萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.18-side story「陽はまた昇る」

2015-08-01 22:30:00 | 陽はまた昇るside story
Strength in what remains behind  名残の季
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.18-side story「陽はまた昇る」

まだ想い残るなら、どうか瞳を開けて?

「周太…約束まだ憶えてるなら目を覚ましてよ、俺を見てよ?」

白いベッドへ笑いかけて、あわい蛍光灯に寝顔が安らぐ。
長い睫の翳は蒼くけぶって、けれど記憶より細い頬はうす赤い。
だいぶ熱が高いのだろう?心配とふれたい願いに英二は額よせた。

とん、

かすかな音に肌ふれる。
なめらかに受けとめられて熱い、やっぱり発熱している。

―ずっと雪の冷気にいたんだ、冷たい空気が負担になって、

額ふたつ透かす熱に容態が伝わる。
数時間の雪中は気管支の炎症を悪化させた、その発熱が酷い。

「負けるなよ、周太…北岳草を見に行くんだろ?」

語りかけて、けれど応えてくれない。
いま熱に眠りこんでいる吐息かすかに熱くて、唇ふれて軋む。

―本当は苦しかったはずだ、なのに何も言わなかった周太は、

あの雪壁の蔭、本当は既に辛かったろう。
夜明の雪嶺は急激に冷える、その負担は病身に楽なはずがない。
こんなになるまで黙って耐えていた、そこまでの時間に選択を悔めない。

だってもう無理だ。

「…周太、もう終らせよう?」

そっと声にした唇かすかに寝息ふれる。
眠っている呼吸やわらかに熱い、その香かすかにオレンジが甘くなる。
もう馴染んでしまった飴の香、それを口にし続けていた理由も意志も自分が背負いたい。

―馨さん、俺が背負うために鍵をくれたならどうか俺に、

どうか自分にこの先すべて負わせてほしい。
そのため全てを懸けたいと願っている、だから右手も今こうなった。
そんな想いごと額そっと離れて、見つめた右手の包帯がただ白い。

「ごめんな…でも後悔できないんだ、」

ひとり呟いて右手を握ってみる。
けれど指ひとつ反応が鈍い、この現実に立ちあがり呼ばれた。

「…えいじ、」

今、呼んでくれた?

「周太?」

呼びかけまた腰下ろした視界、ベッドの寝顔がゆらぐ。
クセっ毛やわらかな髪に蛍光灯ゆれて、長い睫かすかに震えた。

「周太、俺ここにいるよ、」

笑いかけて見つめる真中、睫ゆるやかに披いてくれる。
黒目がちの瞳が見つめて、そして微笑んだ。

「えいじ…どうやってここに来たの、えいじ?」

呼んでくれる、見つめてくれる。
ただ嬉しくてベッドに乗りだした。

「歩いて来たよ、おはよう周太?」

おはよう、ってずっと言いたかった。

目覚めて最初に笑いかけられる、その幸せずっと欲しかった。
もう一度ずっと取り戻したくて、そうして今ある居場所が微笑んだ。

「おはようえいじ…でも暗いみたい、夜なの?」
「夜だよ、17時半になる、」

応えながら右手のばして布団かけ直す。
その手に優しい手ふれて、そっと重ねてくれた。

「えいじ…包帯してる、右手…左も?」

尋ねてくれながら黒目がちの瞳が見つめる。
その視線すこし照れくさく笑いかけた。

「怪我だらけってカッコ悪いな?ごめんな周太、」
「ううん…僕こそごめんなさい、こんな、」

謝って見つめてくれる、その瞳がゆれてゆく。
ベッドランプの灯きらきら瞳ゆれて、そして光一滴こぼれた。

「ごめんなさい英二、僕のために怪我させて…あんな場所までいっしょにごめんね…ごめんなさい、」

ああ、君が謝りたかったのはこの事なんだ?

『ごめんねえい、じ…』

雪崩のあと君はそう言った、あの「ごめんね」が今解かる。
なぜ謝ってくれるのか泣いてくれるのか、その理由に笑いかけた。

「周太が謝ることないよ、俺が行きたくて一緒に行ったんだ、俺こそごめんな?」

本当に自分こそ謝らなくてはいけない。

「ほんとにごめんな、周太?」

謝りたい、だからまた繰りかえす。
この真実は一生きっと言えないだろう、けれどそれで良い。

「なんで英二が謝るの…ぼくがわるいのに、ごめんなさい…」

ほら、不思議そうに見つめて謝ってくれる。
まっすぐな瞳は純粋で、だから言えないまま笑いかけた。

「あやまるのは俺だよ周太?今だって勝手にキスしちゃおうって思ってたしさ、ごめんな?」

これも本音、だから堂々と笑って言える。
そして叶ったらいいなと下心さわぐ、そんな想いの相手は真赤になった。

「ばかえいじ…そんなこというと熱よけいにでちゃうでしょ、ほんともう…ばかすけべえいじ」

ほら照れて赤くなってしまう、こういうとこ本当に好きだ。
もう24歳で自分と同じ齢、それなのに無垢な含羞へ綺麗に笑った。

「うん、俺はバカですけべだよ?だから今すぐ周太にいろいろしたくって仕方ないんだ、ずっと我慢してたんだからさ?」

こんな本音ここで言われても困るだろうな?
困るからこそ言いたくて、ただ幸せな一時に黒目がちの瞳は羞んだ。

「ばかっ…ここ病院でしょ戸の前だって誰かいるんでしょ、なのに大きいこえでばかっ…恥ずかしいでしょばかっ」

もう「誰かいる」と解かっている。
搬送中もそれだけ意識はあったのだろう、この気丈な病人に笑いかけた。

「恥ずかしいとか俺それどころじゃないよ周太、この間なんかキスも出来なかったんだからさ?」

この間、そう言ったら君はすぐ解かるだろう?
あの夜に「我慢」していたくらい君なら解かる、こんな本音に病人は真赤になった。

「きっ…だからいま大きい声で言わないで聞かれちゃうでしょこまるでしょ?」
「聞かれたって俺はいいよ周太、幸せだって見せつけたいんだから、」

本当に聞かれても自分は構わない。
そんな本音と乗りだしたベッド、布団の赤い顔が突っぱねた。

「っ…ぼくはよくない、だから静かにしてて、」

出ていけ、とは言わないでくれる。
その本音に期待したくて、重ねた右手そっと掴んだ。

「静かにしてって周太、静かにするなら許してくれるんだ?いろいろ、」

ゆるしてほしい、今すぐに。

だって時間どれだけあるのだろう、あと幾度こうして逢える?
その刻限も現実もまだ計りかねて、そんなはざま黒目がちの瞳が羞んだ。

「だめ、ここは病院でしょ…えいじ?」

諭してくれながら右手やわらかく握ってくれる。
やさしい温もり包帯を透かす、そして寝間着の肩ゆっくり起きあがった。

「…英二、」

名前を呼んで黒目がちの瞳しずかに近くなる。
その長い睫ゆるやかに瞑られて、オレンジの吐息そっと唇ふれた。

―あたたかい、

ふれる唇あたたかい。
オレンジやわらかに甘く優しい、交わす吐息に温もり燈る。
あまくて優しくて、ただ温もり嬉しくて幸せで、ことり深く落ちて満ちる。

「周太、」

呼びかけて唇もういちど重ねあう。
吐息と唇ふれるだけのキス、それでも深く満ちて温かい。
こうして触れたかった、触れられたかった、その瞬間に孤独の残滓とけてゆく。

「えいじ…あいたかった、」

ほら君の声がやさしい。

かわす唇のはざま君が泣く、キスの端から潮ひたす。
かすかに辛い雫は甘くて、オレンジの香ごと愛しくて繋いだ右手を握った。

―離れたくない、どうしたらいい?

ほら願ってしまう、やっぱり離れたくない。

どうしたら君と離れずいられるだろう、どうしたら君を護られる?
そのために決めていた途もう迷いだす、今とっくに動き出した歯車を変えたくなる。
こんなふう迷うのは弱さだろうか、いま解からなくなりそうで怖くて、それでも今ひと時が愛しい。

この今ひと時が愛おしい、だって扉むこうは権謀の世界。


(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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