萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第36話 春淡act.3―another,side story「陽はまた昇る」

2012-03-17 22:50:21 | 陽はまた昇るanother,side story
みつめる想いと



第36話 春淡act.3―another,side story「陽はまた昇る」

御岳駐在所で勤務する2人の仕事が終わると、美代の車で4人一緒に青梅警察署へと戻った。
後部座席に活動服姿の2人を乗せて走りながら、美代が明るく笑った。

「ね?警察官を2人も乗せて走っているなんて、他から見たら何事か?って思うっちゃうね?」
「ん、そうだよね?…あ、でも、俺も警察官だよ?」

知らない人が見たら本当に「何事か?」と思うだろうな?
なんだか可笑しくて笑いながら答えた周太に、後部座席からテノールの声が笑った。

「周太はさ、警察官よりも、ツンデレ女王さまが本分だね。だろ、み・や・た?」
「あんまり、困らせないでよ?国村」

きれいな低い声が困ったように答えている。
助手席から周太が振向くと、端正な顔はやっぱり困り顔で微笑んでいた。
その手元には紙袋いっぱいのチョコレートが所在無げに置かれてる。
それを勝手に取り上げて光一が唇の端をあげた。

「おまえのね、困り顔はそそられるんだよ?もっと困りな、こんなにチョコレート貰っちゃってさ?どうするんだよ、おまえ」
「うん、…どうしよう?ね、周太、」

困った顔が縋るように周太の瞳を見つめてくれる。
こんな綺麗な貌で見つめられたら許したくなってしまう、けれど周太は素直に言った。

「どうとでもしたら?きかれたって、わからない…好きにして?」

素っ気なく言うと周太は、また前を向いてしまった。
さっき御岳駐在所で「ちゃんとしたら?」と周太に言われた英二は呆然とした隙にチョコレートを押しつけられたらしい。
あのあと学校帰りの女子高生や近所の主婦たちが、かわりばんこに訪れては同じシーンが繰り返されていた。
女の子を傷つけないのは良いけれど、いくらなんでも貰い過ぎじゃない?
女の子達の笑顔は素直に嬉しかったのに、こんな拗ねるような気持ちがミックスされてしまう。

…こんな拗ねちゃって、今夜どうしたらいいの?

このあと同期の藤岡も一緒に皆で食事することになっている。
そのあとは河辺駅近くのいつものビジネスホテルで、英二とふたりきりになるだろう。
いま正直に拗ねていても皆が一緒だから英二と直接向合わなくて良い、けれど、ふたりきりになった時はどうしたらいいの?
自分自身に途方に暮れたまま、青梅警察署の駐車場に周太は降りた。

「で、吉村先生のとこで全員集合するよ?周太、コーヒー3人前よろしくね。ほら宮田、行くよ?」

からり笑って光一は英二の腕を掴むと「じゃ、あとでね」とさっさと行ってしまった。
そんなふうに着替えに独身寮に戻っていった2人と別れると、美代と周太は警察医診察室を覗きこんだ。
もう診察時間は終わっている、けれどノックして扉を開けるとロマンスグレーの穏やかな笑顔が迎えてくれた。

「こんばんは、湯原くん、美代さん。お待ちしていましたよ?」
「こんばんは、吉村先生。ご無沙汰しています、」

1ヶ月ぶりに会えた笑顔が嬉しくて周太は微笑んだ。
白い清潔な部屋は相変わらず穏やかで心地いい、寛いだ空気に周太と美代はコートを脱いだ。
美代と周太の母からバレンタインギフトを受けとると、吉村医師は嬉しそうに笑ってくれた。

「すみません、恐縮してしまいますね?でも、とても嬉しいです。ありがとうございます」
「こちらこそ、いつも、ありがとうございます…コーヒー淹れますね?」

いつもどおりの穏やかで温かな空気が診察室に流れていく。
またこの空気に立てた今が嬉しい、穏かな気持ちでコーヒーを6つ淹れ終わるころ3人もやってきた。

「こんばんわ、吉村先生。また集合場所にしちゃったよ?」
「こんばんは、国村くん。いつでも使ってください、ここで良かったら、」

気さくに笑いながら吉村医師は3人を招き入れた。
マグカップをサイドテーブルへと周太が運ぶと、折り畳み式の椅子を英二と国村は出しているところだった。
なにげなく見ている周太の視線に切長い目が気がついて、英二は周太に困ったように微笑んだ。

― 周太、怒ってるの?

そんなふうに綺麗な切長い目に訊かれて、思わず周太は素っ気なく目を逸らしてしまった。
ふいっと逸らした視線の形跡に、切なそうな視線の気配が感じられる。
そんな切なげな想いに曳かれるよう、つい振向きたくなって周太は微かに英二の方へ顔を向けた。

…英二、気にしてくれてる?

すこしだけ肩越しに向けた視線の先に、周太の目線に気づいた嬉しげな笑顔がほころんだ。
あんな顔されると逆になんだか困ってしまう、また目を逸らして周太はマグカップを運んだ。
きっと今きれいな顔は哀しそうになっている、それが切なくなるのに意地っ張りの自分がいる。
自分に困りながら皆と一緒に座ると、吉村医師は周太が持参した和菓子を出してくれた。

「うん、これ旨いね?湯原ん家の近所の店とか?」

ひとつ口に入れた藤岡が楽しげに微笑んだ。
人の好い藤岡の屈託ない「美味しい」顔が嬉しい、その美味しそうな笑顔に周太は笑いかけた。

「ん、そうなんだ…昔から、家のひと皆が好きな店なんだ、」

この菓子折は今日、家から川崎駅に向かう途中で見繕ってきた。
美代と光一の家にも同じものを贈ってある、他のひとはどうかなと見ると吉村医師も褒めてくれた。

「そうですか。美味しいお菓子ですね、じゃあ、これは湯原くんの故郷の味ですね?」

自分の故郷。
あの川崎の町にそうした郷愁を考えたことはまだ無かった。
けれど実家の庭も家も懐かしい、そしてこの店の味を好んだ父の笑顔が懐かしい。
今朝も挨拶した、書斎机で微笑む父の写真を想いながら周太は頷いた。

「はい、そうですね?…父も、愛していたお店なんです。ここの桜餅が父はとても好きでした、」

父が亡くなった春の日。
あの日も母と一緒に父の為に桜餅を買いに行った。
父が帰ってきたら家族3人で桜餅を楽しみながら夜桜を眺めて、父は読書してくれるはずだった。
叶わなかった春の日の約束に微笑んだ周太に、吉村医師が穏かに笑いかけてくれた。

「そうですか、とても美味しいのでしょうね?…うん、奥多摩の桜餅も良いですよ。季節になったら、ご馳走しましょう」

さり気ない言葉にも吉村医師の理解が感じられる。
ほんとうは吉村医師に話したいことがたくさんある、今は皆がいるけれど少しだけでも伝えたい。
他の4人は賑やかに話しているから気にしないだろう、周太はそっと口を開いた。

「ありがとうございます…あの、先生?俺ね、わがままでも、正直に生きてみたいな、って思うんです」
「わがままに、正直に、ですね?…うん、受けとめてもらえたのでしょう?」

受けとめてもらえた。このフレーズのとき吉村医師は英二と光一の方を静かに見遣った。
あの2人に「わがままに正直に」が出来たのかな?そう訊いてくれている。
やっぱり吉村医師はわかってくれた、こんな理解が嬉しくて周太は微笑んだ。

「はい、受けとめてくれました。でも、全てが解決したわけじゃないです…それでも、答えのヒントになればって思います」
「うん、そうか…大丈夫、君ならね、必ず良い道を探せるはずですよ?そのためにもね、わがまま正直は、いいかもしれない」

低い穏やかな声で吉村医師は答えてくれる。
この1ヶ月ほど考えてきた、英二と光一と美代との想いの交錯を大切に出来る道。
この答えの途中経過を吉村医師は大丈夫だよと、いいだろうと頷いてくれる。
この医師も自分をありのまま受けとめてくれる一人だ、ありがたさに素直に周太は頷いた。

「はい、一生懸命に『ありのまま』をしてみます。ちょっと迷惑かける、かもしれないですけど、ね?」
「一生懸命にありのまま、ですか。うん、面白いですね?ちょっと迷惑かけて、困らせてやるくらいで調度いいかもしれないですし、」

可笑しそうに穏やかな目が笑って、ちらり英二と光一を見遣りながら言ってくれる。
困らせてやるのが調度いいなんて?この篤実な医師がそんな言い回しをするのが不思議で可笑しくて周太は訊いてみた。

「困らせてやるくらいで、良いんですか?」
「はい。だってね?彼らは思ったことしか言わないし出来ないでしょう?
これは誠実で自由で、真直ぐな生き方です。でもね、湯原くん?それこそ、ある意味で最大の我儘ですよ。
そんな彼らは当然の顔で我儘ばかりしているんです。だからね、君が少々わがまま正直して困らせる位で調度いいでしょう?」

楽しそうに答えてくれながら吉村医師は、コーヒーを美味しそうに啜りこんでくれる。
いつもこんなふうに答えを、明るく楽しい雰囲気へと吉村医師は変えてしまう。それが周太には救いにもなっていく。
話せば何でも心を明るくしてくれる「小十郎」と吉村医師は、どこか似ているかもしれない?
そんなことを想いついた自分は、ちょっと失礼かなと思いながらも周太は嬉しくて微笑んだ。

「ありがとうございます。ね、先生?さっきからずっと俺、ちょっと拗ねてて…今、わがままの最中なんです」
「なるほど、それでずっと困り顔の笑顔なんですね?でもきっとね、彼にとっては『困り顔も幸せの顔』だと思いますよ?」

可笑しそうに笑いながらも温かな眼差しで頷いてくれる。
そんな吉村医師の明るい温もりに、ほっと心がほどけて楽に広やかになっていく。
そうして広やかになる心に余裕ひとつ生まれて、穏かな想いが温かに生まれ育ってくれる。

…ん、英二がもてるのって、いいこと、だよね?

好かれ認められ、受け留められていくことは英二にとって幸せなことだろう。
英二は山岳レスキューの夢に立つため、家も母親も捨てて奥多摩に来てしまった。
実直で真直ぐな英二、だからこそ二度と実家の敷居は跨がない覚悟を持っている。だからこそ身元引受人も周太の母を第一に登録した。
けれど本当は、実の母に受け留めて貰いたいと、認めてほしいと英二は願っている。
こんな寂しさを抱え込んだ英二にとって、受留められる自信はひとつでも多い方が「認められる自信」として支えになるだろう。
そんな気付きのなか、ちいさな祈りが周太の心で呟きをもたらした。

…そんな自信をね、ひとつでも増やして、寂しさを超えていって?ね、英二

やさしい願いが1つ、おだやかに自分の心に生まれてくれた。
こんな願いを抱けたのは、きっと、吉村医師が周太の心に余裕を作ってくれたから。
やさしい願いも吉村医師の想いも幸せで嬉しくて周太は微笑んだ。

「ね、先生?好かれるって、自信になりますよね?…だから、喜んであげたいです。
それでも、やっぱり俺、わがままで…ちょっと拗ねちゃうのは、治らないんです。ほんと子供じみて、困ったもんですね?」

ほんとうに自分は子供っぽいな?
こんなこと恥ずかしくて人には言えなかった、けれど正直に自然とこの医師には話してしまう。
なんだか本当に「小十郎」に話しているみたいに素直だよね?それも不思議で見つめる周太に吉村医師は笑ってくれた。

「子供で当然ですよ?君は23歳だ、けれど心はようやく11歳になるんです。
そしてね、そんなふうに『子供じみて』って思えることは、順調に成長している証拠です。大丈夫、
君こそ『好かれて』いるんですから、困っても自分を認めていきましょう。そうしたら君にしか成れない素敵な人格が育ちます」

どうしてこの医師は、まるごと肯定して受容れられるのだろう?
大きな懐の温もりと、示してくれる明るい今後の自分の姿が、温かく自分を励ましてくれる。
こんなひとに自分も成れたらいい、尊敬と温もりへ素直に周太は微笑んだ。

「ありがとうございます…ね、先生?俺もね、先生みたいに、人を励ませるような人格に、なれるでしょうか?」
「おや、うれしいことを言ってくれますね?私の方こそね、君と話すと励まされますよ、」

うれしそうに笑ってコーヒーをひとくち吉村医師は啜りこんだ。
ほっと美味しそうに息吐くと、医師は穏やかに真直ぐ周太の瞳を見ながら話してくれた。

「この私の掌は大した力も無い、それでも、少しでも人間の美しさを信じて生命と尊厳を守る手助けをしたい。
そんな願いの為に私はここにいます。こんな私にとってね、人間の美しさに出会える瞬間は、なによりの救いと励ましです。
けれど今は、どこか自分中心で寂しい世の中です。それでも、君みたいな純粋な人がいてくれること。それが私には救いですよ?」

こんなふうに今の自分に言ってくれる人がいる。
この今の自分でも、何か誰かの為に役に立てているの?
なにか必要とされることは、きっと誰にとっても幸せで嬉しいことだろう。温かな想いに周太は笑いかけた。

「先生、ありがとうございます。ね、先生?俺にとってはね、先生こそが救いと励ましですよ?」

この明るい方向を示す医師と出会えて良かった、ここに英二に連れて来てもらえて良かった。
やさしい感謝に微笑んで周太は夜のひと時を過ごした。



5人での夕食は河辺駅から近い河原で、光一が得意の焚火で串焼きを仕上げてくれた。
美代の家の台所でケーキを焼いたとき、材料の下拵えだけは美代と周太でしてきてある。
雪白む河原に熱い焚火を囲んだ星ふる下で、親しい人たちとの食事は温かくて楽しかった。
ほとんど食べ終えた頃、日曜にも会った同期の藤岡が周太の貌をしげしげと見て言った。

「なあ、湯原?この間も思ったけどさ、ほんと、綺麗になっちゃたな?」
「ん、…そう、かな?」

こんな率直に言われるのも気恥ずかしい、熱くなる首筋を周太は撫でた。
変わらぬ呑気な笑顔で、藤岡は日本酒を片手にからり明るく笑ってくれる。

「そうだよ?たぶんさ、初任科総合で同期のやつらに会ったら、驚かれるんじゃないかな?宮田もだけどさ、」
「英二も?」

英二の話になって何となく気恥ずかしく想いながらも、周太は訊いてみた。
そうだよと頷いてコップ酒を啜りこみながら、藤岡は明るく話しを続けてくれる。

「うん、だってさ?卒配期間なのに宮田、もう本配属まで決っただろ?
それって、すごいことだと思う。ほんとに宮田、頼もしくなったよ。卒業式の後からさ、雰囲気ずいぶんと変わったよな、特に背中」

「ん、…背中?」

とくん、1つ鼓動がちいさく起きて周太は1つ瞬いた。
日曜の朝に見つめた英二の背中は頼もしかった、その記憶が心臓をノックしてしまう。
ちょっと赤くなりそうだな?すこし困っていると、藤岡がのんびりと話を続けてくれた。

「そう、背中がさ、なんか頼もしくなったよな?かっこいいな、って思うよ。だからかなあ?」
「ん?」

かっこいいと褒められることは嬉しい。
けれど、なにが「だから」なのだろう?そう見つめた先で藤岡は人の良い笑顔で口を開いた。

「なんかさ、最近、『あの御岳の駐在さんって、どんな人ですか?』って聞かれるんだよな。
今日もチョコレートの数、すごかったしさ?やっぱ、もてるよなあ、宮田。署の方にも何個か届いたりしていたしさ、」

「青梅署の方にまで?」

すこし驚いて周太は朗らかな笑顔に尋ねた。
尋ねられて藤岡は何気なく、ありのままを答えてくれる。

「うん。ほら、遭難救助でさ、宮田が応急処置とかするだろ?
宮田ってさ、いつも現場でも優しいんだよな。気持ちが動転している人には、飴あげて落着かせたりして。
だから宮田、大抵救助の後は、お礼状を貰っててさ。特に女の人たち。だからさ、チョコレートが届くのも納得だよな」

「…そう、なんだ」

お礼状をもらって嬉しかった、ことは英二からも聴いている。
けれど女性からたくさん来るなんて?初めて聞いた事実に困惑が心を掴まえていく。

…でも、言われたら、納得してしまう話だね?

認められている英二の姿は心から嬉しい。
けれど「女性からたくさん」のフレーズにどうしても、また拗ねたい気持ちが起こされてしまう。
こんなに自分って嫉妬深かったんだ?正直な想いと途惑いが熱に変わって首筋を昇っていく。
きっとすぐに顔も真赤になっちゃうな?すこし困りながら微笑んだ周太に、さらっと藤岡が訊いた。

「でさ、湯原も宮田に、チョコレートあげたりしたの?」

ちょっと待って、今、情報過多になってるから?
そのうえにそんな気恥ずかしい質問をされたらキャパオーバーしちゃう?
なんだか喉が渇いて周太は、すぐ傍に置かれたコップに手を伸ばすと中身を呑みこんだ。

「…ん?」

呑みこんだ液体が、喉に熱い。

…これ、一体、なんだろ、ね?

不思議で首傾げた周太の視界がぐらり傾いでいく。
首筋も頬もきっと真赤になっている、もう頭の中もなんだか熱い?
ふっ、と星空が瞳に映りこんだとき、体が抱えられて水仙に似たあまい香りが頬を撫でた。

「周太!」

透明なテノールが名前を呼んでくれる。
くらりとする意識ごと抱えられた周太に、どこか焦った調子で綺麗なテノールは響いていく。

「これ、ってさ?俺が作った酒のコップだよね?藤岡、これ全部、周太が呑んじゃったワケ?」

ぼんやりと霞がおりた視界の中心で、秀麗な雪白の貌がいつになく慌ててくれる。
その横から藤岡と美代が覗きこんでくれながら、光一と話していた。

「うん。あ?って思った時にはさ、湯原、一気で呑みこんじゃったんだ、」
「光ちゃんダメよ、いい加減なトコに置いたりして?ね、湯原くん、大丈夫?お水、飲める?」

…こういちって酒もつくれるんだ?

遠のく意識のなかで周太は初恋相手の特技を、またひとつ知った。
意識と一緒に閉じていく瞳には、端正な困り顔がさっきよりもっと困った表情で映りこんだ。

「周太?…指先は体温普通かな…脈拍、早い…周太、聴こえる?周太?!」

綺麗な低い声が一生懸命に名前呼んでくれる。
困ったまま驚いた端正な顔は、きれいな切長い目が大きくなって幼げになっていた。

…このかお、かわいくってすき…えいじ

今日はずっと、困った顔ばかり見ているね?
なんだか可笑しくて微笑んだまま、周太の意識は酒の香に融けこんだ。



あまい酒の香から意識がゆっくり浮上していく。
意識の浮上と一緒に睫が啓かれて、ゆるやかに焦点が定まりだした。
おだやかなルームライトのオレンジ色に白い天井が温かい、見覚えのある景色に周太は瞬いた。

…河原にいたよね?それから、…あれ?

さっきまで河原で焚火を囲んでいた。
けれどここは室内で、いつも泊まるビジネスホテルの一室と同じ風景でいる。
いま、頬はやわらかな白いまくらに包まれて、体はベッドのやさしい肌ざわりに沈みこむ。
どうして自分はここにいるのだろう?ゆるく視線を動かすとソファから長身の翳が立ち上がってくれた。

「…周太、気がついた?」

きれいな低い声が穏やかに笑いかけてくれる。
やさしい切長い目の眼差しが嬉しい、素直に周太は微笑んだ。

「英二?…こっち来て?」

ブランケットから掌を伸ばして英二の方へ向けると、綺麗な笑顔がかがみこんでくれる。
大好きな笑顔の頬を両掌ではさみこんで惹きよせて、きれいな切長い目を周太は覗きこんだ。
覗きこまれて、どこか照れたように笑ってくれる。こんな表情を以前の英二はしなかった、この間の土曜の夜までは。
この新しい英二の含羞が嬉しい、うれしくて微笑みながら周太は質問した。

「ね、英二?…どうしてここに俺、寝ているの?」
「周太ね、酔っぱらっちゃったんだ。国村の酒を、一気に呑んだから」
「…お酒?」

記憶の底を浚えて見つめていくと、ひとつのコップが浮びあがった。
そう、自分は喉が渇いてコップを手にとった、そして一息に中身を飲んだ。
なぜそんなことをしたのだったろう?

…あ、バレンタインの…たくさん、貰ったって、

拗ねたような嫉妬が心でまた起きてしまう。
せっかく寝た子を無理に起こしたよう持て余しながらも、正直に周太は口を開いた。

「英二?たくさん今日はチョコレート貰ったんでしょ?…署にまで届いたって、きいたけど?」
「うん、…そうだけど、」

言われて、綺麗な切長い目が困っていく。
こんな困った顔がなんだか良い気分?だって自分が拗ねていることに英二は困ってくれている。
こんなふうに構ってもらえる事がなんだか嬉しくて、つい周太はもっと拗ねてみせた。

「もてるよね、えいじ?かわいい子も、いっぱいいるんでしょ?…俺よりも、きれいなひと、たくさんいるよね?」
「そんなことないよ?周太、」

困っていた切長い目が、急に嬉しそうに笑った。
どうしてそんなに嬉しそうなの?そう見つめた先で英二が綺麗に笑ってくれた。

「いちばん周太が綺麗で、可愛くて、大好き。俺ね、周太の恋の奴隷なんだ。だから…キス、させて?」

こんな笑顔でキスをねだられたら許したくなってしまう。
けれど周太は掌を白皙の頬から離すと、まくらに顔を埋めてしまった。

「嫌、してあげない…あ、おふろ入りたい、」

そっぽ向いたまま起きあがると、周太はベッドから降りかけた。
カーペットの床に足をおろす、そのとき周太の動きが止まってしまった。

…なんで、素足なの?

履いていた黒藍のサルエルパンツも靴下も消えていた。
男なのに体毛も少ない脚がルームライトで露にされている、それにニットも脱がされている。
あわい色のチェックシャツだけしか自分は着ていない。自分の格好に驚いている周太に、綺麗な低い声が教えてくれた。

「周太、酔っぱらってただろ?体を締め付けていると嘔吐しやすいから、楽な格好にさせてあげたかったんだ。
おかげで今、気分も悪くないだろ?顔色も良いし、二日酔いの兆候も無さそうだよ。良かったね、周太?明日は山に行くのだし、」

気がついたら胸元も、シャツのボタンが3つも外されている。
こんな姿は恥ずかしい、きっと顔なんか真赤になってしまう。恥ずかしさに周太はベッドにもぐってしまった。
そんな周太に笑いかけてくれる気配と一緒に、きれいな低い声が楽しげに微笑んだ。

「周太?お願い、ご機嫌、直してよ?いいもの、あげるから」

いいものって何だろう?
英二は趣味が良くて、服でも花束でも素敵だなと思うものを贈ってくれる。
きっと今も「いいもの」なんだろうな?見てみたいし、喜んで受け取ってあげたら大好きな笑顔も見せてもらえるだろう。
気恥ずかしい、でも素直に英二から「いいもの」を受けとりたいな?周太は起きあがると白いベッドカバーを引き寄せた。

「ん、…なに?えいじ、」
「ありがとう、周太。出て来てくれて。はい、これ、」

綺麗な笑顔と一緒に、きれいな包みをひとつ周太の掌に渡してくれる。
見てみると、オレンジピールのチョコレートだった。

「日曜の朝にね、いつものパン屋で見つけたんだ。周太、好みの味かなって思って。ね、周太?バレンタインだよ?」
「…ばれんたいんなの?」

男のひとだけれど、自分にくれるの?
うれしさと恥ずかしさで顔が熱くなる周太に、きれいに英二が笑いかけてくれた。

「そうだよ、周太。俺の本命チョコ、受けとって?」

今日、贈られた中で一番うれしい。
嬉しさに頬染めながら、周太は素直に英二に微笑んだ。

「ん、ありがとう…英二のが、いちばん嬉しいよ?」
「よかった、…周太、」

きれいな笑顔が幸せそうに咲いて、やさしいキスが唇にふれてくれる。
やさしいキスを素直に受けて周太は微笑んだ。

「ん、キス、うれしいよ?…」
「俺も、うれしいよ?ね、周太?いちばん、ってことは、他にもチョコレート貰ったんだ?」
「ん。貰ったよ?」

今日は周太も幾つかチョコレートを貰った。
今までは母にしか貰ったことが無い、けれど今年はいろんな人に貰えて嬉しかった。
嬉しかった想いを英二に聴いてほしくて、素直に周太は続けた。

「朝ごはんの後に、母からチョコレートケーキでしょ?
それから、美代さんがオレンジ・ガトーショコラを焼いてくれて。
あとね、国村のお祖母さんもチョコレートを用意してくれていたんだ…美代さんのお姉さんも、くれて。お母さんと、お祖母さんも」

「美代さんの、お祖母さんたちも?」

すこし驚いたように低い声が訊いてくれる。
やっぱり意外なのかな?自分でも驚いたなと思い出しながら周太は微笑んだ。

「ん。国村の家に遊びに行っている間に、買ってきてくれて…お婿さんにきてね、って、言われたよ?」
「お婿さん…周太、気に入られちゃったんだ?」

すこし驚いたように切長い目が大きくなっている。
この顔は可愛くって好き、うれしく好きな顔に笑いかけながら周太は頷いた。

「なんかね?…はずかしいけど、うれしかったよ?みんな、良い人達で、好きなんだ、俺も」
「そっか。良かったね、周太」

驚いたまま、けれど優しく笑って英二は聴いてくれる。
優しい笑顔が嬉しくて素直に微笑みながら、周太はあと2つのチョコレートの話をした。

「あと2つはね…1つは、昨夜、いつもの新宿の花屋さんで、チューリップの花束を母に買ったとき。
あの花屋のひとがね?常連さんにサービスね、ってチョコレートくれたんだ。…昨夜の電話では言いそびれちゃったけど」

「優しそうなひとだよな?周太、嬉しかったね、」

楽しげに英二は話しを聴いてくれる。
やさしい楽しい空気に心ほどけて、周太は正直に思ったままを言葉にした。

「ん、…ほんとはね、英二のこと好きみたいだよ?でも…俺ね、あの人に『憧れ』ているみたい?で、」
「…花屋さんに?周太が?」

驚いたと困ったがミックスされた顔で英二が見つめてくれる。
いつも落着いている英二を、驚かせて困らせられている?なんだか少し気分が良くて周太は笑った。

「チューリップをね『この子』って呼んで、宝物みたいに大切に手にとるんだ…それで、素敵だな、って見惚れたよ?」

ちょっと英二も嫉妬してくれるのかな?
そう見ている先で綺麗な切長い目は、すこし考え込む風に周太を見つめて、やさしい笑顔で笑ってくれた。

「周太に見惚れてもらえるなんて、羨ましいな?でも…ね、周太?俺の嫁さんになってくれる?」

いきなりそんなこと訊くの?
気恥ずかしさに頬が熱くなってくる、なんて今、答えたらいいの?
けれど本当は応えなんて決まっている、ひとつ息を吸って周太はきれいに笑った。

「ん、…およめさんにしてね?…あ、でも、他のひとに憧れちゃったけど、いいの?」
「もちろんだよ、周太?言っただろ、たくさんの大切な人を見つけてほしいって。だからね、花屋さんも大切にして?」

ほら、英二は受け入れてくれた。
やっぱり本当に言うことを聴いてくれるの?そんな申し訳なさと嬉しさが織り交ぜられて気恥ずかしくなってくる。
あんまり頬が熱くなってばかりいると困っちゃうな?そっと掌で頬を抱え込んだ周太に、微笑んで英二は訊いてくれた。

「ね、周太?あと1つのチョコレートは、誰に貰ったの?」

そうだった、あと1つまだあった。
これは少し恥ずかしいと思いながらも、正直に周太は口を開いた。

「ん、国村だよ?」

「え、…あいつが?」

ちょっと間が空いて、綺麗な低い声が短く訊きかえしてくれる。
なんだか不意打ちが成功したような雰囲気に、つい嬉しくなりながら周太は答えた。

「ん、そう。アーモンドチョコレートをね、一箱くれたよ?本命だからね、って言われて…ね、これも、いいんでしょ?」
「うん。…そっか、あいつらしい、ね?」
「でしょ?」

ほんとうは、隠して置けばいいのかもしれない。
けれどこの綺麗な笑顔の持ち主には、ありのまま自分を全て抱きとめていてほしい。
だって自分の事を「ツンデレ女王さま」と呼んで恋の奴隷になりたいと言ってくれたから、遠慮はもうしたくない。
わがまま正直して、困らせちゃうんだからね?そう瞳で言いながら周太は英二を見つめて微笑んだ。

「でもね、英二?このオレンジピールがね、いちばん嬉しいよ?…ありがとう、英二?」
「俺が、いちばん?」

きれいな幸せな笑顔が隣で華やかに咲いてくれる。
美しい笑顔の華が嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、一番だよ?だから、ね、キスしてあげる…英二、」

美しい笑顔の白皙なめらかな頬を両掌で包む、その笑顔にまた幸せな華が咲いてくれる。
きれいな一番の幸せに微笑んで、そっと周太は大切な華に唯一のキスを贈った。




(to be continued)

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