあげますよ。
そんなふう森林学者に言われたな?思い出して笑ってしまった。
「はい、おっしゃられていました、」
「青木には食い物ネタ知られてんだよ、山岳部で同じ飯盒のメシだったろ?」
低いくせ明るい声が笑っている。
それくらい長閑な話題に文学者は続けた。
「でも新鮮なヤツは好きだぞ?イキのいいカニみそにカニ肉つけて食うと旨いんだ、酒が欲しくなる、」
「はい、っ、ふふっ、」
可笑しくて笑ってしまう、なんだか嬉しくて。
こんなふう父とも話していたのだろうか?想いに教授は言った。
「パリ第3大学とパリ高等師範、周太くんも行ってみたいだろ?」
書類一通、示してくれる。
さっき見たばかりの書面に、その校名を見つめて頷いた。
「はい、祖父の留学先ですから、」
頷いた口もと、あたたかな湯気に紅茶が香る。
このテーブルで父も祖父も紅茶を楽しんだ、そのままの馥郁に教授が笑った。
「じゃあ契約書、よく読んでからサインしろよ?」
差しだされた一通、一行一語ずつ心綴る。
2枚それぞれサインして、押印した1枚を差しだした。
「ありがとな周太くん、夢が叶うよ?」
「先生の夢?」
どんな夢なのだろう?
訊き返した真中で、鳶色の瞳そっと微笑んだ。
「馨と約束してたんだよ、カルチェラタンを歩こうってな、」
約束の場所、そこを自分が田嶋と歩く。
その続きを知りたい。
「先生、パリからスイスにも行きますか?」
※加筆校正中
(to be continued)
【引用詩文: William Wordsworth「The tables Turned」】
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