萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第35話 曙光act.3―side story「陽はまた昇る」

2012-02-29 22:30:14 | 陽はまた昇るside story
敬愛なるひとへ




第35話 曙光act.3―side story「陽はまた昇る」

2時間ほどの映画を観終わるとカフェに座りこんだ。
本と植物が好きだと周太から聴いていたから、花屋が併設されたブックカフェに美代を連れて行った。
ときおり姉が利用する店でちょっと隠れ家風の場所にある。店内に入ると美代は笑ってくれた。

「こういうお店、好きよ。カラオケ屋から逃げちゃった潜伏先もね、こんな感じのお店だったの。湯原くんに聴いの?」
「潜伏先は聴いていないよ。でも、本と植物が好き、って聴いたから。ここ、姉が好きな店なんだ」
「お姉さん?」

席に座って温かい飲み物を選びながら美代が訊いてくれる。
そういえば家の話は美代にしたことが無い、軽く頷いて英二は口を開いた。

「年子の姉がいるんだ、俺には。イギリスの本が好きでね、今は本社がイギリスの食品メーカーで通訳してる」
「英語が得意なお姉さんなのね。宮田くんのお姉さんだと、きれいな人ね、きっと。似てる?」
「そっくり、ってよく言われるよ」

笑って正直に英二は答えた。
姉も英二もお互いに、この顔を見た友人達から「紹介してよ」と言われる事に馴れている。
けれど英二は一度も紹介したことは無い、姉の友達には紹介されたことがあるけれど。
そういえば実家近くの交番に卒配された同期の関根と姉は知り合いになっていた、あのふたりは今どうなったのだろう?
関根とも姉とも11月に新宿で呑んだとき会ったきりで、電話でも特にその話はしていない。
周太なら何か知っているだろうか?考えながらオーダーを決めて注文すると、ほっと美代が笑いかけてくれた。

「ね、お姉さんと仲良しでしょ?宮田くん、」
「そうだね。姉には、大概のことは話せるよ。あと本の影響も姉から受けているかな、」
「イギリスの本?宮田くん、原書で読むの?」

本好きだと言う美代らしく、楽しそうに本の話を訊いてくれる。
すこし共通の話題が持てるかな?ちょっと笑って英二正直に話した。

「翻訳の方が多いよ?やっぱり日本語の方が楽だから。でも姉は基本、原書で読んでいるかな。
この店も洋書の品ぞろえが良いって気に入ってるんだ。あと、植物の本も多いよ、花屋だからね。本、選びに行こうか?」

「うん、見たいな、ありがとう」

お互いに好きなコーナーへ立つと本を選び始めた。
ひさしぶりに原書を読もうかと英文書コーナーに立つと、ふっと周太の父の日記が想い出されてくる。
昨日の朝に初めて現れた単語を英二は心裡で見つめた。

「dirigentes」 射撃

警視庁拳銃射撃競技大会、その当日の朝にあの単語が出現した。
まるで周太の運命が転換する警告の様で、何の意味があるのだろうと考え込んでしまう。
そして、昨日は他にもあの日記帳が示した言葉通りに「転換」は起きた。

「cacumen」 山頂

この言葉は前から出てきてはいる。
けれど自分の正式なクライマーとしての任官が内定される予告だったようにも思える。
これで自分は一生ずっと山ヤの警察官として任務に山を駆けていく。

いつか周太の危険な「時」も終わりがくる、それは英二の援けは要らないと言われる日かもしれない。
そのときは成し終えた充足感があるだろう、そして寂寥感が辛くなる、きっと孤独感もあるだろう。
けれど、自分は山の穏やかな時間と生命への尊崇を抱いて生きていく道を与えられた。
だからきっと大丈夫。
いつか周太の隣の全てを他の誰かに明け渡す、そんな日が来ても自分には「山」が生涯ずっと寄りそってくれるのだから。
自分がクライマーの警察官になる、そんなこと誰が一年前は想像できたろう?
ほんとうに人生は何が起きるか解らない、そんな想いに微笑んで英二は一冊の本を手にとった。

『The Collected Poems of William Wordsworth』

イギリスの詩人ワーズワスの詩選集。
姉に勧められ初めて読んだとき、自然描写に心や想いをのせた詩が美しいなと思った。
それから周太の屋根裏部屋でこの詩集と再会したとき、心に残った一篇がある。
ページを繰って目当ての詩を見つけて英二は微笑んだ。

The innocent brightness of a new-born Day  Is lovely yet;
The Clouds that gather round the setting sun
Do take a sober colouring from an eye That hath kept watch o’er man’s mortality;
Another race hath been,and other palms are won.
Thanks to the human heart by which we live. Thanks to its tenderness,its joys,and fears,
To me the meanest flower that blows can give Thoughts that do often lie too deep for tears.

 生まれた新たな陽の純粋な輝きは、いまも瑞々しい
 沈みゆく陽をかこむ雲達に、謹厳な色彩を読みとる瞳は、人の死すべき運命を見つめた瞳
 時の歩みを経、もうひとつの掌に勝ちとれた
 生きるにおける、人の想いへの感謝 やさしき温もり、歓び、そして恐怖への感謝
 慎ましやかに綻ぶ花すらも、私には涙より深く心響かせる。

山岳救助隊員となって5ヶ月が過ぎ去ろうとしている。
この5ヶ月の間に自分は、様々な姿の「死」を見つめてきた。
奥多摩の森に終焉を求めた自死、彼らが遺す最後の表情と遺書に見つめる「心と死」の深い絆。
峻厳な山の掟のなか不慮の事故で生死をさまよう遭難者、山に抱かれる「死」の姿。
そして語り聴いた数々の山ヤたちの「死」の姿。
高峰マナスルに抱かれた「国村の両親」の死、山ヤの医学生「雅樹」の長野での死。
山を愛しながら新宿のアスファルトに抱かれた「周太の父」の殉職、その死を招いた一発の銃弾が砕いた周太と国村の約束。

そうして向き合う「人の死すべき運命」から自分が見つめたもの。
峻厳な「山」に見つめる自然の雄渾な懐の深さ、ここにある「今」生命への謹厳な想い。
ここに「今」生きてある「想い」への感謝、やさしい温もり歓び。恐怖すら自分を鍛える引金だと感謝が出来る。
こんなふうに自分が生きることを見つめられるなんて、想っていなかった。
そして「今」が幸せだと心から想える。

あのとき警察学校を選んで、よかった。
あの日に周太と出会えて、山岳訓練で救助に志願できて、よかった。
周太の為に生きることを選んだから、国村のパートナーに選ばれたから、今がある。
この新宿の片隅にあっても、山岳レスキューとして立てる自分になれた、今が幸せだ。
自分は「山」に出会えて良かった、幸せに微笑んで英二は手にとった本を持って席へと戻った。

座ってページを捲りだすと、ちょうどオーダーが届けられた。
温かなコーヒーを啜りながら懐かしい詩を眺めていると、寛いだ心地が気持ちいい。
医学書や山岳関係以外の本は久しぶりに英二は開いた。ただ楽しむため、そうした穏やかな本の時間に心がほぐれていく。
こういうの久しぶりだな、ほっと微笑んで英文詩の韻や単語の美しさを英二は楽しんだ。

きっと周太の父もこんなふうに英文学に親しんだのだろう。
彼の若すぎる死、途絶えた英文学への夢は想うほどに切なさが募ってしまう。
どうにか彼の想いを拾い集めて、ひとつでも多く彼の願いを叶えてあげたい。
彼の最後の一言は「周太」だった、だからまず周太を笑顔にしていくことだろう。
そんな考えのなか詩を読んでいて、ふっと英二は微笑んだ。

いつのまにか自分は「周太のため」ではなく「周太の父のため」とも考えるようになっている。
こんな考え方をするのは、きっと心から周太の父が好きだからだろう。
一度も生きて会ったことは無い、けれど彼の日記帳をこの1ヶ月とすこし読んで、親しい友人のようにすら感じられる。
英文学の研究に誇りを懸けたかった、ひとりの山ヤ。そして拳銃に斃れた警察官としての先輩。
哀しいけれど美しい生き方をした、そんな姿があの日記帳を読み進め、周太と母に接するごとに見えてくる。
いま周太はどうしているかな?ふっと顔をあげると戻ってきた美代が数冊の本をテーブルに置いて微笑んだ。

「珍しい本がたくさんあったの、どれにしようか迷っちゃって。だいぶ絞ったんだけど、…欲張りね、私?」

植物の学術書から料理のテキストブックまで、きれいな本が5冊ほど置いてある。
そのうちの一冊に製菓の本があって英二は微笑んだ。

「バレンタインの手作り用?」
「あ、ばれちゃったね?…そうなの、もうすぐでしょう?バレンタイン。ね、どれが美味しそうかな?」

話しながら愉しそうにチョコレート菓子の頁を見せてくれる。
マグカップを置くと一緒にページを覗きこんだ。

「これとか旨そうだね、ガトーショコラ?マーマレード使うのがいいな、」
「オレンジとチョコレートの組みあわせね?湯原くん好きよね、そのふたつ。このあいだ聴いたの、」
「そうなんだよね。周太、そのふたつが好きでさ。美代さん、いつもバレンタインは手作りするんだ?」

味噌まで手作りする美代だったら菓子くらい簡単だろう、なにげなく英二は訊いてみた。
ところが美代は首を振って微笑んだ。

「ううん、今年が初めてよ?」
「そうなんだ?じゃあ、国村にはいつも買ってあげてたの?」

それも意外だな?なにげなく訊いて英二はコーヒーをひとくち啜った。
けれど美代はかるく首傾げて笑って教えてくれた。

「ううん、光ちゃんにはね、あげたことないの。他の人にもね。だからね、私にとっては今年が初めてのバレンタインなのよ、」

これは意外だった。
すこし驚いて英二は美代のきれいな明るい目を見つめた。
見つめた先で美代はすこし頬染めて、気恥ずかしげに微笑んだ。

「あのね、光ちゃんってアーモンドチョコばっかりなのね。それに、なんか恥ずかしいし、しなかったの。
でもね、今年は湯原くんに贈ってあげたくなって。あまいもの好きでチョコレート好き、って言っていたから」

そういえば最近は「友チョコ」が流行りと聴いた事がある。
上質なチョコレートをあげても男は解らないけれど、女同士なら価値が解るから楽しいらしい。
それと似たような感覚で周太に贈るのかな?素直に英二は訊いてみた。

「周太に、なんだ?」
「うん、そう。宮田くんと藤岡くんにもね、あげようって思ってるんだけど。あまいもの好きかな?」
「ありがとう、好きだよ?藤岡もたぶん好きだと思う、ていうか、バレンタインなんて大喜びだと思うよ?」

こんなバレンタインの会話からも国村と美代の繋がりが「恋人ではない」と示されてしまう。
お互いに一緒にいることが自然、けれど恋と言うには近すぎるのかもしれない。
マグカップの温もりを片手に他愛ない話をしていると、不意に英二は肩を叩かれた。

「英二?あんた、なにやってるの?」



なつかしい声に振り返ると想った通りの相手がこっちを眺めてくれる。
ちょっと驚いた顔へと英二は素直に笑いかけた。

「ひさしぶり、姉ちゃん。土曜だから会うかなって俺、思ってた」
「土曜だから、来たわよ?で、なにやってるの?」

きれいな笑顔で笑いながらも切長い目が「なぜ周太くん以外とデートしてるのよ?」と訊いてくる。
たしかに驚くだろうな?きれいに笑って英二は答えた。

「今日の俺はね、周太の代打なんだよ。紹介するよ?俺のアンザイレンパートナーの幼馴染で、美代さん。周太の友達なんだ、」
「初めまして、小嶌美代です。あの、お気に入りのお店にお邪魔して、すみません」

気恥ずかしげに微笑んで美代は素直に頭を下げた。
そんな美代の様子を見て姉はすこし不思議そうにし、けれどすぐ微笑んだ。

「こちらこそ、お邪魔してごめんなさいね?英二の姉の英理です。このお店、気に入った?」
「はい、こういうお店、大好きです」

きれいな明るい瞳がうれしげに笑った。
そんな顔を見て姉はすこし首傾げ考えると、すぐに微笑んだ。

「うん、周太くんとお友達なのわかるな?雰囲気が似てるもの、」
「姉ちゃんも、そう思う?」
「思うな、ちょっと遠慮がちな感じとか、純粋なところ?で、すごく可愛いわ」

やわらかな髪をかきあげながら華やかな笑顔を姉は見せた。
そんな姉の笑顔と英二を見比べて、すこし遠慮がちに美代も口を開いた。

「湯原くんとは、話しやすくて。仲よくしてもらっています」
「よかった、仲よくしてあげてね?で、この不詳の弟もよろしくね。じゃ、そろそろ行かなくちゃ。英二、また電話するね」

さらり笑って姉は店を出て行った。
たぶん来ているかな?と思った通りに姉もこの店で座っていた。きっといつもの指定席でのんびりしていたのだろう。
見送ってまたソファに座ると美代が褒めてくれた。

「お姉さん、きれいね?やっぱり似てるのね。美人で、気さくで。素敵なお姉さんね?」
「そう?ありがとう、」

微笑んで英二はコーヒーをひとくち啜りこんだ。
美代もストロベリーティーを飲んで、それから英二を見ると口を開いた。

「あのね?宮田くんて、いつもあんな感じでお姉さんのこと、見てるの?」
「あんな感じ?」

どの感じかよく解らなくて英二は訊いてみた。
すこし首傾げながら美代は説明した。

「さっきね、お姉さん見送る時とか、話している時とか」
「うん、いつも、あんな感じかな?」
「そう…」

素直に英二が頷くと、美代は考え込むようにカップを抱えこんだ。
英二と姉の様子から気づいた「何か」を掴もうとするような表情でいる。
ゆっくり考えさせてあげたいな、微笑んで英二はコーヒーを啜るとまたページを開いた。

My heart leaps up when I behold A rainbow in the sky :
So was it when my life began,
So is it now I am a man
So be it when I shall grow old Or let me die!
The Child is father of the Man : 
And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety.

 私の心は弾む 空に虹がかかるのを見るとき
 私の幼い頃も そうだった
 大人の今も そうである 
 年経て老いたときもそうでありたい さもなくば私に死を!
 子供は大人の父
 私の生きる日々が願わくば 自然への畏敬で結ばれんことを。

「…The Child is father of the Man …And I could wish my days to be Bound each to each by natural piety…」

声無く呟いて英二は微笑んだ。
子どもは大人の父、そんなフレーズが国村と重なっていく。
今朝までずっと背中にくっついていた大きな子ども、そんな国村が昨日は警視庁拳銃射撃競技大会を制圧した。
ずっと子供のままのように純粋無垢な目は真直ぐに物事を見て、ちいさな人間の世界を笑いとばす。
そんな国村の日々は「natural piety 自然への畏敬」で充ちている。
山に生きる山ヤとして大切な核心「自然への畏敬」これに日々を生きて終えて行けたなら、山ヤとして本望だろう。
自分もこんなふうに生きられると良い、そんな想いに微笑んで目をあげると美代もちょうど目をあげた。

「あのね、…宮田くんは、お姉さんのこと、どんなふうに好き?」

遠慮がちに美代が訊いてくれる。
やっぱりこのこと考えていたんだな?微笑んで英二は素直に答えた。

「俺の場合ね、いつも受けとめてくれる相手だよ。そしてね、母代りでもあるんだ」
「お母さんの、代わり?」

すこし不思議そうに美代は小首傾げている。
ちょっと重たい話になっちゃうな?想いながらも英二はありのままを話した。

「母はね、『きれいな息子』しか見ない人なんだ。
だから俺が転んで汚れたり、怪我をした時は見ないフリしちゃうんだ。それで、そんなときは姉が面倒見てくれた」

「…そんな、どうして?」

ちいさく息を呑んで、きれいな瞳が見つめてくれる。
哀しい顔させちゃったな?すこし困ったように笑って英二は続けた。

「母は『理想の息子』が大切なんだ。だからね、理想から逸れた息子は見たくない」
「逸れる、なんて…そんな」

きれいな瞳がうるんでしまう。そんな様子もどこか周太を想い出させてくれる。
やっぱりどこか似ているんだな?想いながら英二は言葉を紡いだ。

「いま俺は山岳レスキューの現場で泥まみれになるだろ?
応急処置で手が血だらけにもなる、亡くなった方の見分もする。きっとね、知ったら母はショックで倒れると思う。
けれど俺は、この山岳レスキューの道に生きていたい、山と向き合いたい。そんな俺を受入れろって言っても母には無理だ。
だから俺、実家には帰らないんだよ。そしてね?こんな俺の『帰る場所』になってくれているのが、周太と、周太のお母さんなんだ」

じっと見つめて美代は話を聴いていてくれる。
見つめてくれる眼差しに微笑んで英二は言った。

「そしてね、姉は受けとめてくれる。
周太のことも、山のことも。そんな姉がね、俺は大好きだよ。
母の代わりでもある、そしてね、憧れでもある。だからずっと、きれいでいてほしい人だよ。姉はね、特別で大切な存在」

きれいに笑って英二は美代に笑いかけた。
明るい瞳が英二に笑い返してくれる。ちいさなため息を吐くと軽く頬杖ついて、美代は口を開いた。

「あのね、光ちゃんが私を見る目とね、宮田くんがお姉さんを見る目が、同じだったの…あのね、聴いてくれる?」
「話してくれることはね、聴かせてもらうよ?」

ちゃんと聴くよ?目でも言いながら微笑んだ英二に、美代は嬉しそうに笑った。
そして安心したように彼女は話し始めた。

「こんな私でも、ね?…男の人に、告白されたのよ。つい昨日なんだけど、」

きれいな瞳の明るい美代は、きっと男性からも好かれるだろう。
今までそういう話が無かったのは国村が自分で言ったように、寄せ付けないようにしていたからに過ぎない。
そして告白の相手はきっとそうかな?自分の予想をそのまま英二は言ってみた。

「昨日、この映画のチケットをくれた職場の人、かな?」
「そうなの。やっぱり、宮田くんには解っちゃうのね?」

英二の答えに美代が驚きながら微笑んだ。
その相手は美代をデートに誘うつもりだったろう、けれど美代がチケットだけ持っているということは?
答えは決まっているだろうと思っていると美代が微笑んだ。

「好きです、って言ってくれて。それで、一緒に映画に行きましょう、って誘ってくれたの。
でも私、考えたことなかったし…ね?お付き合いできない、ってお断りしたらチケットだけくれたの。
それでね、そのひとが私を見てくれた目とね、光ちゃん全然違うなって。…前からね、ちょっと思ってはいたのね?
友達と彼氏が一緒にいるとこ見たり、湯原くんの話とか…自分と光ちゃんの場合とは全然違うなって。それでね、…あの、笑わない?」

「笑わないよ?」

安心して聴かせてよ?そう微笑んだ英二に嬉しそうに美代が笑ってくれる。
そして美代は口を開いた。

「あのね、これは湯原くんにしか話したことないことなの。ね、宮田くん?妖精って信じる?」
「妖精?…詩とかに出てくる、花や木の精霊のことだよね?」
「うん、ね、信じる?」

急に話が飛躍したな?すこし驚きながら英二は首を傾げた。
きっとこういうことを聴く以上は、美代の話したいことに関わるのだろう。頷いて英二は微笑んだ。

「そうだね、山にいるとね?不思議な雰囲気には出会うよ、」
「不思議な雰囲気?」

そっと訊きかえしてくれる。
かるく頷いて英二は、よく自分が想うことを素直に話した。

「うん、大きな木とかは、なんだろうな?
意志みたいなね、なんか不思議な気配があるなって思うときがある。
山も…山が吼えている、そう感じる時があるよ、大風の時や雪崩の時とか。
ふっと風が吹いて木洩日が揺れる、そんなときは森が笑っているみたいだ。すこし風が強い木洩日は涙みたいな時もある。
そんなふうにね、山にいるとさ?言葉にならないけれど、気配みたいなものは感じる。だから俺は、妖精に会ってもね、驚かないかな」

「そう…やっぱり山には、妖精がいるのね…」

ほっと溜息ついて美代はお茶をひとくち飲んだ。
カップを受け皿へ戻すと今度は、内緒話のように声を低めて美代は言った。

「あのね、ドリアードって木の妖精がいるの。それで、きっと光ちゃんの恋の相手は、ドリアード…こんなこと言うと、変?」
「国村らしいなって思うよ?」

きれいに微笑んで英二は正直な感想を述べた。
あの山っ子だったら木の妖精と恋におちても不思議はないだろう。
そして、と解ってしまうものがある。
きっとこの国村の「ドリアード」は生身の人間で、自分もよく知っている相手だろう。
この話を美代は周太にもしたと言っていた、きっとなにも気付かずに話したろうけれど周太は困っただろう。
そして多分これは「山の秘密」と国村が言っていたこと。
だから自分はこれ以上聴くべきではないだろう、おだやかに英二は口を開いた。

「それで美代さん?国村が美代さんを見る目は、どんな種類だって想ったの?」

ほんとうは話しを折ることは好きではない。
けれど友人と愛するひとの大切な「秘密」を勝手に知ることは、出来ればしたくない。
このまま美代さんが話を向け直すと良いな?そう見つめている先で美代は小さく微笑んだ。

「うん、宮田くんとお姉さんを見て、気がついた。きっと『姉』なのかなって。そしてね…」

ふっと言葉を切ると美代はお茶を啜りこんだ。
なにか決心するように飲みこんで、真直ぐ英二を見ると美代は言った。

「私もね、光ちゃんのこと、『恋人』と違うかなって想ったの。だってね、…あの、嫌いにならない?」
「うん?美代さんのことを、俺がってこと?」

一生懸命なきれいな瞳を英二は見つめ返した。
ちいさく英二に頷いた美代に、大らかに英二は笑いかけた。

「嫌いになんて、ならないよ?美代さん、どうしたの?」
「ほんと?じゃあね、思い切って言っちゃうけどね、…」

なにを思い切って言うのかな?
ちょっと楽しみに見つめる先で美代は口を開いた。

「あのね、光ちゃんよりも、宮田くんの方が、どきどきします。…以上です、」

言って美代は真赤になってしまった。
あんまり可愛い言い方に微笑ましくて、なんだか温かい気持ちになってしまう。
この美代の「どきどき」はまだ恋とは違う、憧れに近いものだろう。
けれど国村への気持ちとの差を、英二を切掛けに美代が気づけたなら。きっと美代は本当の恋愛ができるようになるだろう。
そして幸せになってくれたらいい、目の前の人の幸せを祈りながら英二は、きれいに笑いかけた。

「ありがとう、美代さん。きっとね、それ『憧れ』っていうやつだよ?」
「あこがれ?」
「うん、『憧れ』じゃないかな。恋と似ているけど、ちょっと違う。でも国村への気持ちよりはね、きっと、ずっと恋に近い」

ふっと周太に出逢ってからの想いの変化が重なって英二は微笑んだ。
自分も最初は憧れから周太への想いを自覚した、懐かしく想いながら英二は話した。

「まだ相手をよく知らない、けれど素敵だなって所を見つけて、そのひとが気になって。
そうして見ているだけでも、楽しくて。傍に来ると『どきどき』もするね?そう見ているだけでもいい、それが『憧れ』かな?」

最初は、周太の真直ぐで繊細な視線。
それから端正な姿勢、ひたむきな努力の姿が好きになって。
そして素顔の穏やかで優しい周太を知って、きれいな静かな空気が居心地良くて隣から立てなくなった。
ほんの数か月前に自分の想いが辿った軌跡たち、ずっと前のように見つめながら英二は佇んだ。

「うん、…なんか、それは解る、かも?…じゃあ、ね?恋とは、どこが違うの?」
「恋だとね、相手のことを丸ごと知りたくなる、かな?知って、好きで、相手のことをね、全部、欲しくなる」

相手の全部を欲しくなる。きっとここが美代と国村の間には無い部分。
ほんとうに恋したら独り占めもしたくなる、ふたりきりで居たくなる。
ずっと自分は周太にそうだった、懐かしく想いながら英二は微笑んだ。

「恋したら。その相手にはね、他の人は見てほしくなくなる。独り占めしたくて、ふたりきりで過ごしたい。
ずっと腕のなかから離したくなくて、ちょっと離れるのも哀しくて、苦しいよ?
ずっと見つめていたい、声を聴いて、肌にふれて…体温を感じて、抱きしめていたい。好きだって言い続けて…」

話す言葉の合間に、ふっと瞳の奥へと熱が昇りかけては呑みこんでいく。
ほんとうは周太にずっとそうしていたかった。そんな想いが懐かしい、そして諦めきれない想いもある。
これからの自分は、周太にとって保護者であり続けることは変わらないだろう。
そして、また恋人の立場に戻ることはあるのだろうか?
自分の想いを見つめる英二に、そっと美代が口を開いた。

「ね、私、光ちゃんとは『恋愛』じゃないみたい…ね?だってね、ふたりきりで過ごしたい、って想ったことないもの?」

きれいな明るい瞳が英二をに笑いかけてくれる。
気恥ずかしげに微笑みながら、美代は素直に話してくれた。

「さっきも話したドリアードをね、光ちゃんが好きだって解ったときは、寂しかったの。
もし光ちゃんが他の人のところに行っちゃったらきっと寂しい。光ちゃんと宮田くんがお似合いで、ちょっと妬けたけし。
でもね?だからって恋してるのとは違うなって…好きは好きよ?いつも心配したりはするし。でも、家族にも同じように想うものね?
だって私、光ちゃんのこと全部ほしいとか、想わない。ずっと見ていたい、とか無い。抱きしめたいとか考えられない…恋とは違う、ね?」

クリスマスイヴの時に美代も国村も「ふたりきりは寂しかった」と言っていた。
クリスマスイヴの夜に「ふたりきり」を望まない恋人同士なんて居るんだ?そんなふうにあのとき不思議だった。
「ふたりきりで過ごしたい」そんな恋人同士のささやかな願い。この願いが無かったら「恋愛」と言えるだろうか?
この願いに国村はきっと、最初に周太と出逢った9歳の時に気づいただろう。
その願いの為に国村は14年の歳月を、ひたむきに周太を待ち続けていた。
ふたりの初恋を想いながら英二は美代に微笑んだ。

「美代さんならね、きっと素敵な恋愛が出来ると思うよ?きっとね、どこかに相手の人が待ってる、」
「ほんと?…うん、楽しみね?でも…ね、宮田くん?」

嬉しそうに微笑んだ後で急に心配そうに美代は首を傾げた。
どうしたのかな?やさしい笑顔を向けた英二に美代はまた赤くなって口を開いた。

「もしね?この宮田くんへの『憧れ』がね、恋に成ったら…困っちゃうね、私?だって、湯原くんの恋人、でしょう?」

赤くなりながらも一生懸命に心配してくれる。
なんだか可愛らしくて微笑ましい、きれいに笑って英二は言った。

「うん、ごめんね?俺はね、周太のものだから。でもね、きっと美代さんにしか幸せに出来ない、運命の恋人と逢えるよ」
「ほんとう?…うん、楽しみね?…あ、」

微笑んだ美代が何かに気がついて首を傾げた。
なにかなと見た英二に美代が訊いてくれる。

「ね?宮田くんのね、携帯。いま、振動したんじゃないかな?」
「そうだった?ありがとう、」

礼を言いながら携帯を見るとメール受信の表示があった。
誰からだろうな?受信ボックスを開いていくと、今着たメールが表示される。
そのメールの差出人名に英二の顔が微笑んだ。

「ね?湯原くんから?」

うれしそうに美代が訊いてくれる。
メールを開いて読みながら、うれしくて素直に英二は微笑んだ。

「うん、周太から。いまね、新宿に戻ってきたみたいだ、」

from :湯原周太
subject:いま
本 文:今、どこにいますか?こちらは講習会が終わって新宿に戻りました。

短い文章、確認と報告だけのメール。
けれどこの文章に込められている想いはなんだろう?




【引用詩文:『 William Wordsworth詩集』】


(to be continued)

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