想い、ことばにめぐらして
岳夜、想話act.1―side story「陽はまた昇る」
雲の多い朝だった。
明方前に降った雨は止み、空気が澄んでいる。
こんな夜明けの空は、太陽が反射した雲は、極彩色に輝く。
光鮮やかな雲を眺めながら、英二はベッドで壁に凭れて、iPodの曲を聴いていた。
一昨日は周太がここにいた。
このiPodで、この曲を聴きながら、この場所で泣いてくれた。
―ほんとうに酷いことを、俺…ごめんなさい。どうか、許して。そして隣にいさせて
父の殺害犯の居場所を知った周太は、13年間の孤独に戻ろうとした。
報復の罪に巻き込まない為に、英二を置去りに独りで周太は、犯人の店へ向かおうとした。
それが英二にとって、どんなに残酷な事だったか。どれだけ深く、周太だからこそ傷つけらるのか。
周太は、この曲を聴きながら、この場所で気付き、泣いてくれた。
白いシーツには、うっすらと染みが残されている。
周太が純粋なままに流した、後悔と懺悔の涙の痕。
白のなかに残された、あわい青色の染み。長い指でそっと撫でて、英二は微笑んだ。
気づいてもらえて、ほんとうに、心から嬉しい。
そして同時に、罪悪感も自分の中に蹲っている。自分こそ懺悔したい。
I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
今、聴いているこの曲のフレーズ。もうそれくらい、自分の想いは深い。
一昨日は一緒に山岳訓練をして、その後すこし駐在所で待っていてもらった。
岩崎は周太に、御岳駐在所と新宿東口交番の違いを訊いてくれた。
そうする事で岩崎は、その現場自体への理解が、任務の理解になると教えてくれた。
「俺達の仕事はな、人間と、その生きる場所を学ぶ事なんだろうな」
そんなふうに笑って、岩崎は夕方の巡回へと出かけて行った。
岩崎は30代後半、自分より15歳ほど年長になる。
けれどそれ以上に、山でも社会でも、経験値の違いが大きく感じる。
15年後の自分は、ああいう大きな背中になれているといい。そんなふうに英二は思う。
ぼんやり眺めた時計は6:20、まだ静かな時間。
こういう朝の余裕ある時間は、英二は好きだった。
昨日の周太は日勤だったから、昨夜のんびり電話が出来た。
あのラーメン屋に、一人で昼休憩に行ってみたらしい。
「お客さんも、警視庁の人だったんだ」
活動服姿のままで、制帽だけ脱いで周太は暖簾を潜った。
そんな周太の姿に驚いて、意外だと主人は笑ったらしい。
「俺のことね、学生か、大学の研究員とかだと思っていたんだって」
そう教えてくれて、電話の向こうで周太は笑っていた。
いつものように寛いで、制服姿のままで周太は、主人と会話を楽しめた。
その事が英二には、嬉しい。
それでねと、楽しそうに周太は続けてくれた。
「煮玉子と、野菜炒めまでサービスしてくれた。俺なんだか困ったよ」
一昨日の夜も、あのラーメン屋で夕飯だった。
そして昨日の昼も、きっと周太は同じ物を注文したのだろう。
たぶん主人からしたら、周太の栄養バランスも心配になったに違いない。
英二は笑って言った。
「良かったな、周太。嬉しかったろ」
「ん。ほんとうに、そうだな。俺、嬉しかったんだ」
周太が幸せだと嬉しい。
こんなふうに、この曲を聴きながら、幸せな笑顔を想える。
一昨夜は新宿へ送る電車のなかで、このiPodのイヤホンを片方、周太に貸した。
「この曲、俺、さっき聴かせてもらって…泣いて」
恥ずかしそうに周太は、告白してくれた。
この曲を周太は、英二用の着信音にしていた事。
英二が置き忘れたこのiPodで、歌詞を初めて聴いて訳してみた事。
「'Cause it's standing right before you All that you need will surely come ここがね、俺、好きだ」
頬も赤くして、小さな声で言ってくれた。
―君に必要なもの全てになった僕は、必ず君の元へたどりつく
英二がいつも、周太に言っていること「必ず隣へ帰る、そして幸せに浚い続ける」それと同じ意味の歌詞。
自分の想いを、きちんと受けとめてくれている。それが解って嬉しくて、つい言ってしまった。
「出会った時から、もうずっと俺はね、
I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do そんなふうにさ、周太も、なってよ」
―息をするたびごとにずっと、君への愛は深まっていく ほんとうに心から、激しく深く愛している
この歌詞は本当に、自分の本音。そしてつい求めてしまいたいこと。
あの隣は真っ赤になって、声なんて出せなかった。
赤らめた顔は初々しくて幸せそうで。嬉しくて、英二は微笑んだ。
「大好きだよ、」
夜7時、上り電車は空いて、ふたりきりだった。
幸せに微笑む唇に、英二は静かに唇を重ねた。
そして今、目の前に積んである洗濯物が、本当に嬉しい。
自分が仕事している間、周太が洗って畳んでくれた。
折り目正しい畳み方が、端正な性格を偲ばせて、いとしくなる。
そんなわけで、畳んでくれた救助服もTシャツも、着てしまうのがもったいない。
7時前になって、英二は身支度を始めた。
今日は非番だから、診療室をゆっくり手伝える。
こういう日は、少し改まったワイシャツとスラックスを選ぶ。
手伝いの立場でも、職場である事は変わらない。そして吉村医師への敬意を、服装の姿勢から正したかった。
「おう、おはよう」
廊下へ出ると、ちょうど国村と会った。
国村は昨日も週休で、一昨日から実家に帰っていた。会うのは1日ぶりになる。
一緒に食堂へ向かいながら、英二は礼を言った。
「一昨日は、ありがとうな」
「うん。まあね、こっちこそ楽しかったよ」
底抜けに明るい細い目が、いつにまして楽しげになっている。
国村は一昨日、周太も訓練に参加させてくれた。
青梅署から連れてくる時から、ずっと周太を転がしていたらしい。
そりゃ楽しかったろうと、英二は可笑しくなった。
「周太さ、玩具にされたって言ってたけど?」
「ああ、まじ驚いたよ。かわいい玩具でさ」
涼しい顔で国村は返してくる。
高卒で警察官になったから先輩だけれど、国村は同年齢だ。けれど国村はいつも、飄々と落着いた余裕がある。
こういう国村相手では、首席であろうが周太の性格では、敵わないだろう。
でも23歳でこんなに落着いていたら、老齢の頃は仙人だろうか。
思って可笑しくて笑った英二に、ふうんと呟いて国村は言った。
「また俺のこと、老けているとか思ってるだろ」
「老けてはいないけど、年齢不詳?」
微笑んで英二は、国村を見た。
その細い目をすっと笑ませ、国村は唇の端を上げた。
「彼は年齢よりずっと初々しいね、いかにもアレって感じでさ」
「アレ、ってなんだよ」
なんとなく答えは解るなと、思いながら英二は言った。
けれど、国村は笑いながら、クライマー時計を見ている。
「まだ朝だろ、時間違いの話題だから、NG 」
「そういう言い方の方が、どうかと思うけど?」
そうかなと笑う国村の顔は、文学青年風で上品だった。
こんな風貌の癖に国村は、警察官の兼業農家で、嘱望されるクライマーでもある。
そしてこんな話題でも、底抜けに明るい性格だから、からっと楽しい。
「国村さんてさ、いじわるだけど良い奴だよな」
「よく言われる。まあ、偽善者よりマシだろ?」
この人やっぱり好きだな、英二は笑った。
国村と朝食を摂りながら、この秋の遭難案件を話していると、藤岡がやってきた。
藤岡とは昨日も会ったが、柔道の練習を控えていて慌ただしかった。
今朝はゆっくり話せるらしく、のんびりとした顔で藤岡も食卓に着いた。
「おはよう、今日は珍しく曇りだな」
藤岡は1週間ほど前に、自殺者の死体見分に初めて臨んだ。
その2日間げっそり痩せたが、今はもう落着いている。今朝も大盛の丼飯を片手に、口を開いた。
「そういえば一昨日さ、俺も湯原に会ったよ」
「ああ、洗濯干場で会ったらしいな」
周太もそんな事を言っていた。
そういえば「藤岡に言われて俺、困った」と話していたけれど。
何がどう困ったのか、恥ずかしがって言ってくれなかった。
なんだったのかなと思っていたら、藤岡が言った。
「なんか湯原さ、きれいになったよなあ。俺、驚いたよ。 あ、宮田ごめん、醤油とって」
なるほどねと英二は納得した。
きっと藤岡に言われて、周太は恥ずかしかったのだろう。
残り少なめの醤油瓶をとりながら、笑って英二は訊いてみた。
「どんなふうにさ、きれいになってた?」
そうだなあと藤岡は考えこんだ。
体育会系だけれど、意外と繊細な表現を藤岡はする。
音楽の趣味がクラシックらしく、藤岡は意外にロマンチストのようだ。
山岳救助隊副隊長の後藤も、ロマンチストな所がある。
「うん、髪形もずいぶん雰囲気を変えていたな。でも、そうだなあ、なんていうかなあ」
山ヤってロマンチストが多いのだろうか。考えながら英二は、醤油を持った右手を藤岡へ伸ばした。
受け取ろうとした藤岡が、ああと明るい声で笑って言った。
「ほら、女の子がさ、初体験で好きな男に抱かれた後。そんな顔に近いよ」
がきっ、
鈍い音がして、がたんと醤油の瓶が落下した。
「あーあ、黄身が壊れちゃったね。でもさ、醤油は適量で良かったな」
いつもの涼しい声で、国村が現況を述べた。
醤油の瓶が、藤岡の目玉焼きに直撃している。けれど醤油は、きちんと適量かかっていた。
「…ごめん藤岡、」
英二の掌で、醤油瓶の蓋が割れている。
藤岡の発言で、つい掌に力を入れてしまったらしい。きれいな真っ二つだから、破片は落ちていなかった。
英二の握力は両手とも75kgある、リンゴを割るのも簡単だった。
けろりと笑って藤岡は、醤油瓶をつまんだ。
「まあさ、醤油、目玉焼きにかけるつもりだったし」
「ごめん、」
ごめんと英二は言ったけれど、内心は、仕方ないよなと思っている。
あんなこと、ストレートに言われたら。さすがにちょっと動揺する。
しかも国村には多分、格好のネタを提供した事になる。
でも不用意に質問したのは、自分だから仕方ない。醤油瓶を片付けながら、英二はため息をついた。
「醤油瓶、下膳の時に持っていけばさ、大丈夫だよ」
言いながら、こんな時も涼しい顔で、国村は茶を啜っている。
けれど、茶を啜った後、ふうんと国村は言った。
「やっぱりさ、湯原くんが淹れた茶のが、ずっと旨いよね。宮田くんもさ、そう思うだろ?」
国村の唇の端があがっている。こういう時は悪戯心が起きた時だ。
この人わざと話題引っ張る気だなと、英二は可笑しかった。
「当然だな、周太の茶は一番旨いよ」
さらっと笑って答えながら、英二は藤岡の反応をさり気なく見た。
けっこう藤岡は鋭く突いてくるから、ちょっと気になる。
目玉焼きを丼に載せながら、へえと藤岡が口を開いた。
「なんか宮田、彼女自慢している彼氏みたいだなあ」
何も口に入れていなくて、本当に良かった。
藤岡は無意識だけれど、こんなふうに予想外に突くから驚かされる。
武道系って間合いが上手いのだろうか。思いながら英二は、きれいに笑って答えた。
「まあね、世界中に自慢したいけど?」
呆れたような視線が、前に座る細い目から、英二に向けられる。
目玉焼き丼を飲みこんだ藤岡が、感心したように笑った。
「やっぱりさ、宮田って男前だよなあ」
「まあね、」
軽く笑って、英二は茶を啜った。
そろそろ次の話題に移ろうかと思った時、藤岡がまた口を開いた。
「やっぱり湯原って、宮田の彼女なわけ?」
素直な口調で、からっと訊かれた。
藤岡は体育会系でロマンチストだ、悪気なく単に思っただけなのだろう。
けれど「彼女」だなんて聴いたら、周太は一体どんな顔をするのだろう。
考えて可笑しくて、英二は笑い出してしまった。
「なに宮田、そんなに、おかしい?」
「…ごめ、かなり、ツボにはいった、」
藤岡は多分、この場合に「彼女」と遣う意味は解っていない。
そんな温度差がまた、なんだか可笑しい。
笑っている英二を眺めていた国村は、仕方ないなという風に笑った。
「だから時間違いだって、ねえ?」
さっきの国村の「NG」と被って余計に可笑しい。
英二は笑いすぎて咽た。
国村が水を渡してくれながら、知らぬ顔をして藤岡に話しかける。
「宮田くん、今日は陽気だね」
「うん、こんなに笑い転げるのは、俺も初めて見たよ」
朝からこんな話題で、大笑いするとは思わなかった。
せっかく考えておいた、吉村に質問する内容も忘れたかもしれない。
もう一回ファイルを、見直さないといけない。
いつものように、診療室の朝の仕度を英二は手伝った。
質問とファイルへのメモも終えて、英二は茶を淹れた。
周太に教わった通りの手順を、再現していく。
サイドテーブルに、吉村が出した菓子と、湯呑とを並べた。
「旨いです、湯原くんに教わったのですか」
ひとくち啜って、吉村が微笑んでくれた。
はい、と頷いて英二も啜ってみると、良い風味に淹れられている。
「昨日は、お手伝い出来ずに済みませんでした」
「いや、私も忙しかったから」
昨日は日曜日で一般ハイカーが多く、朝から遭難救助要請があった。
朝食と仕度を済ませて、診療室へ行こうとした時に、呼び出しがかかった。
朝露に足を滑らせた20代男性、登り始めの低い地点からの滑落で、捻挫だった。
「その後も昼前と午後に1件ずつ、計3件でした」
「こうも集中すると、私も驚きます」
そんなふうに少し雑談をして、英二は座りなおした。
そんな英二を見て、吉村医師も背を伸ばしてくれる。
こういうところが吉村は素晴らしい、英二は微笑んで頭を下げた。
「一昨日は、本当に、ありがとうございました」
穏やかに吉村は、微笑んで頭を下げた。
「こちらこそ。頼ってもらえて、嬉しかったよ」
一昨日の勤務後、周太を連れて青梅署に戻ると、いつもの場所で吉村医師が迎えてくれた。
ロビーの自販機傍のベンチに、吉村は夕刻いつも座っている。
「今日はお邪魔かなとも、思ったのですが」
そう笑いながら、いつもの缶コーヒーを英二に渡す。
そして周太には、ココアの紙コップを渡してくれた。
「ありがとうございます、」
周太は、ココアを両掌で受けとり、包むように持った。
しばらく湯気と香りを見つめて、そっと口を開いた。
「…俺、ほんとうはココア好きでした。でも13年間、飲まなかった」
そう言って隣は、こぼれる涙を一滴、紙コップに落とした。
ココアは、周太の父が好んで、日常よく飲んでいた。
そんな日常の幸せな記憶すら、孤独に閉じこめて13年間を、周太は心だけで泣いていた。
小さな日常の記憶。それが一番の幸せだったと、思い知らされていく痛み。
周太の抱えた深い痛みが、一杯のココアを見つめる瞳に映っていた。
その瞳を見るまで英二は、そこまで気付けてはいなかった。そして英二は、自分の甘さにも気がついた。
「…うん、そうか…そうだな。ゆっくり、飲んでごらん。きっと温まる」
温かく微笑んで、吉村医師は言ってくれた。
涙の軌跡をひとすじ、頬にのこしたままで周太は、そっと静かに啜る。
ほっと一息ついて、周太は微笑んだ。
「おいしいです、温まります」
「そうか、良かったな。温かいのは、うれしいな」
穏やかに吉村医師は語りかける。
真直ぐに見あげて、きれいに周太は笑った。
「はい。本当に、温かい…うれしいです、俺」
周太の笑顔は、明るくて、きれいで、幸せな笑顔だった。
13年ぶりに周太は、父親との幸せな記憶と、素直に向き合えた。それが周太の笑顔に、きれいに咲いていた。
13年間の冷たい孤独、細かく深い、心の傷たち。その痛みの癒しまでは、英二は気付けないでいた。
13年前まで幸せだった周太の日常の記憶、その数の分だけが、冷たい心の傷になっている。
そうした傷ひとつを、吉村医師はそっと温めてとかしてくれた。
あの時、吉村医師の温かい笑顔が、嬉しかった。
こんなふうに静かに、大切な隣を癒してくれた。吉村医師に心から、英二は感謝している。
そっと微笑んで、英二は言った。
「先生は、名医です」
おやと微笑んで、吉村は首を傾げた。
「うん、そうだな。 “迷う” 医者という意味では、迷医だな」
そんなことないでしょうと、英二は笑った。
けれど吉村は笑わないで、微笑んだまま真直ぐ英二を見た。
「いいえ、本当ですよ。迷うから、私は医者でいられるんです」
やわらかく微笑んで、吉村は口を開いた。
「私は昔は、大学病院の教授として自信に溢れていました。けれど今の私から見たら、なにも解ってはいなかった。
息子が山で死んだ、そして自分自身を責めて、迷うようになりました。
息子は死んだ、けれど息子の人生をもっと見つめていたい。そう諦めきれず迷っています。
だから私は、山で廻っていく人生を見つめることにしました。そして警察医としてここに今、います。」
吉村の次男は、医学部5回生の時に山で遭難死した。
その日は偶然、彼は救急用具を置き忘れていた。そして不運な滑落事故で骨折し、身動きが取れずに凍死した。
もしあの日、息子に声をかけて確認し、救急用具を持たせていたら。応急処置で自力で下山し助かったのではないか。
その後悔から警察医になったのだと、英二は前から気付いている。
けれどこうして今、言葉にして、吉村は話し始めた。その気持ちが痛ましく、信頼が嬉しいと思える。
吉村の言葉にを静かに受け留めて、英二は言葉の想いに寄り添った。
「大切な存在の死を諦めきることは、難しい。だから私はまだ、迷うでしょう、
けれどその迷いこそが、目の前の患者や遭難者、そして遺体を見つめる時、真剣な目となっています」
吉村の言葉が、英二には解ると思えた。
英二は7ヶ月半、周太の心を見つめて求めて迷っている。
その迷いから、相手を真直ぐ見つめる事が出来るようになった。
周太に真剣に向き合わなかったら、自分は今、こんなふうには人と向き合えていない。
吉村は英二を見つめて、明るく微笑んで言った。
「迷いこそが、私を医師として成長させてくれます。だから私は「迷医」です」
迷いこそが成長になる。そうだなと英二は素直に思えた。
今の自分は、周太を見つめる自分の心が、幼いと迷っている。
吉村医師に少し話を聴いて欲しい、英二は話し始めた。
「先生、俺は、今、自分の幼さが痛くて悔しいです。
俺は一昨日、自分の痛みばかりに捕われて、周太の想いを見失う所でした。」
そうかと、穏やかに目で訊いてくれる。
きっと吉村医師に話す事でヒントが見える、そんな想いから英二は続けた。
「周太は俺を置いて、犯人の元へ向かおうとしました。そして独り罪を犯すつもりだった。
その事が俺は悲しくて、どうして自分の想いを解ってくれないのかと、周太を責めました。
けれど本当は、相手の想いを解っていなかったのは、俺の方です」
吉村は黙って、けれど温かい眼差しで英二を見つめてくれる。
ただ静かな佇まいに、そっと英二は口を開いた。
「13年前、幸せな父親の記憶は、無数の冷たい傷として、周太に刻まれました。
そうした傷に麻痺させられて、犯人の居場所が分かった周太は、孤独に引き擦り込まれかけたと思います。
孤独に戻りたくない、温かさを求めたい。それでも引き摺られる程の、強い苦しい悲しみ。
日常の記憶がそうした細かな傷になって、周太を苦しめていた。それを俺は、解っていませんでした」
周太の孤独は、細かな冷たく重たい傷に、純粋な潔さと優しさが縒り合されている。
そういう孤独だからこそ、純粋なだけ、13年前が幸福であっただけ、簡単には抜け出せない。
「俺の生い立ちは、普通で恵まれています。周太のような傷は知らないで、22年を生きてきました。
幸せな日常が、悲しみの元になることは想像もできなかった。
そういう傲慢さがきっと、無理解になっている。そして、孤独に戻った周太を責めました。
…先生、俺は、そんな周太に謝らせてしまいました。自分の痛みしか見られない、俺は自分の幼さが悔しいです」
切長い目の底が、ふっと熱くなる。けれど英二は涙を零さない。
泣かない涙は奥深く刻まれて、ずっと忘れない重みになる。その事を英二はもう知っていた。
だから今、無理解な傲慢さも幼さへの悔しさも、全てを刻みつけてしまいたかった。
「…うん、気づけることは、素晴らしいな」
吉村医師は、ゆっくりと微笑んだ。
「そして、そういう想いが、素晴らしいな。君のようにね、誰かを強く想える事は、強い力になると私は思うよ」
そして穏やかな眼差しで、静かに英二へ語りかけてくれた。
「だいじょうぶ、きっと君は望むように成長できる」
吉村医師の言葉、そういう信頼が英二は嬉しかった。
少しでも吉村の真心に、応えられる自分になれたらいい。
「ありがとうございます、」
きれいに笑って、英二は言った。
「先生、俺、コーヒーの淹れ方は成長したんですよ。飲みませんか?」
「ああ、いいね。是非お願いするよ」
そんなふうに英二は、周太に教わった通りコーヒーを淹れた。
(to be continued)
【歌詞引用:savage garden「truly madly deeply」】
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