記憶の想い、花と風の纏うひとへ
第44話 山櫻act.2―another,side story「陽はまた昇る」
御岳駐在所の駐車場に後藤は車を停めた。
駐在所の扉が開かれると、奥から楽しげな笑い声と茶の香が迎えてくれる。
その笑い声に可愛いボーイソプラノが混じるのを聴いて、後藤が微笑んだ。
「田中さんとこの秀介、もう来ているな?きっと、周太くんを待ってるよ、」
「はい、」
素直に頷いて微笑んだ向こう、休憩室の扉が開く。
そして大好きな笑顔が給湯室を通って来てくれた。
「おつかれさまです、副隊長。ありがとうございました、」
きれいに笑って英二が後藤に礼を述べてくれる。
後藤も笑いながら帽子を脱ぐと、温かに微笑んだ。
「いや、こっちこそ礼を言いたいね。楽しい時間を過ごさせて貰ったよ。それからな、奥多摩の植物に詳しくなれたよ、」
「周太は詳しいでしょう、副隊長?」
穏かに微笑んで英二が言ってくれる。
嬉しいけれど恥ずかしいな?そう見ている先で後藤が頷いた。
「うむ、驚いたよ。でも周太くん、大学は農学部じゃなくて、工学部なんだろう?」
言われた通り周太は、公立大学の工学部を卒業している。
この進路選択は義務と責任から選んだ。けれど来週からの進路は義務ではない、この喜びに周太は微笑んで答えた。
「はい。でも、今月の終わりから、週一で農学部の講義を受けます。聴講生ですけれど、」
来週から青木樹医の講義が始まる、この時間の始まりが「明日」への希望にもなっている。
ほんとうは不安も多い「明日」それでも青木准教授との出会いが、ひとつ勇気をくれた。
この感謝に微笑んだ周太に、嬉しそうに後藤が笑いかけてくれた。
「それは良いなあ。結構多いんだよ、大学通いながら奉職しているヤツは。初任科総合でも、通えそうかい?」
「土曜日の講義なので、ちょうど外泊日に当ります、」
「それなら安心だな、良かったよ、」
自分事の様に後藤が喜んでくれる。
そんな様子に微笑んで英二は給湯室に立ってくれた。
手伝いに行きたいな?そう思った向こうの休憩室から可愛い声が呼んでくれた。
「周太さん?あ、やっぱりそう!」
ぱっと声が咲いて、スニーカーつっかけた秀介が奥から飛んできた。
英二の隣を走り抜け、小さな男の子が周太に抱きついてくれる。
受けとめた顔を覗きこんで、周太は年若い友達に笑いかけた。
「こんにちは、秀介。元気だった?」
「うん、元気だよ。僕、2年生になったんだ。ね、いっぱいドリル持って来たんだよ?あとね、図工の絵。ほめられたの、」
可愛らしい笑顔が一生懸命に話をしてくれる。
秀介とは2月のバレンタインのときに顔を合わせて以来だから、2カ月以上ぶり。
冬から春になって少し大人びた笑顔に、やわらかに周太は微笑んだ。
「ほめられたなんて、すごいね?英二にくれた絵も、上手だったよ、」
「あれ見てくれたの?うれしいな、あ、」
すこし驚いたよう秀介は、気がついて周太の隣を見あげた。
見あげられた先、おだやかな黒目がちの瞳が微笑んで、しゃがみこんだ。
「こんにちは、秀介くん。周太の母です、いつも周太と仲良くしてくれて、ありがとうね?」
「周太さんの、おばちゃん?こんにちは、御岳に登ったんですか?」
ちょっとだけ羞んだ笑顔で、はきはきと秀介は挨拶してくれる。
可愛らしい挨拶に母は微笑んで、息子の友人に楽しげに答えた。
「はい、登らせて貰いました。あと、大岳山にもね、」
「僕も、雪が消えたら登りに行きます、」
にこにこ話しながら秀介は、周太と母とを見比べた。
そして小首傾げこんで嬉しそうに微笑んだ。
「おばちゃんと周太さん、似ていますね?ふたりとも、きれい、」
「あら、おばちゃんまで褒めてくれるのね?」
快活な黒目がちの瞳が可笑しそうに笑った。
こんな明るく笑ってくれる姿は嬉しい、幸せな気持ちで見ていると英二が笑いかけてくれた。
「副隊長、お母さん。コーヒー淹れましたから、奥へどうぞ」
「お、宮田のコーヒーか。嬉しいなあ、一杯ご馳走になるよ。奥さん、どうぞあがってください、」
深い目が愉しげに笑んで、母を休憩室へ案内してくれる。
秀介も母と一緒に奥へと入っていく、その後ろ姿はすこし背が高くなっていた。
こんな姿から、子供にとっての2カ月は長い時間だと気付かされる。
それが微笑ましくて、同時に夏以降を想うと切なくなってしまう。
…しばらく会えなくても、秀介は覚えていてくれるかな?
夏になり本配属となれば多分、今までの様には外出も出来ない。
いま秀介は8歳を迎える、そんな幼い記憶力と心に自分はどれくらい留まれるだろう?
そんな想い見つめながら奥へ行きかけた周太の腕を、そっと頼もしい掌が惹きとめた。
「周太、おつかれさま」
きれいな笑顔が笑いかけて、切長い目が見つめてくれる。
いつもの優しい綺麗な眼差し、それなのに、どこか縋るよう切ない。
この切ない想い見つめ返して、やわらかに周太は微笑んだ。
「ん、ありがとう。英二こそ、おつかれさま、」
「俺は疲れていないよ、周太に逢えたから、」
嬉しそうな笑顔が、端正な貌に咲いてくれる。
それでも、小さな揺らぎ見つめたような眼差しが切ない。
こんなに途惑い揺れている恋人は、今、初めて周太は見ている。
…そんなに、不安なの?英二、
御岳駐在は所長の岩崎が雪山訓練のため、この1週間ほど留守にしている。
そのため英二と光一は剱岳以来、職場でも寮でもずっと一緒に過ごしてきた。
そして明日の夜からは、ふたりは冬富士での訓練に入る。それに対する途惑いが切長い目に映っていく。
―…周太、俺、国村とキスした。本気のキスだったよ、でも俺には、親友としてのキスだった
キスして前より愛しいと想った。けれど俺の恋人は君だけしかいない、君の夫になりたい
―…こんなに考えるなんて、こんなに一緒にいたいなんて『山』以外は無かったのに。人間のこと、こんなに求めるなんて
その相手が君の大切なひとだなんて…ごめんね、山桜のドリアード…でも自分でも、どうしようもなくて…お願い、赦してよ
剱岳から真直ぐに逢いに来て、ふたりが告げてくれた想い。
この2つの想いの交錯を2人きり見つめ合ってほしいと、心ひそやかに自分は祈ってしまう。
いま厳冬期の冬富士は無人の頂、そこで2人立つならば、本音のまま見つめ合い向かい合うしかない。
けれど、この「本音」の瞬間迎える途惑いが今、周太を見つめ縋っている。
唯ひとり君を恋して愛しているのに、もう1人の「唯ひとり」にどう向き合えばいい?
そんな想いが切長い目から、途惑い不安に零れていく。
まだ自分の想いの形すら、英二は掴みきれず途方に暮れているだろう。
この想いの途惑いを自分は知っている、あの1月に冬富士の雪崩から自分も悩み続けたから。
光一との初恋が記憶と共に蘇えった、あの瞬間。
英二への想いと光一への想い、それから美代との繋がりに自分も途方に暮れた。
たくさんの涙と助言、そして向き合い見つめる時間が自分を育て、今、心は凪いでいる。
だからこそ願いたい。
この途惑いは、きちんと向き合って超えてほしい。
これは「自分」で見つめないと意味がない、けれど小さなヒントの提案なら出来るかもしれない。
この一週間ずっと考えた願いとヒントを想いながら、周太は恋人に微笑んだ。
「英二?この後は俺、美代さんと先に吉村先生のところで、待っていても良い?」
「あ、…約束、してるんだ?」
すこし驚いたよう見つめて訊いてくれる。
本当は英二は今、2人きりより周太にも居てほしいと思っているかもしれない。
それでも周太は笑顔で頷いた。
「ん、大学の講義のこと話したいね、って。河辺で待合わせしてるんだけど…だめだった?」
ダメだなんて言わないでね?
そんな「おねだり」で見つめた先で、切長い目は笑ってくれた。
「いや、ダメじゃないよ。美代さんと楽しんでくれな?」
「ありがとう、英二…ね、奥に行こう?」
どうか英二、向き合って見つめて?
そんな想いと笑いかけて、ふたり休憩室へと入った。
河辺駅で美代と17時過ぎに待合わせ、ふたり街路樹の道を歩き出す。
すこし歩いてすぐ、見覚えのある扉を開いてブックカフェに落ち着いた。
お互い飲み物だけ頼むと、美代は早速に問題集を開いて微笑んだ。
「先生、よろしくお願いします、」
「そんなふうに言われると、恥ずかしくなるよ?」
先生なんて困ってしまうな?
そう笑いながら周太は、問題集を覗きこんだ。
赤ペンでチェックされた箇所を読むと、その説明をしていく。
「これはね、昨日の電話で一緒に解いた、応用だよ?」
「あ、伴性遺伝ね?」
「そう、あれと同じ考え方…」
いま眺める大学入試問題は、きちんと今でも解ける。
もう5年前になる、それでも記憶が残って今も解答できることが嬉しい。
この記憶があるから、大切な友達の夢を手援けできる。
…覚えていて、良かった、
この記憶に感謝しながら周太は、美代から示された問題全部の解説を終えた。
問題集を片づけて時計を見ると18:00を示している。
「よかった、光ちゃん達より1時間は先に、吉村先生のとこに行けるね?」
「ん、これなら、いろんな話が出来るね…美代さん、先生には話すの?」
訊きながらマグカップに口付けると、まだココアに温もりが残っている。
ほろ苦い濃厚な甘さに微笑んだ周太に、ティーカップ抱えて美代は悪戯っ子に笑った。
「うん、先生には話したいな?だって、立派な大人の人を味方に引っ張りこむ方が、心強いよね?」
これは美代のいう通りだろう。
この大学受験を美代は両親にも話せそうにない、婚期の問題などで反対を受けると目に見えているから。
こんな状況の美代にとって、吉村医師に味方になって貰えたら心強い。この聡明な友人に周太は微笑んだ。
「そうだね?吉村先生が味方になってくれたら、すごく良いと思うよ、」
「ね?先生は町の人にも信頼されているし、お話だけでも聴いてほしいな、って…図々しいかな?」
「ん…きっと先生なら、喜ぶと思うけど、」
話しながら互いにカップを空にすると、鞄を持って立ち上がる。
会計に向かおうとして、ふと目を遣った書棚の前で周太は立ち止まった。
『CHLORIS―Chronicle of Princess Nadeshiko』
B4サイズのシックな表装も美しい、豪華版写真集。
光一が買ったものを見て、自分でも買って実家の部屋に大切に置いてきた。
ここでも売っているんだな?思わず見ていた周太に気が付いて、美代が書棚に手を伸ばした。
「ね、すごく素敵な表紙ね?…CHLORIS、どういう意味かな、」
「花の女神さまの名前だよ、西風の神さまの奥さんなんだ、」
「あ、フローラのこと?」
気が付いて楽しそうに訊いてくれる。
美代が言う名前に頷いて周太は答えた。
「ん、そう…ギリシアだとフローラだけど、本家のローマではクロリスなんだ、」
「ゼピュロスの奥さんよね?花の女神さま…うん、表紙もそんな感じね?お花と女の人の写真集みたい、日本の人かな?」
ギリシア神話なら美代も知っている、そんな共通の知識があることも嬉しい。
嬉しい想いで微笑んだ周太の隣で、美代はページを開くと溜息交じりに微笑んだ。
「ね、見て?すごくきれい…花も、女の人も、」
豊麗に咲き誇る桜の下、黒い振袖ひるがえす美少女の写真。
あらためて周太も見惚れながら、素直に頷いた。
「ん、ほんときれいだね?」
「ね?これ、撮影は何所でしているのかな…あ、意外。都心が多いね?」
解説ページのアルファベットを美代は目で追っていく。
そのうち一カ所を指さして美代が嬉しそうに微笑んだ。
「ね、見て、新宿御苑もあるね?double cherry-blossoms?桜の木のことかな、」
「ん、八重桜のことだと思う…」
答えながら周太も美代の指さすアルファベットに目を落とした。
『double cherry-blossoms “Gioiko”』
花の名を示す二重括弧に、一週間ほど前に見た写真が思い浮かぶ。
その写真と花のことを想って周太は微笑んだ。
「御衣黄、だね?あの緑の桜…美代さんは見たことある?」
「まだ無いの。紅変するのよね?見てみたいんだけど…あ、見て?素敵、」
御衣黄桜と美少女の写真。
あわい萌黄色に薄紅かかる桜の風は、振袖と黒髪なびかせる。
陽光きらめき花は透け、透明な春の光景がページに広がっていく。
「ん、ほんと、きれいだね…」
ほんとうに、きれい。心からの賞賛と同時に面映ゆさも心裡に起きてしまう。
だってこの「美少女」が自分に寄せてくれる想いが、幸せでくすぐったい。
そして今この美しいひとが抱え込む想いに、自分のなかで大らかな愛情と勇気が温かい。
このひとの想いに向き合って受けとめたいな。そんな想い見つめる周太の隣で、そっと美代はページを閉じた。
「これ、すごく素敵ね?デザインとかも素敵だし、さすがにお値段も良いけど、納得ね?…でも、私には、ぜいたくかな?…」
見惚れ眺めて、考え込んでいる。
この写真集は表紙の写真からもう、心惹きこむ引力が強いなと周太は思う。
美代も同じように感じるのだろうか?そう見た先で美代は決心したよう微笑んだ。
「やっぱり買おう。表紙の写真から素敵だし、最近ちょっと勉強頑張ってるから、息抜きに買ってみるね、」
やっぱり美代も気に入ったんだな?
それが納得で可笑しくて、すこし笑いながら周太は促した。
「じゃあ、それも買って行こ?」
「うん。ね、湯原くん?後で、一緒に見ようね?」
ほんとうは自分も持っている。
それにこの写真のモデルが誰かも、本当は知っている。
けれど迂闊な事も言えないまま、周太は微笑んで頷きながら会計を済ませた。
青梅署の診察室に着くと、周太と美代はコーヒーを淹れた。
いつものように吉村医師は用意してくれた茶菓子と、母から預かってきた手土産を並べてくれる。
3つのマグカップが熱い芳香に充ちると、美代とふたり吉村医師を囲んだ。
「おや?なんだか、おふたりとも楽しそうですね、いつも以上に、」
おだやかな声が愉しげに訊いてくれる。
その声に応えて美代は、心から楽しそうに微笑んだ。
「はい、すごく楽しいんです。ね、先生?秘密の話をしても良いですか?」
「君たちが話したいなら、聴かせて頂きたいですね、」
もちろん秘密は守りますよ?そう温かな切長の目が笑ってくれる。
その目を見、周太の顔を見てから美代は、すこし声を低めて口を開いた。
「先生、私、大学受験をしようって決めたんです」
「それは素晴らしいですね、合格を祈らせて頂きます、」
明るく微笑んで吉村医師は即答してくれた。
心から応援する、そんな吉村の笑顔が嬉しくて周太は微笑んだ。
「良かったね、美代さん?」
「うん。やっぱり先生は、応援してくださいますよね?」
周太の笑顔に頷いて、嬉しそうに美代は白衣の意志に微笑んだ。
可愛らしい笑顔の先で熟練の医師は、心から笑って頷いてくれた。
「はい、応援します。チャレンジし、学ぶことは素晴らしいです。小嶌さんは努力家で研究熱心だ、きっと大学は向いていますよ、」
「ありがとうございます。でも先生、私、家族は勿論、誰にも内緒で受けます。反対されるの、目に見えているから、」
ちょっと悪戯っ子に明るい目を笑ませ、美代は笑った唇に人差し指を立てた。
その目に頷くと吉村医師は、すこし困ったよう微笑んだ。
「ご結婚の時期のこと、でしょうか?この辺りは気にされる方も、まだ多いですが、」
「そうです。さり気なく訊いたら『結婚が遅れるから大学なんかダメだよねえ』でした。たぶん誰も同じ反応です。
だから私の大学受験は、湯原くんと、青木先生しか知らないことなんです。そして今、先生にも秘密の仲間入りをして頂きました、」
明朗な美代の答えを、吉村医師はゆったり頷いて聴いている。
そして1つ確認を尋ねてくれた。
「私を入れて下さって、光栄ですね?ところで、受験票や合格通知の配達先は、どうされますか?」
その問題があるのだった。
この問題の解決を考えながら周太は美代に教えた。
「あのね、美代さん。受験票と合格通知は普通、自宅に届くんだ…でも、美代さんの家に届くと、困るよね?」
「うん、困る…だって、ばれちゃうもの?そうしたら内緒で、受験票とか捨てられちゃうかも…」
どうしよう?そんな困惑が、きれいな実直な目を哀しませだす。
けれど解決はあるだろう、周太は今まとめた考えを美代に提案した。
「よかったら、俺の実家を受験の住所に指定したらどうかな?…母だったら、秘密は絶対に守ってくれるよ、」
「ほんと?そう出来たら、うれしいな?」
ぱっと目が明るくなって周太に笑ってくれる。
これで解決が出来るかな、嬉しい想いで周太は頷いた。
「うん、大丈夫。だからね、入試の願書や説明会には、俺の家の住所を書いてね?下宿していることにしたら、良いと思う、」
「ありがとう、良かった。もし私、うっかり自分の家の住所書いたら、大変なコトになったね?」
ほっと安心した顔で美代が微笑んだ。
そして吉村医師の顔を見て、美代は素直に頭を下げた。
「先生、さっそくご協力くださって、ありがとうございます。やっぱり、お話して良かったです、」
「はい、お力に成れたなら良かったです。それで、公開講義はいかがでしたか?」
嬉しそうにロマンスグレーの笑顔が咲いて、話を促してくれる。
ほんとうに吉村医師に話してよかったな?そんな想いで周太は口を開いた。
「はい、本当に楽しかったんです。それで俺、来週から1年間、青木先生の聴講生になるんです、」
「大学に通うんですね?それは良いことだ、小嶌さんも一緒かな?」
すぐに察しておだやかな笑顔が尋ねてくれる。
その笑顔に笑いかけながら、マグカップ片手に美代も楽しそうに頷いた。
「はい、一緒に通います。それで講義の前と後に、受験勉強を湯原くんが見てくれるんです、」
「それはいい考えですね。湯原くんは、とても良い先生で勉強仲間でしょう?」
そんなふうに言われたら気恥ずかしいな?
また熱くなってしまう首筋に掌あてた隣から、明るい笑顔が幸せに言ってくれた。
「はい、最高です。良い先生で、夢の仲間で、いちばんの友達です、」
こんな信頼と「いちばん」が嬉しい。
ずっと13年間は孤独で、友達すらいなかった。
この今より1年前に英二に出逢って友達になったけれど、恋人になって婚約者になっている。
そして光一とは不思議な繋がりで、友達というには少し違う。
けれど美代は、友達だ。
こんなふうに信頼して「いちばん」と言ってくれる、一緒に夢を追いかけようと笑ってくれる。
こんな友達がいる「今」が幸せで嬉しい、だから心から願ってしまう。
…せめて、美代さんの大学合格を、見届けられますように
心裡に祈りながら周太は幸せに微笑んだ。
その背後でノックが響くと、からり扉が開いて活動服姿の長身が現われた。
「失礼します。吉村先生、こんばんは、」
「こんばんは。お二人とも、おつかれさまでした。こちらのお二人も、お待ちかねですよ?」
おだやかで楽しげな吉村医師の声が温かい。
マグカップを抱えたまま振り返ると、ふたつの大切な笑顔が笑いかけてくれた。
きちんと無事にふたりとも来てくれた、この喜びに周太はきれいに笑った。
「お帰りなさい、ふたりとも」
(to be continued)
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第44話 山櫻act.2―another,side story「陽はまた昇る」
御岳駐在所の駐車場に後藤は車を停めた。
駐在所の扉が開かれると、奥から楽しげな笑い声と茶の香が迎えてくれる。
その笑い声に可愛いボーイソプラノが混じるのを聴いて、後藤が微笑んだ。
「田中さんとこの秀介、もう来ているな?きっと、周太くんを待ってるよ、」
「はい、」
素直に頷いて微笑んだ向こう、休憩室の扉が開く。
そして大好きな笑顔が給湯室を通って来てくれた。
「おつかれさまです、副隊長。ありがとうございました、」
きれいに笑って英二が後藤に礼を述べてくれる。
後藤も笑いながら帽子を脱ぐと、温かに微笑んだ。
「いや、こっちこそ礼を言いたいね。楽しい時間を過ごさせて貰ったよ。それからな、奥多摩の植物に詳しくなれたよ、」
「周太は詳しいでしょう、副隊長?」
穏かに微笑んで英二が言ってくれる。
嬉しいけれど恥ずかしいな?そう見ている先で後藤が頷いた。
「うむ、驚いたよ。でも周太くん、大学は農学部じゃなくて、工学部なんだろう?」
言われた通り周太は、公立大学の工学部を卒業している。
この進路選択は義務と責任から選んだ。けれど来週からの進路は義務ではない、この喜びに周太は微笑んで答えた。
「はい。でも、今月の終わりから、週一で農学部の講義を受けます。聴講生ですけれど、」
来週から青木樹医の講義が始まる、この時間の始まりが「明日」への希望にもなっている。
ほんとうは不安も多い「明日」それでも青木准教授との出会いが、ひとつ勇気をくれた。
この感謝に微笑んだ周太に、嬉しそうに後藤が笑いかけてくれた。
「それは良いなあ。結構多いんだよ、大学通いながら奉職しているヤツは。初任科総合でも、通えそうかい?」
「土曜日の講義なので、ちょうど外泊日に当ります、」
「それなら安心だな、良かったよ、」
自分事の様に後藤が喜んでくれる。
そんな様子に微笑んで英二は給湯室に立ってくれた。
手伝いに行きたいな?そう思った向こうの休憩室から可愛い声が呼んでくれた。
「周太さん?あ、やっぱりそう!」
ぱっと声が咲いて、スニーカーつっかけた秀介が奥から飛んできた。
英二の隣を走り抜け、小さな男の子が周太に抱きついてくれる。
受けとめた顔を覗きこんで、周太は年若い友達に笑いかけた。
「こんにちは、秀介。元気だった?」
「うん、元気だよ。僕、2年生になったんだ。ね、いっぱいドリル持って来たんだよ?あとね、図工の絵。ほめられたの、」
可愛らしい笑顔が一生懸命に話をしてくれる。
秀介とは2月のバレンタインのときに顔を合わせて以来だから、2カ月以上ぶり。
冬から春になって少し大人びた笑顔に、やわらかに周太は微笑んだ。
「ほめられたなんて、すごいね?英二にくれた絵も、上手だったよ、」
「あれ見てくれたの?うれしいな、あ、」
すこし驚いたよう秀介は、気がついて周太の隣を見あげた。
見あげられた先、おだやかな黒目がちの瞳が微笑んで、しゃがみこんだ。
「こんにちは、秀介くん。周太の母です、いつも周太と仲良くしてくれて、ありがとうね?」
「周太さんの、おばちゃん?こんにちは、御岳に登ったんですか?」
ちょっとだけ羞んだ笑顔で、はきはきと秀介は挨拶してくれる。
可愛らしい挨拶に母は微笑んで、息子の友人に楽しげに答えた。
「はい、登らせて貰いました。あと、大岳山にもね、」
「僕も、雪が消えたら登りに行きます、」
にこにこ話しながら秀介は、周太と母とを見比べた。
そして小首傾げこんで嬉しそうに微笑んだ。
「おばちゃんと周太さん、似ていますね?ふたりとも、きれい、」
「あら、おばちゃんまで褒めてくれるのね?」
快活な黒目がちの瞳が可笑しそうに笑った。
こんな明るく笑ってくれる姿は嬉しい、幸せな気持ちで見ていると英二が笑いかけてくれた。
「副隊長、お母さん。コーヒー淹れましたから、奥へどうぞ」
「お、宮田のコーヒーか。嬉しいなあ、一杯ご馳走になるよ。奥さん、どうぞあがってください、」
深い目が愉しげに笑んで、母を休憩室へ案内してくれる。
秀介も母と一緒に奥へと入っていく、その後ろ姿はすこし背が高くなっていた。
こんな姿から、子供にとっての2カ月は長い時間だと気付かされる。
それが微笑ましくて、同時に夏以降を想うと切なくなってしまう。
…しばらく会えなくても、秀介は覚えていてくれるかな?
夏になり本配属となれば多分、今までの様には外出も出来ない。
いま秀介は8歳を迎える、そんな幼い記憶力と心に自分はどれくらい留まれるだろう?
そんな想い見つめながら奥へ行きかけた周太の腕を、そっと頼もしい掌が惹きとめた。
「周太、おつかれさま」
きれいな笑顔が笑いかけて、切長い目が見つめてくれる。
いつもの優しい綺麗な眼差し、それなのに、どこか縋るよう切ない。
この切ない想い見つめ返して、やわらかに周太は微笑んだ。
「ん、ありがとう。英二こそ、おつかれさま、」
「俺は疲れていないよ、周太に逢えたから、」
嬉しそうな笑顔が、端正な貌に咲いてくれる。
それでも、小さな揺らぎ見つめたような眼差しが切ない。
こんなに途惑い揺れている恋人は、今、初めて周太は見ている。
…そんなに、不安なの?英二、
御岳駐在は所長の岩崎が雪山訓練のため、この1週間ほど留守にしている。
そのため英二と光一は剱岳以来、職場でも寮でもずっと一緒に過ごしてきた。
そして明日の夜からは、ふたりは冬富士での訓練に入る。それに対する途惑いが切長い目に映っていく。
―…周太、俺、国村とキスした。本気のキスだったよ、でも俺には、親友としてのキスだった
キスして前より愛しいと想った。けれど俺の恋人は君だけしかいない、君の夫になりたい
―…こんなに考えるなんて、こんなに一緒にいたいなんて『山』以外は無かったのに。人間のこと、こんなに求めるなんて
その相手が君の大切なひとだなんて…ごめんね、山桜のドリアード…でも自分でも、どうしようもなくて…お願い、赦してよ
剱岳から真直ぐに逢いに来て、ふたりが告げてくれた想い。
この2つの想いの交錯を2人きり見つめ合ってほしいと、心ひそやかに自分は祈ってしまう。
いま厳冬期の冬富士は無人の頂、そこで2人立つならば、本音のまま見つめ合い向かい合うしかない。
けれど、この「本音」の瞬間迎える途惑いが今、周太を見つめ縋っている。
唯ひとり君を恋して愛しているのに、もう1人の「唯ひとり」にどう向き合えばいい?
そんな想いが切長い目から、途惑い不安に零れていく。
まだ自分の想いの形すら、英二は掴みきれず途方に暮れているだろう。
この想いの途惑いを自分は知っている、あの1月に冬富士の雪崩から自分も悩み続けたから。
光一との初恋が記憶と共に蘇えった、あの瞬間。
英二への想いと光一への想い、それから美代との繋がりに自分も途方に暮れた。
たくさんの涙と助言、そして向き合い見つめる時間が自分を育て、今、心は凪いでいる。
だからこそ願いたい。
この途惑いは、きちんと向き合って超えてほしい。
これは「自分」で見つめないと意味がない、けれど小さなヒントの提案なら出来るかもしれない。
この一週間ずっと考えた願いとヒントを想いながら、周太は恋人に微笑んだ。
「英二?この後は俺、美代さんと先に吉村先生のところで、待っていても良い?」
「あ、…約束、してるんだ?」
すこし驚いたよう見つめて訊いてくれる。
本当は英二は今、2人きりより周太にも居てほしいと思っているかもしれない。
それでも周太は笑顔で頷いた。
「ん、大学の講義のこと話したいね、って。河辺で待合わせしてるんだけど…だめだった?」
ダメだなんて言わないでね?
そんな「おねだり」で見つめた先で、切長い目は笑ってくれた。
「いや、ダメじゃないよ。美代さんと楽しんでくれな?」
「ありがとう、英二…ね、奥に行こう?」
どうか英二、向き合って見つめて?
そんな想いと笑いかけて、ふたり休憩室へと入った。
河辺駅で美代と17時過ぎに待合わせ、ふたり街路樹の道を歩き出す。
すこし歩いてすぐ、見覚えのある扉を開いてブックカフェに落ち着いた。
お互い飲み物だけ頼むと、美代は早速に問題集を開いて微笑んだ。
「先生、よろしくお願いします、」
「そんなふうに言われると、恥ずかしくなるよ?」
先生なんて困ってしまうな?
そう笑いながら周太は、問題集を覗きこんだ。
赤ペンでチェックされた箇所を読むと、その説明をしていく。
「これはね、昨日の電話で一緒に解いた、応用だよ?」
「あ、伴性遺伝ね?」
「そう、あれと同じ考え方…」
いま眺める大学入試問題は、きちんと今でも解ける。
もう5年前になる、それでも記憶が残って今も解答できることが嬉しい。
この記憶があるから、大切な友達の夢を手援けできる。
…覚えていて、良かった、
この記憶に感謝しながら周太は、美代から示された問題全部の解説を終えた。
問題集を片づけて時計を見ると18:00を示している。
「よかった、光ちゃん達より1時間は先に、吉村先生のとこに行けるね?」
「ん、これなら、いろんな話が出来るね…美代さん、先生には話すの?」
訊きながらマグカップに口付けると、まだココアに温もりが残っている。
ほろ苦い濃厚な甘さに微笑んだ周太に、ティーカップ抱えて美代は悪戯っ子に笑った。
「うん、先生には話したいな?だって、立派な大人の人を味方に引っ張りこむ方が、心強いよね?」
これは美代のいう通りだろう。
この大学受験を美代は両親にも話せそうにない、婚期の問題などで反対を受けると目に見えているから。
こんな状況の美代にとって、吉村医師に味方になって貰えたら心強い。この聡明な友人に周太は微笑んだ。
「そうだね?吉村先生が味方になってくれたら、すごく良いと思うよ、」
「ね?先生は町の人にも信頼されているし、お話だけでも聴いてほしいな、って…図々しいかな?」
「ん…きっと先生なら、喜ぶと思うけど、」
話しながら互いにカップを空にすると、鞄を持って立ち上がる。
会計に向かおうとして、ふと目を遣った書棚の前で周太は立ち止まった。
『CHLORIS―Chronicle of Princess Nadeshiko』
B4サイズのシックな表装も美しい、豪華版写真集。
光一が買ったものを見て、自分でも買って実家の部屋に大切に置いてきた。
ここでも売っているんだな?思わず見ていた周太に気が付いて、美代が書棚に手を伸ばした。
「ね、すごく素敵な表紙ね?…CHLORIS、どういう意味かな、」
「花の女神さまの名前だよ、西風の神さまの奥さんなんだ、」
「あ、フローラのこと?」
気が付いて楽しそうに訊いてくれる。
美代が言う名前に頷いて周太は答えた。
「ん、そう…ギリシアだとフローラだけど、本家のローマではクロリスなんだ、」
「ゼピュロスの奥さんよね?花の女神さま…うん、表紙もそんな感じね?お花と女の人の写真集みたい、日本の人かな?」
ギリシア神話なら美代も知っている、そんな共通の知識があることも嬉しい。
嬉しい想いで微笑んだ周太の隣で、美代はページを開くと溜息交じりに微笑んだ。
「ね、見て?すごくきれい…花も、女の人も、」
豊麗に咲き誇る桜の下、黒い振袖ひるがえす美少女の写真。
あらためて周太も見惚れながら、素直に頷いた。
「ん、ほんときれいだね?」
「ね?これ、撮影は何所でしているのかな…あ、意外。都心が多いね?」
解説ページのアルファベットを美代は目で追っていく。
そのうち一カ所を指さして美代が嬉しそうに微笑んだ。
「ね、見て、新宿御苑もあるね?double cherry-blossoms?桜の木のことかな、」
「ん、八重桜のことだと思う…」
答えながら周太も美代の指さすアルファベットに目を落とした。
『double cherry-blossoms “Gioiko”』
花の名を示す二重括弧に、一週間ほど前に見た写真が思い浮かぶ。
その写真と花のことを想って周太は微笑んだ。
「御衣黄、だね?あの緑の桜…美代さんは見たことある?」
「まだ無いの。紅変するのよね?見てみたいんだけど…あ、見て?素敵、」
御衣黄桜と美少女の写真。
あわい萌黄色に薄紅かかる桜の風は、振袖と黒髪なびかせる。
陽光きらめき花は透け、透明な春の光景がページに広がっていく。
「ん、ほんと、きれいだね…」
ほんとうに、きれい。心からの賞賛と同時に面映ゆさも心裡に起きてしまう。
だってこの「美少女」が自分に寄せてくれる想いが、幸せでくすぐったい。
そして今この美しいひとが抱え込む想いに、自分のなかで大らかな愛情と勇気が温かい。
このひとの想いに向き合って受けとめたいな。そんな想い見つめる周太の隣で、そっと美代はページを閉じた。
「これ、すごく素敵ね?デザインとかも素敵だし、さすがにお値段も良いけど、納得ね?…でも、私には、ぜいたくかな?…」
見惚れ眺めて、考え込んでいる。
この写真集は表紙の写真からもう、心惹きこむ引力が強いなと周太は思う。
美代も同じように感じるのだろうか?そう見た先で美代は決心したよう微笑んだ。
「やっぱり買おう。表紙の写真から素敵だし、最近ちょっと勉強頑張ってるから、息抜きに買ってみるね、」
やっぱり美代も気に入ったんだな?
それが納得で可笑しくて、すこし笑いながら周太は促した。
「じゃあ、それも買って行こ?」
「うん。ね、湯原くん?後で、一緒に見ようね?」
ほんとうは自分も持っている。
それにこの写真のモデルが誰かも、本当は知っている。
けれど迂闊な事も言えないまま、周太は微笑んで頷きながら会計を済ませた。
青梅署の診察室に着くと、周太と美代はコーヒーを淹れた。
いつものように吉村医師は用意してくれた茶菓子と、母から預かってきた手土産を並べてくれる。
3つのマグカップが熱い芳香に充ちると、美代とふたり吉村医師を囲んだ。
「おや?なんだか、おふたりとも楽しそうですね、いつも以上に、」
おだやかな声が愉しげに訊いてくれる。
その声に応えて美代は、心から楽しそうに微笑んだ。
「はい、すごく楽しいんです。ね、先生?秘密の話をしても良いですか?」
「君たちが話したいなら、聴かせて頂きたいですね、」
もちろん秘密は守りますよ?そう温かな切長の目が笑ってくれる。
その目を見、周太の顔を見てから美代は、すこし声を低めて口を開いた。
「先生、私、大学受験をしようって決めたんです」
「それは素晴らしいですね、合格を祈らせて頂きます、」
明るく微笑んで吉村医師は即答してくれた。
心から応援する、そんな吉村の笑顔が嬉しくて周太は微笑んだ。
「良かったね、美代さん?」
「うん。やっぱり先生は、応援してくださいますよね?」
周太の笑顔に頷いて、嬉しそうに美代は白衣の意志に微笑んだ。
可愛らしい笑顔の先で熟練の医師は、心から笑って頷いてくれた。
「はい、応援します。チャレンジし、学ぶことは素晴らしいです。小嶌さんは努力家で研究熱心だ、きっと大学は向いていますよ、」
「ありがとうございます。でも先生、私、家族は勿論、誰にも内緒で受けます。反対されるの、目に見えているから、」
ちょっと悪戯っ子に明るい目を笑ませ、美代は笑った唇に人差し指を立てた。
その目に頷くと吉村医師は、すこし困ったよう微笑んだ。
「ご結婚の時期のこと、でしょうか?この辺りは気にされる方も、まだ多いですが、」
「そうです。さり気なく訊いたら『結婚が遅れるから大学なんかダメだよねえ』でした。たぶん誰も同じ反応です。
だから私の大学受験は、湯原くんと、青木先生しか知らないことなんです。そして今、先生にも秘密の仲間入りをして頂きました、」
明朗な美代の答えを、吉村医師はゆったり頷いて聴いている。
そして1つ確認を尋ねてくれた。
「私を入れて下さって、光栄ですね?ところで、受験票や合格通知の配達先は、どうされますか?」
その問題があるのだった。
この問題の解決を考えながら周太は美代に教えた。
「あのね、美代さん。受験票と合格通知は普通、自宅に届くんだ…でも、美代さんの家に届くと、困るよね?」
「うん、困る…だって、ばれちゃうもの?そうしたら内緒で、受験票とか捨てられちゃうかも…」
どうしよう?そんな困惑が、きれいな実直な目を哀しませだす。
けれど解決はあるだろう、周太は今まとめた考えを美代に提案した。
「よかったら、俺の実家を受験の住所に指定したらどうかな?…母だったら、秘密は絶対に守ってくれるよ、」
「ほんと?そう出来たら、うれしいな?」
ぱっと目が明るくなって周太に笑ってくれる。
これで解決が出来るかな、嬉しい想いで周太は頷いた。
「うん、大丈夫。だからね、入試の願書や説明会には、俺の家の住所を書いてね?下宿していることにしたら、良いと思う、」
「ありがとう、良かった。もし私、うっかり自分の家の住所書いたら、大変なコトになったね?」
ほっと安心した顔で美代が微笑んだ。
そして吉村医師の顔を見て、美代は素直に頭を下げた。
「先生、さっそくご協力くださって、ありがとうございます。やっぱり、お話して良かったです、」
「はい、お力に成れたなら良かったです。それで、公開講義はいかがでしたか?」
嬉しそうにロマンスグレーの笑顔が咲いて、話を促してくれる。
ほんとうに吉村医師に話してよかったな?そんな想いで周太は口を開いた。
「はい、本当に楽しかったんです。それで俺、来週から1年間、青木先生の聴講生になるんです、」
「大学に通うんですね?それは良いことだ、小嶌さんも一緒かな?」
すぐに察しておだやかな笑顔が尋ねてくれる。
その笑顔に笑いかけながら、マグカップ片手に美代も楽しそうに頷いた。
「はい、一緒に通います。それで講義の前と後に、受験勉強を湯原くんが見てくれるんです、」
「それはいい考えですね。湯原くんは、とても良い先生で勉強仲間でしょう?」
そんなふうに言われたら気恥ずかしいな?
また熱くなってしまう首筋に掌あてた隣から、明るい笑顔が幸せに言ってくれた。
「はい、最高です。良い先生で、夢の仲間で、いちばんの友達です、」
こんな信頼と「いちばん」が嬉しい。
ずっと13年間は孤独で、友達すらいなかった。
この今より1年前に英二に出逢って友達になったけれど、恋人になって婚約者になっている。
そして光一とは不思議な繋がりで、友達というには少し違う。
けれど美代は、友達だ。
こんなふうに信頼して「いちばん」と言ってくれる、一緒に夢を追いかけようと笑ってくれる。
こんな友達がいる「今」が幸せで嬉しい、だから心から願ってしまう。
…せめて、美代さんの大学合格を、見届けられますように
心裡に祈りながら周太は幸せに微笑んだ。
その背後でノックが響くと、からり扉が開いて活動服姿の長身が現われた。
「失礼します。吉村先生、こんばんは、」
「こんばんは。お二人とも、おつかれさまでした。こちらのお二人も、お待ちかねですよ?」
おだやかで楽しげな吉村医師の声が温かい。
マグカップを抱えたまま振り返ると、ふたつの大切な笑顔が笑いかけてくれた。
きちんと無事にふたりとも来てくれた、この喜びに周太はきれいに笑った。
「お帰りなさい、ふたりとも」
(to be continued)
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