萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第36話 春淡act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2012-03-15 22:35:37 | 陽はまた昇るanother,side story
こころ、春おとなう、



第36話 春淡act.1―another,side story「陽はまた昇る」

おだやかな陽光と額にふれる優しさに周太は目を覚ました。
披いていく睫の向こう、やさしい黒目がちの瞳が微笑んでくれる。
ひとつ瞬いて焦点があうと、楽しげに母が笑った。

「おはよう、周、私の宝物さん。バレンタインのチョコレートケーキが焼けたよ?」

ゆっくり瞬いて周太は母の瞳を見つめた。
見つめる母からはチョコレートがやさしい甘さに香ってくる。
眠っている自分を母は眺めていたらしい、気恥ずかしさに微笑んで朝の挨拶をした。

「おはよう、お母さん…どうしたの?寝ている所にくるなんて」
「久しぶりにね、周の寝顔を見たくなっちゃって。相変わらずの天使の寝顔だったよ?ほんと可愛いね、周は」

楽しげな母の微笑が明るくて嬉しい、うれしくて周太も微笑み返した。
けれど額の感触がすこし気になってしまう、起きあがりながら周太は訊いてみた。

「あのね、お母さん?…もしかして、おでこにキスしてくれた?」
「あ、ばれちゃったね?」

明るい声で母がバツ悪げに微笑んだ。
微笑んだ黒目がちの瞳で周太の瞳を見て、穏かに母は答えてくれた。

「昨夜ね、帰ってきた周を見た時に、すこし大人の顔になったなって感じたの。
それでね、思ったの。もうじき離れる時がくるかな、『離れる練習』が本番になるのかなって。
だから今朝は寝顔を見たくなって、久しぶりに周の寝顔を見に来たらね?もうキスも最後かなって思って、させてもらっちゃった」

昨夜は日勤がすこし長引いた後で帰ってきたから、家に着いたのは21時近かった。
食事の時は射撃大会の話をして、そのあと風呂を済ませてすぐ寝んだから、昨夜は英二のことは話せていない。
それでも母は周太の変化を感じ取ってくれている。こんな暗黙の理解が嬉しい、けれど同時に寂しさを想いながら周太は微笑んだ。

「ん、…すこしだけね、大人になれたかも、しれないんだ。英二と、光一と、美代さんのこと、すこし整理がついたから」
「そう、よかった。だからかな?周、すっきりした顔してるもの?」

きれいに微笑んだ母が、ふと周太の枕元に目を留めた。
見つかっちゃったな?今度は周太がバツが悪くなりながら微笑んだ。
そんな息子を見て母は、愉しげに笑ってくれた。

「周、小十郎と寝てあげたのね?」

気恥ずかしさに頬が熱くなってくる。
それでも周太は枕元からテディベア「小十郎」を抱き上げて微笑んだ。
テディベアの「小十郎」は、ひとりっこの周太には大切な友達だった。
この大切な友達をそっと抱きしめて、恥ずかしさに頬が熱くなりながら周太は母を見た。

「ん、そうだよ?…昨夜、屋根裏部屋からね、連れてきたんだ」
「小十郎の指定席の、あのロッキングチェアーから、ね?」

大切な宝物「小十郎」を周太は、父の死の知らせを聴いた瞬間に忘れてしまった。
そんな息子を母は静かに見守りながら、周太の代わりに「小十郎」を大切にしてくれていた。
けれど光一との再会で記憶が戻った周太に、母は「小十郎」を再び贈ってくれてた。
母のおかげで「小十郎」は13年と10ヶ月ぶりに屋根裏部屋のロッキングチェアーに戻ってこれた。
あのときの感謝に微笑みながら、気恥ずかしくても周太は思ったままを口にした。

「ん、そう…今もね、小十郎はあの椅子が好き、みたいで、」

ゆうべ帰ってきて屋根裏部屋に入ったとき、昔通りに座っている姿が嬉しかった。
天窓ふる星空を見あげるロッキングチェアーから「おかえりなさい」と笑ってくれたように思えた。
嬉しかった昨夜の記憶を想いながら、赤い頬のまま周太は微笑んだ。

「小十郎とね、屋根裏部屋で話して…それで、13年間は寂しかったろうな、って思って」

記憶を失う前まで周太はいつも「小十郎」とお喋りをしていた。
なぜか「小十郎」に話しかけると良い考えが浮かんで、なんでも楽しく出来た。
傍にいると心が明るくなる不思議なテディベア、ずっと宝物だった。
こんなに大切な宝物、なのになぜ自分は忘れてしまったのだろう?
自分自身で記憶の喪失を不思議に思いながら周太は、ありのままを母に話し始めた。

「13年間ずっと忘れていた分をね、埋め合わせしてあげたくて…。
それで、昨夜は一緒に寝たかったんだ…でも、やっぱり、23歳の男がテディベアと寝るなんて、変だよね?」

吉村医師にも言われたように、自分の精神年齢はまだ11歳足らずだろう。
それでも世間の目はさすがに解かる、23歳にもなった男がテディベアを可愛がるのは「変」だ。
けれど「小十郎」の気持ちを想うと昨夜は一緒に寝てあげたかった。
小学校に上がった時も悩んだことだけれど、やっぱり自分は「変」なのだろう。
こんな変な息子の自分がいろいろ申し訳なくて、周太は母に謝った。

「ね、お母さん…ごめんなさい、変な息子で」

こんなの母も恥ずかしいだろうな?そう思いながら周太は母の瞳を見つめた。
けれど母は、愉しげに笑って掌を伸ばすと「小十郎」の頭を撫でてくれた。

「周らしくって、素敵よ?周はね、そういう繊細で優しいとこが良いね。きっと、小十郎も嬉しかったと思うな?」

こんな自分でも母は受けとめてくれる。
いつもながらの無条件の受け入れが嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、…ありがとう。お母さん」
「あら、ほんとのこと言ってるだけよ?それにね、きっとお父さんも喜んでると思うわ」
「ん、お父さんが、喜んでくれるの?」

意外な母の言葉に周太は訊きかえした。こんな女々しい自分でも、父は喜んでくれるのだろうか?
そんな疑問と見つめた母は穏かに話してくれた。

「お父さんが小十郎を連れてきたのってね、まだ周が生まれる前だったでしょう?
あのときもね、お父さん忙しかったから、周が生まれてすぐ会えるかも解らなくって。
それでね、自分の代わりに周を見守ってほしいからって、言ってね。お父さん、小十郎を連れてきたのよ」

生まれる前に「小十郎」を連れて来てくれたのは周太も聴いていた。
けれど、父の身代わりだったことは初めて聴く。驚いたまま周太はつぶやいた。

「小十郎、お父さんの身代わりなの?」

「うん、そうなの。自分が忙しいせいで、周を寂しい思いさせるかもしれない。
だから自分の分も相手になってくれるように、テディベアを贈りたいって。名前も一生懸命に考えていたわ、お父さん」

父の身代わり。
初めて知らされた父の想いと「小十郎」を周太は見つめた。
どうして父の死と同時に自分が「小十郎」を忘れてしまったのか、その理由が解かったかもしれない。
そして母が「小十郎」を13年間ずっと大切にしていた想いが、切なくて愛しくて心が温まっていく。
ふりそそぐ両親の想いを見つめる視界におりていく涙の幕のなか周太は微笑んだ。

「お母さん。小十郎のこと、ずっと大切にするね…13年間、小十郎を大事にしてくれて、ありがとう、お母さん」
「こっちこそよ?ね、周。13年間、小十郎を貸してくれて、ありがとう」

ぽとん、周太の瞳から涙がこぼれて「小十郎」の瞳の涙になった。
一緒に泣いてくれる「小十郎」を抱きしめながら周太は母の瞳に微笑んだ。

「お母さん、あのね、…俺も、お母さんに、キスしていい?」

こんなこと23歳の男が言うのは変かもしれない。
けれど今、精一杯の愛情を母に贈りたい。
それでも気恥ずかしくて首筋も頬も熱い周太に、母は穏やかに笑ってくれた。

「うん、うれしいわ。ひさしぶりのキスね?」

きれいな黒目がちの瞳が愉しげに笑ってくれる。
そんな母の瞳に微笑んで周太は、そっと母の額にキスを贈った。

階下に降りて仏間への挨拶を済ますと、周太はリビングの扉を開いた。
やさしい甘い香と陽射しに温かい部屋の、あかるい陽だまりのテーブルにはチューリップの花束が可愛いく活けられている。
昨夜は固い蕾の花だったけれど今朝は綺麗にほころび始めている、嬉しくて周太は微笑んだ。

「…おはよう?きれいだね、」

この花束は昨夜帰ってくる途中で周太が新宿の花屋で買ってきた。
昨日は東口交番の勤務を終えてから3日間の休暇分の荷物を持つと、新宿南口のクラフトショップへと寄った。
目当ての植物標本用の薬剤を買って南口改札へ向かうとき、いつも英二が母に花束を作る花屋を通りかかった。
そこで目にとまったチューリップが可愛くて、周太は初めて一人で立ち寄ってみた。
すこしの緊張と店先を覗きこんだ周太の姿に、いつもの女主人はすぐ気がついて微笑んでくれた。

「こんばんわ、今日はひとりなの?」
「あ、こんばんわ…あの、今日はひとりです。それで、チューリップの花束、お願いできますか?」
「はい、かしこまりました」

いつもどおりに明るく笑って彼女はカウンターから出て来てくれた。
やさしい彩どりのチューリップの中に佇むと彼女は周太に微笑んだ。

「贈る相手は、どんな方ですか?」
「あの、母なんですけど…」

なんて母を表現したらいいだろう?
いつも英二はなんて母を表現して女主人に伝えていただろうか?
うまく表現できないで困りかけると、彼女は微笑んで言ってくれた。

「瞳がきれいな、穏かな方ですね?やさしい明るい感じにしましょう。お花、君も好きよね?どのチューリップが好きですか?」

彼女は英二のオーダーを覚えてくれていた。
しかも周太のことも見てくれていたらしい、彼女が作ってくれる常連の優しい空気に周太は緊張がほどけて微笑めた。

「ありがとうございます…俺は、このピンクと白のが好きです」
「かわいいですよね、この子。私も好きなんです。じゃあ、この子をメインに合わせていきますね?ほかに気になる子いるかな?」
「はい、この透明な赤い花、きれいだなって…」
「この子ね、今日いちばんの美人さんなのよ。やっぱりお目が高いですね?」

楽しそうに笑いながら彼女は綺麗にチューリップをまとめてくれる。
花を褒めながら手にとる優しさが嬉しくて、ブーケを作る鮮やかな手際が綺麗で周太は楽しく見惚れた。

「はい、今、こんな感じです。足し算ひき算あったら教えてくれるかな?」
「とても素敵です、ありがとうございます」
「よかった、気に入って頂けて嬉しいです。じゃ、オマケのお花を入れて仕上げますね、」

彼女の優しい気遣いのおかげで、周太が想ったとおりのブーケを作って貰えた。
あの女主人は心から花を愛している、チューリップに「この子」と呼びかけた微笑は彼女の心映えがきれいだった。
きっと英二が贈ってくれた婚約の花束も彼女が作ってくれたのだろう、あのメッセージカードも優しさがあふれていた。
花を愛する彼女と話すのは楽しくて、昨夜は思いがけない嬉しい時間が過ごせた。
けれど微かな罪悪感も感じてしまう、ちいさなため息と一緒に周太はチューリップに話しかけた。

「…ね?あのひとは、やっぱり、英二のこと好き、なのかな…」

昨夜、彼女が周太を見る目は、英二を見つめる目と違っていた。
以前も彼女が英二を見る目が気になった、きっと英二を好きなのだろうと感じた。
このことを、彼女の想いを英二は気づいているのだろうか?

「…もてるよね、」

ぽつんと呟いて、すこしだけ周太は落ち込んだ。
今日は母とゆっくり過ごした後、昼過ぎには奥多摩に自分は立っている。
今日は美代と待ち合わせて半日を一緒に楽しむ約束をしている、夜は英二と光一も一緒に食事する。
美代は大好きな友達だから会えることは本当に嬉しい、けれど。

「…美代さん、英二のこと、好きだから、ね…でも、」

美代は英二に憧れている、きっとこのまま恋になるだろう。それくらい英二は魅力的だから。
外見の美貌はもちろん魅力的だけれど、それ以上に真摯で実直な努力家なところが素敵だと思う。
どうしても英二は華やかな容姿が目立ってしまうから、内面とのギャップが大きくて本人は随分苦しんできた。
けれど、美代は英二の内面を好きになっている、周太と同じように。
そんな美代も可愛らしい外見だけれど、それ以上に実直で明朗なところが素敵で周太も大好きだ。
だからこそ、周太はため息を零しながら微笑んだ。

「…強力な、ライバル…だよね、きっと。でもね、大好きな友達だから、今日は楽しみ…逢えるし、ね」

そっと最後の言葉を呟くと首筋が熱くなりだした。
今夜と明日の夜と、英二は一緒に過ごしてくれる、それが嬉しくて気恥ずかしい。
つい先日の土曜夜も、どうしても英二と一緒にいたくて周太は、奥多摩へと行った。
あの夜はとても幸せだった、あんな我儘な自分を英二は喜んで受けとめてくれて嬉しかった。
今夜はどんな夜になるのだろう?ぼんやりチューリップを見つめて顔を赤くしていると、母が笑いかけてくれた。

「周?朝ごはん、出来たよ?…あら、お花見ていたのね?」

呼ばれて我に返って周太は顔をあげた。
いつのまにかクライマーウォッチは7:20を示している、20分以上も花の前にいたらしい。
朝ごはんの支度を手伝おうと思っていたのに?今ずっと英二のことを考えていた、恥ずかしくて赤くなってくる。
いつも家にいれば周太が食事の支度をする、けれど今朝はバレンタインだからと母が全て仕度してくれた。
昨夜も帰りが遅くて、食事も風呂も母に甘えてしまった。申し訳なくて素直に周太は謝った。

「ごめんなさい、おかあさん…手伝いもしないで、」
「いいのよ?そんな謝ること無い。ね、このチューリップとても素敵ね?ありがとうね、周」

嬉しそうに微笑みながら母は、やさしい指で花にふれてくれる。
大切に花を愛しんでくれる母が嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、喜んでもらえて嬉しいよ?ね、お母さんは、どのチューリップが好き?」
「そうね、どの子も可愛いけど。やっぱりピンクと白の子かな?」

母も自分と同じ花が好き。
こんな同じが嬉しくて周太はきれいに笑った。

「俺もね、この子がいちばん可愛いって思ったんだ。…ね、お母さん。俺とお母さんって、好みが似ているね?」
「そうね?周は、お母さんに似ているかな。だからね、このお花もすごく嬉しいよ?」

こんな他愛ない母との会話が楽しい。
ゆったりとした朝の時間を周太は幸せに笑った。



朝食とデザートのチョコレートケーキを楽しんだ後、周太は母と一緒に庭を歩いた。
小春日和の陽が暖かな庭には、早春の花木が穏やかな風に揺れている。
季節ごとの草花が楽しめる植込みには、陽だまりのクリスマスローズやパンジーが可愛らしい。
可愛いなと眺めて、ふと周太は思いついた。

「ね、お母さん。庭の花をすこし貰っても良いかな?」
「もちろん良いわよ、周?美代ちゃんにお土産かな?」

やっぱり言わなくても母はお見通しだ。
こんなことも嬉しくて周太は微笑んだ。

「ん、そう。あとね、光一のお祖母さんに…ね、お母さん。こういうのって、失礼にならない?大丈夫かな?」
「きっと、すごく喜ばれると思うよ?摘んだらね、きれいにブーケにしよう?」

笑って母も一緒に花を選んでくれた。
クリスマスローズにパンジー、冬ばら、ムスカリ。
あわい紅いろ、あわい紫、ブルー、庭に咲く花も色彩も春になっている。
ひとつずつ摘みながら周太は、恥ずかしいけれど話したかった事に口を開いた。

「あのね、お母さん…俺ね、わがままを、隠さないことにしたんだ」
「ん、…わがままを?」

やさしい穏やかな声が、そっと相槌を打ってくれる。
この話が一番にしたくて帰って来た、けれど食事の席では気恥ずかしさも手伝って話すタイミングが掴めないでいた。
なんとか話しだせた切欠に小さく微笑んで周太は続けた。

「ん、…まずね、美代さんは光一の恋人じゃなかったんだ」
「そうだったの?…でも、そうね?光一くんと美代ちゃん、周の話を聴いてると、距離が近すぎちゃったかもね?」
「…距離が?」

母の言葉に周太は短く訊きかえした。
周太には姉妹や従姉も幼馴染もいない、だから「距離が近すぎる」感覚がよく解らない。
どういうことだろう?首傾げた周太に黒目がちの瞳をやさしく笑ませて母は答えてくれた。

「仲良しの幼馴染だとね、お互いに全部よく解っていて気持ちの距離が近いの。
そんなふうにね、『知らない』部分が少ないと、お互いに『知りたいな』って求めたい気持ちが、どうしても少ないでしょ?」

「あ、…そうだね?」

母の言葉に納得しながら周太は、冬ばらの蕾に「贈り物になってくれる?」と心で話しながら摘み取った。
母もクリスマスローズを摘みながら穏やかに言葉を続けてくれる。

「でも、恋ってね?解らない部分があるから『知りたいな』って気持ちになって。そうして知った部分にまた惹かれるでしょ?
光一くんと美代ちゃんみたいに赤ちゃんの時からずっと一緒だと、お互い馴染みすぎちゃって、恋にならないかもしれないね」

「知りたい気持ち…」

周太が英二に恋する時もそうだった。
出逢った頃の英二は教場で皆に囲まれて気楽そうに笑っていた、そうした要領の良い人間特有のどこか冷たい感じが嫌だった。
けれど綺麗な切長い瞳の底からは英二の真実が、いつも周太に密やかな問いを投げかけてきた。

―ほんとうは、率直に、素直に、生きていきたい。生きる意味、生きる誇り、ずっと探している―

実直で温かい、やさしい穏やかな静謐。それが英二の真実の姿。
端正で冷酷な目に眠る想いを、心を、真実の姿を、いつも見つめてしまっていた。
そんな態度と視線のギャップが不思議で、英二の真実の姿を知りたくて、気がつけば視線の先に英二を見つめていた。
あのときの気持ちは今も変わっていない。気恥ずかしさに周太は微笑んだ。

「ん、…そうだね?だって、俺、いつも英二のこと、もっと知りたい、近づきたいって想ってる。
今も、そう…だからね、最近は登山の雑誌とか、ちょっと見ちゃう時があるんだ。英二の山の話は、すごく聴きたい、よ?」

言っていて頬が熱くなってくる。
こんなに英二を求めている自分が気恥ずかしい、熱い頬をかるく掌で叩きながら周太は母を見た。
そんな息子に微笑んで、母も懐かしそうに告白してくれた。

「お母さんもね、お父さんのこと知りたくて、お父さんの山の本とか借りて読んだよ?一緒に山に連れて行って貰ったり、ね」
「あ、…それでいつも、家族みんなで山に行くようになった?」
「うん、そうよ?楽しかったね、いつも」

黒目がちの瞳が懐かしげに微笑んだ。きっと今、母は記憶の温もりに微笑んでいる。
この切なさに哀しくなりながら周太は、父を想い続ける母が大好きだと思った。
こんど、母も一緒に奥多摩に行けないだろうか?
やっぱり父の気配を置き去りには行けないと、母は断るだろうか?

…でも、奥多摩鉄道の夜…英二なら?

英二が誘ってくれたら、母はまた奥多摩で山に登る決意が出来るかもしれない?
このことを今夜おねだり出来たら良いな?そう思って「おねだり」のフレーズに自分ですこし赤くなりながら周太は口を開いた。

「ん、楽しかった。今もね、俺、英二と登ると楽しいよ?明日はね、山に連れて行ってもらえるんだ」
「そう、よかったね、周?雪山でしょう、奥多摩は。気をつけてね?」
「ん、絶対にね、雪道は走ったりしないよ?」

この間の失敗は絶対に繰り返せない。
また心に「うっかりはダメ」と言い聞かせてから、ひとつ周太は呼吸した。
ここからが母に話したい本題になる、摘んだ冬ばらの棘を外しながら唇を開いた。

「それでね、…英二のこと、好きなんだ、美代さん」
「…そう、」

ぱらり、ぱらり、棘が指先から庭の土へと還っていく。
こぼれていく棘を見ながら周太は言葉を続けた。

「英二はね、どんな危険な状況でも光一を必ず連れて帰ってくるって、美代さんに約束したんだ。
その通りに英二、冬富士の雪崩から光一を連れ帰ったでしょ?…本当に約束を守った英二を、美代さん好きになったんだ。
そんなふうにね、美代さんは英二の心を真直ぐに見つめて好きになってくれて…それがね、俺も嬉しかったの。でも嫉妬もしてて…」

嫉妬もしてて。
そんな正直な言葉に自分でまた恥ずかしくなってくる。
けれど母は愉しそうに周太を見て微笑んだ。

「あら、嫉妬なんて良いわね?それこそ恋の醍醐味よ、周もちゃんと青春してるのね?」
「え、…嫉妬しても、良いの?おかあさん、」

意外な言葉に驚いて、棘を外す指をとめて周太は母の瞳を見つめた。
見つめた黒目がちの瞳は明るく微笑んで、穏かに母は頷いてくれた。

「だってね、周?嫉妬する位に英二くんのことを独り占めしたいなんて、恋してる証拠よ。
それにね、周が嫉妬するほど、美代ちゃんは素敵な子なのでしょ?そんなに素敵なお友達がいるのって幸せ、でしょう?」

ほんとうに母が言う通りだ。
そんな美代が自分は大好きで、今も美代のために花を摘んで、ばらの棘を外している。
こんなふうに友達の為に掌を動かせることは、前の自分なら想像できなかった。
ほんとうに今の自分は幸せだ、うれしくて周太は微笑んだ。

「ん、そうだね、お母さん…俺、嫉妬が出来るなんて幸せだね?」
「そうね、幸せよ?ね、周。美代ちゃんとも、英二くんの話するのでしょ?」

陽だまりの花壇に微笑んで母が尋ねてくれる。
冬ばらの向こうに佇んだ穏やかな笑顔を見つめて、周太は気恥ずかしい想いで微笑んだ。

「ん、…この間もね、会って話してきたんだ。それねで、約束したよ…英二のことで謝るのは、お互い1回だけ、って」

どんなふうに謝るの?そう瞳で母が冬ばらの向こうから問いかける。
その瞳を見つめながら周太は素直に口を開いた。

「俺と英二は婚約してて…いつか結婚する、から、そのときにだけ、謝るの。
俺はね、『ずっと独り占めすること本決まりです、ごめんなさい』って…でね?
美代さんは『人の旦那様を好きでいるけど、ごめんなさい』って謝ってくれるんだ。
お互いに英二のことで、謝ってばかりいたら時間がもったいない、もっと話したいことあるから、って美代さんが約束してくれて」

潔くて明るい「唯一度のごめんなさい」の約束。
こんな約束をくれる美代を自分は嫉妬してしまう、それくらいに美代は素敵で大好きだ。
そんな美代の初恋を想いながら、ゆっくり瞬いて周太は微笑んだ。

「美代さんね、英二を心から素敵だって思ってくれてるんだ…すごく好きになると思う、って言って。
だからきっと、英二と俺が結婚しても、ずっと好きだから謝りたい。そう言ってね、唯一度だけ『ごめんなさい』しよう、って。
ね、お母さん?こんなに美代さんってね、素敵なんだ…俺、だいすき…だからね、英二も美代さんの事、好きになるかもしれない、」

ばらの棘と一緒に涙ひとしずく、庭の芝生にこぼれおちた。
ほんとうは、自信なんか今にも揺らぎそう、けれど不安をこくんと飲みこんで周太は微笑んだ。

「ね、お母さん?俺ね、子供は産めないでしょ?だからね、美代さんに気後れしそうになる…ほかの女の人にも、そう。
でもね、気後れは絶対にするな、って美代さん言ってくれるんだ…きれいで、やさしいんだから自信持て、って励ましてくれるよ?
それでね、思ったんだ。こんな素敵な友達がね、ライバルなら。きっと、楽しい恋だろうなって想えた…嫉妬しちゃうけど、ね?」

冬ばらの向こうに佇む穏やかな瞳に周太は微笑んだ。
陽だまりふるなか穏かな瞳は優しい笑顔になって、やわらかに答えてくれた。

「とっても素敵な友達で、恋敵ね?…そしてね、周?あなたも素敵になったね、」
「ほんと?…ありがとう、お母さん…なんか、恥ずかしいね?」

また母は受けとめてくれた、この安らぎの幸せに周太は微笑んだ。
こんなふうに母はいつも、必ず受けとめて明るい方へと周太を指し示してくれる。
こういう愛情を英二は受けていない、それを想うといつも寂しく哀しくなってしまう。
自分もこの母のような愛情を英二に贈ってあげられたら良いのに?願いを抱きながら周太は言葉を続けた。

「でもね、俺、わがまま言っているだけなんだ…美代さんにも、英二と光一にも」
「うん?いよいよ『わがまま周太』のお話ね、聴かせて?ね、周、ベンチに座ろう?」

愉しげに微笑むと母は冬ばらの向こうから、きれいな蕾たちと一緒に周太の隣に来てくれた。
来てくれた母に笑って周太は、陽だまりのベンチに並んで座りこんだ。
あかるい陽ざしのなか、気恥ずかしさにまた頬熱くなるのを感じながら周太は口を開いた。

「俺、欲張りなの…英二が大好き、でも光一のことも二度と忘れたくなくて…だからね、正直に全部、ふたりに言っちゃったんだ」

母が摘んだ冬ばらを受けとりながら周太は微笑んだ。
どう言ったの?と穏やかな黒目がちの瞳が問いかけてくれる。
大好きな母のやさしい瞳の問いかけが嬉しくて、周太は素直に口を開いた。

「英二にはね、…俺は光一のこと好きだけど、英二を愛してる、って言ったんだ。
でね、俺のこと愛してるんだったら言うこと聴いて、って言ってね?英二、ぜんぶ受入れてくれて…ね。
それでね、ずっと一緒にいる約束させちゃったの。で、ね…からだのことして、っておねだりしちゃって…出来て、嬉しくて。
そしたら英二、『ツンデレ女王さま』って俺のこと呼ぶから、恥ずかしくて…でも、本当はいいきぶん、独占め出来ちゃったな、て、」

こんなこと話すのは、さすがに恥ずかしくて額まで熱くなってくる。
それでも素直な正直な今の想いを聴いてほしかった、でもさすがに変だと母も思うだろうか?
そう心配になったけれど、母は心から楽しげに周太の瞳を覗きこんでくれた。

「ツンデレで、女王さまなの?じゃ、英二くんは恋の奴隷なんだ、」
「ん、そう…じぶんで英二、そう言って喜ぶんだ…それでね、俺、ほんとうは嬉しいの。独占めしたいから…」

こんなこと話すのは本当は気恥ずかしい、けれど母には聴いてほしかった。
こんなに何でも話す自分は甘ったれ、けれどもう正直でいようと自分は決めた。
それに母とも「今」しか無いかもしれない。

…いつか、離れなくちゃいけない、おかあさんと…だから、一緒にいれるうちは、甘えたい

父が殉職した後の13年間、自分たち母子はお互いしかいなかった。
けれどもう今は、ふたりきりじゃない。そして離れる日も刻々と近づいてくる。
だからこそ、こうして並んで話せる「今」を後悔なく過ごしたい、そんな覚悟に周太は自分の口を開かせていく。

「それでね、光一にも、わがままして…光一のこと、大好き。でもね、英二みたいには出来なくて…その、からだのこととか」
「うん?どうして周、光一くんはダメなの?」

フラットに母は尋ねてくれる。
こんな話は気恥ずかしい、けれど正直に周太は話してみた。

「あのね…光一はね、すごく綺麗なんだ。なんか、ちょっと不思議な感じで…肌とか、雪みたいに白くて。
背も高くて、均整がとれていて、顔も上品…あんまり綺麗で、自分が恥ずかしくなっちゃって…嫉妬してダメ、なの」

冬富士の雪崩の後、鑑識実験を始める前だった。
雪崩で受けた受傷程度を見るために光一は上半身の服を全て脱いで、肌をさらして見せた。
あのとき光一の姿に見惚れながら周太は嫉妬してしまった、英二に釣合う美貌が羨ましかった。
だからだろうか、自分の初恋相手と解って大好きな今でも「体」のことは受け入れ難いままでいる。

…こんなこと知ったら、きっと光一、傷つく、ね

光一を受入れられないのは、英二への想いが大きいから。
けれど本当はそれだけじゃない、このコンプレックスのような感情も大きな理由でいる。
ちいさくため息吐いた周太に、穏かに母は訊いてくれた。

「そんなに綺麗な子なのね。でも、周。英二くんもね、ほんとうに綺麗よ?でも、英二くんは平気なんでしょう?」

「英二もすごく綺麗だよ、でも…英二は、ね?全部受けとめてもらえる、って安心出来るから平気…それでね?
英二はね、光一の想いを知ってるから…受け入れていいのに、って俺に言うんだ。でも、それもね、本当は…今の俺には重たいの」

こんな英二の優しさと友情も、周太にとっては哀しくなってしまう。
それにもっと本音を言えば、光一とは体を抜きにしても心を繋げていられる安心と信頼が自分は好きでいる。
これもきっと「わがまま」だ、ちいさく微笑んで周太は率直に母に話した。

「ごめんなさい、お母さん。ほんとうは、俺…小柄な自分にね、ちょっとコンプレックスがあるんだ。
だからね、からだのこと抜きでも、心だけで好きでいてもらえるのがね、嬉しくて…だから、なおさら、光一とは、したくなくて。
光一自身へのコンプレックスは言えないけど…この気持ちは光一に話したの。光一の願いを解ってるくせに。ね、わがままでしょ?」

わがままな息子でごめんなさい、目でも伝えながら周太は母に微笑んだ。
周太の瞳を真直ぐ母は受けとめてくれる、そして愉しげに穏やかに笑ってくれた。

「わがままも可愛いね、周は。でもね、周太?あなただって、充分に綺麗よ。そういうふうに、お母さん産んだもの。
小柄は可愛いわ。色白ではないけど綺麗な肌よ?やわらかい髪も綺麗、綺麗な瞳が素敵。ね、最近は人にも言われるんでしょ?」

卑下なんかしちゃダメよ?そう母の瞳が告げてくれる。
ほんとうに自分はこういう所が甘ったれだ、弱い自分を反省しながら素直に周太は頷いた。

「ん、言ってくれる、…ありがとう、お母さん。ごめんね、変なこと言ったりして」

やっぱり恥ずかしいこんな話。
だいたい自分は男で、英二も光一も同じ男。いまの日本では男同士ではノーマルとは言って貰えない。
そんなこと解っている、けれど何故か自分にとって「恋」は、ふたりとも男だった。
男性なら誰でもいいわけじゃないし、どうやら自分は女性が嫌いなわけでもない。そんな素直な気持ちを周太は母に話した。

「あのね、お母さん?俺ね、どうしてか好きなひとはね、ふたりとも男でしょ?でも、男だからって訳じゃないみたい。
俺、女の人が嫌いなわけじゃないみたい…美代さんのこと大好きで、正直に言うとね?英二といる時より楽しい時もあって。
でね?昨夜も、あのチューリップの花束を作って貰ったとき…花屋のひとと話してて、すごく楽しかったし…見惚れていたんだ」

「お花屋さんに、周、見惚れたの?」

すこし首傾げて母が訊いてくれる。
首傾げた母の髪がゆるやかに陽の光に輝くのを見ながら周太は頷いた。

「ん、そう…あのね、『この子』って花の事を呼ぶんだ、そのひと。それでね、すごく愛しそうに花を見てる。
花を手にとる時も、宝物みたいに大切に持つんだよ?…なんかね、素敵なんだ。それでね、そのひとを見ていて、楽しかったんだ。
美代さんは可愛いな、って思うときはあるけど、見惚れるってことは無い…でも、昨夜は…こういうの、うわきとかになるかな?」

昨夜、いつもの花屋で過ごしたひと時が楽しかった。
あの女主人は英二に見惚れていることを周太は知っている。そして英二から愛を告げられている自分に罪悪感を持ってしまった。
だから気づいてしまった、こんな罪悪感を持つなんて、自分はあのひとが嫌いじゃないからだ。
この気持ちを母は何と言ってくれるだろう?すこし不安に見つめた先で母は愉しげに笑ってくれた。

「ね、周?そのお花屋さんとね、ずっと一緒にいたいって思った?」
「ううん、それは無いよ?…英二とは一緒にいたいし、光一とも一緒にいたい…でも、花屋のひとは見てるだけで充分…あ?」

―…恋したら。その相手にはね、他の人は見てほしくなくなる
 自分だけで独り占めしたくて、…ふたりきりで過ごしたい

土曜の夜に英二が教えてくれた「恋」する気持ち。
これに今、当てはまるのは誰?
そしてこの、花屋のひとへの気持ちは何?
疑問が解けた晴朗と、初めてのくすぐったい想いに周太は微笑んだ。

「ね、お母さん?花屋のひとにね…俺、『憧れ』ているのかな?」

ふりそそぐ木洩陽のなかで穏やかな黒目がちの瞳がきらめいてくれる。
ゆるやかな黒髪をかるく傾げて母がきれいに微笑んだ。

「きっと、そうね?周、憧れのひとまで出来たのね?…うん、やっぱり、もうじき『離れる』本番が来るんだね、」

離れる本番が来る、母の言葉はきっと真実だろう。
いま23歳になった自分は恋愛し、憧れ、大好きな友達も出来た。
ようやく人並みに「誰かを大好きになる」ことが揃い始めている、父と母以外のひとを好きになれた。
こうして大切なひとが増えていく、それは幸福なことだろう。けれど、と、素直な自分の想いを周太は口にした。

「あのね、お母さん。俺ね?警察学校に入って、英二に出逢って。英二のおかげで、好きな人いっぱい出来たよ?
光一とも、また逢えた。美代さんと友達になれたよ?…でもね、だからって、お母さんから離れなくてもいいよね?
この家も、お母さんも、大好き。だから…やっぱり一緒にいたい、この家に居たい。離れたくないんだ、わがままだろうけど」

黒目がちの瞳がゆっくり1つ瞬いて、じっと周太を見つめてくれる。
お願い、わがまま聴いてね、お母さん?素直な想いに微笑んで周太は母に告げた。

「この俺の気持ちはね、英二も解ってくれてるよ?だから英二はね、この家に入ってくれる。
英二もお母さんのこと、大好きだから…ね、一緒にいて?お母さん。必ずこの家に俺は帰ってくる、だから、待ってて?」

いつか一緒に暮らせる日が必ず来る。その日まで母に待っていてほしい。
そして家族で楽しく暮らせる日がきっと来る。だから待っていてほしい。
この願いに真直ぐ見つめた穏かな瞳は、困ったように、けれど幸せそうに微笑んだ。
困ったな、でも嬉しいよ?そう愉しげに瞳を笑ませると、やわらかに黒髪を揺らして母は頷いてくれた。

「ありがとう、周。待ってるわ、」

やさしい幸せな母の笑顔が嬉しい。
嬉しいままに周太は、ばらの棘の最後の1つを外すと、母の掌を取って立ち上がった。

「ん、待っててね?…ね、お母さん、お茶にしよう?チョコレートケーキ食べたい」
「朝も食べたのに、また食べるの?」
「ん、食べるよ。俺ね、お母さんの焼いたのが、一番好きだよ?」

素直な想いのままに告げて周太はきれいに笑った。
すこし困ったように母も微笑んで、けれど愉しげに周太と掌を繋いでくれる。
春淡い陽ざしのなか、やさしい早春の花を抱えながら周太は母と結んだ温かい約束に微笑んだ。



朝のお茶の時間を楽しんでから、書斎の父の写真に周太は会いに行った。
書斎の扉を開くと、いつもの重厚で微かにあまい香と一緒にチョコレートの香が頬撫でる。
書斎机にはチョコレートケーキとココアが佇んでいた。

「ね、お父さん?お母さんはね…今でも、お父さんに恋してる、ね?」

チョコレートの甘い香りのなか、周太は父の微笑に笑いかけた。
きっと母は一番最初にチョコレートケーキを父にプレゼントしただろう。
こんな両親の恋が誇らしく嬉しい、父の微笑を見つめながら周太はもうひとつ父に話しかけた。

「あと、ね…小十郎をありがとう、お父さん。ずっと大切にするね?
昨夜は、たくさん小十郎と話したんだ…おかげでね、お母さんに、きちんと話せたよ…あと、本、また借りていくね?」

書架を眺めて一冊の本を手にとると周太は「借りるね?」と父の写真に微笑んだ。
この書斎の蔵書には珍しく日本語で書かれた一冊の本は、奥多摩の山行録が綴られている。
これを持って今日は奥多摩に行ったら愉しいだろう、このあとの電車旅の時間を想いながら周太は父の写真い笑いかけた。

「ね、お父さん…今日も、一緒に奥多摩鉄道に乗ってくれるの?…あ、でも、」

でも、今日の周太は昼間の青梅線で奥多摩へ向かう。
奥多摩鉄道は夜だけかもしれない?それに今日はバレンタインだった、微笑んで周太は父に謝った。

「今日はバレンタインだから、お父さん、お母さんと一緒に過ごすよね?…楽しくしてね?じゃ、行ってきます、」

きれいに笑って父に挨拶すると、周太は書斎の扉を開いた。



出掛ける仕度を済ませると、周太は母に教わりながら一緒にブーケを2つ作った。
水切りしておいた摘んだ花々を、長さを揃えて綺麗なブーケにまとめていく。
こんなふうに誰かのために花束を作るのは、なんだか幸せで楽しい。出来上がって眺めると母が笑ってくれた。

「うん、周。初めてなのに上手ね?やっぱり周は器用だね、」
「ん、そう?ありがとう…でも、お母さんが作った方が上手だね?」
「それはね、キャリアが違います。ね、周。これも持って行ってね?」

話しながら母は、きれいなペーパーバッグを周太に渡してくれる。
中を見ると綺麗にラッピングされたチョコレートケーキが5つ入っていた。

「バレンタインだからね、周?美代ちゃんと吉村先生、同期の藤岡くんに。それから光一くんと、英二くんね?」
「ん、ありがとう、お母さん。…ね、お母さん?英二の身元引受人になったんでしょ?」

これも聞きそびれていた事、けれど会ったら聴いてみたかった。
周太の質問に穏かに笑って母は頷くと、答えてくれた。

「そうよ。英二くんからね、前にも相談されていたの。
でも、親族じゃないでしょう?大丈夫かしらって思ったけれど、事情を後藤さんが説明してくれたみたいね?」

「そうだよね?…普通、家族じゃないとダメだから…やっぱり英二、ご両親には、言えなかったの?」

寂しい想いで周太は母に訊いてみた。
母もすこし寂しそうに笑って頷いてくれた。

「山岳救助隊でしょう、英二くんの場合。普通の警察官より、ずっと危険が多い。
だからね、英二くんに限らず、ご家族の反対に遭うケースも多いと思う。英二くんもね、敢えてご両親には言わなかったみたい」

英二の母は、どんな任務に息子が就いているのか一切知らない。
山岳救助の危険な現場で泥にまみれ、応急処置や遺体の検分に手を血で染めて英二は任務に就いている。
そんな息子の状況を受入れられない彼女だから、最初から英二は話していない。
英二の父は少しは知っている、けれど全てを把握している英二の親族は姉だけだった。
英二の任務は誇り高い、けれど危険と隣り合わせである以上、そうした反対も無理ないことだろう。
とりとめない寂しさのまま周太は母に尋ねた。

「そうだったんだ…でも英二、お姉さんには話したのでしょ?」

「そうよ、お姉さんも身元引受人になってるの。それで、お姉さんからも事情説明してくれて。
しかもね、警視庁山岳会から英二くんを指名しての任官でしょう?警視庁も認可したいから、お母さんの名前でも許可が出たみたい」

穏かに母は微笑んで、チョコレートケーキをきれいなペーパーバッグに入れてくれる。
はい出来た、と周太に渡してくれながら母は言ってくれた。

「英二くんにね、くれぐれも気をつけて、って伝えて?
それから光一くんに北岳の後、お待ちしていますって。あとね、周?こんど美代ちゃんにも、遊びに来てね、って伝えてね」

「ん、ありがとう、お母さんも気をつけてね?じゃ、行ってきます」

たくさんの母の心遣いを受けとって、きれいに微笑むと周太は川崎の家から奥多摩へと向かった。


(to be continued)

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