空満つ光、水きらめかせ
漣、水に光遊ぶ―Wordsworth×万葉集
Five years have past; five summers, with the length
Of five long winters! and again I hear
These waters, rolling from their mountain-springs
With a soft inland murmur.-Once again
…
Nor perchance,
If I were not thus taught, should I the more
Suffer my genial spirits to decay:
For thou art with me here upon the banks
Of this fair river; thou me dearest Friend,
My dear, dear Friend; and in thy voice I catch
The language of my former heart, and read
My former pleasures in the shooting lights
Of thy wild eyes.
五年の月日が過ぎ去った 五つの夏、その長きと共に
五つの長き冬も。そして再び私は聴く
この水たちは、山の泉たちから廻り来る
陸深き処のやわらかな囁きと共に、今再び
…
おそらくは、
もし例えば教えられなくとも、僕は
生まれたまんまに快活な僕の魂を枯れさせるなんてしない、
貴方の芸術と共に私はいる、この岸辺に、
この美しい河に、私の親しい友である貴方に、
親愛なる君、親しき友、貴方の声に私は捉えている
私が昔に想った言葉を、そして読みとっている、
私が昔に抱いた歓びを、貴方の天与なる瞳の輝ける眼差しに。
William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」の抜粋です。
昨日撮った写真に合うかなと載せてみました、この詩みたいな思索は自分してないですけどね。笑
詩の後半「thou、thy」は汝・貴方って意味で、神など大きな存在へ向ける二人称みたいです。
なので今は祈祷で神などに呼び掛ける時、詩や古典調の文語として遣っています。
この詩では自然に対してワーズワスは敬愛こめて呼び掛けているみたいですね。
その後に「dear」親愛なる、って表現があるからソウ解釈して訳してみました。
泊瀬川 流るる水尾の湍を早み ゐ堤越す浪の音の清け久 詠み人知らず
泊瀬川の流れは水脈の瀬は速い
堤も越える波の音は、遥か昔から清らかに響く
私の想いも脈々と速まり心の堰を越える、ずっと清らかなままに
いつもの『万葉集』第七巻から引用した歌です。
この「瀬を早み」は気持の高まりに遣われることが多く「堤」「越す」セットだと、
心を抑えている堰を越える=気持が高まっちゃって一線を越えたい、って意味が多いです。
この気持は言うまでもなく恋愛なことが多く、たまに陰謀の実行を謳うケースもあります。
昨日UP短篇連載「不盡の笛2」加筆校正が終わっています。
このあと第65話「如風1」の加筆校正をしていく予定です。
取り急ぎ、
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Five years have past; five summers, with the length
Of five long winters! and again I hear
These waters, rolling from their mountain-springs
With a soft inland murmur.-Once again
…
Nor perchance,
If I were not thus taught, should I the more
Suffer my genial spirits to decay:
For thou art with me here upon the banks
Of this fair river; thou me dearest Friend,
My dear, dear Friend; and in thy voice I catch
The language of my former heart, and read
My former pleasures in the shooting lights
Of thy wild eyes.
五年の月日が過ぎ去った 五つの夏、その長きと共に
五つの長き冬も。そして再び私は聴く
この水たちは、山の泉たちから廻り来る
陸深き処のやわらかな囁きと共に、今再び
…
おそらくは、
もし例えば教えられなくとも、僕は
生まれたまんまに快活な僕の魂を枯れさせるなんてしない、
貴方の芸術と共に私はいる、この岸辺に、
この美しい河に、私の親しい友である貴方に、
親愛なる君、親しき友、貴方の声に私は捉えている
私が昔に想った言葉を、そして読みとっている、
私が昔に抱いた歓びを、貴方の天与なる瞳の輝ける眼差しに。
William Wordsworth「Lines Compose a Few Miles above Tintern Abbey」の抜粋です。
昨日撮った写真に合うかなと載せてみました、この詩みたいな思索は自分してないですけどね。笑
詩の後半「thou、thy」は汝・貴方って意味で、神など大きな存在へ向ける二人称みたいです。
なので今は祈祷で神などに呼び掛ける時、詩や古典調の文語として遣っています。
この詩では自然に対してワーズワスは敬愛こめて呼び掛けているみたいですね。
その後に「dear」親愛なる、って表現があるからソウ解釈して訳してみました。
泊瀬川 流るる水尾の湍を早み ゐ堤越す浪の音の清け久 詠み人知らず
泊瀬川の流れは水脈の瀬は速い
堤も越える波の音は、遥か昔から清らかに響く
私の想いも脈々と速まり心の堰を越える、ずっと清らかなままに
いつもの『万葉集』第七巻から引用した歌です。
この「瀬を早み」は気持の高まりに遣われることが多く「堤」「越す」セットだと、
心を抑えている堰を越える=気持が高まっちゃって一線を越えたい、って意味が多いです。
この気持は言うまでもなく恋愛なことが多く、たまに陰謀の実行を謳うケースもあります。
昨日UP短篇連載「不盡の笛2」加筆校正が終わっています。
このあと第65話「如風1」の加筆校正をしていく予定です。
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