萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第83話 雪嶺 act.7-side story「陽はまた昇る」

2015-06-28 21:44:00 | 陽はまた昇るside story
No more shall grief of mine the season wrong 邂逅の道
英二24歳3月



第83話 雪嶺 act.7-side story「陽はまた昇る」

午前4時、一歩から始まる。

「…は、」

そっと笑った息が白い、頬ふれる大気しんと張りつめる。
凛然と斬りつける低温さがりゆく、いま極まる冷厳に呼ばれた。

「宮田、白いヤツ持ったかね?」

訊いてくれる吐息も白い。
普段ない装備だから確かめてくれる、そこにある意志と信頼に英二は微笑んだ。

「はい国村さん、すぐ出せるようにしてあります、」
「ラストはすぐ脱げよ、解かっちゃいるだろうけどね?」

テノール低く暁闇に徹る。
この声をむこうも聴いているだろう、そんな緊迫に先輩が言った。

「宮田さん、分岐点が判断しにくいと思いますが、そのときは川音で判断してください、」

穏やかな声が教えてくれる、そのトーンも緊張は滲む。
ここまで張りつめた現場は初めてだ、それだけ難しい任務に尋ねた。

「川音ですか、浦部さん?」
「そう、道の崖下に沢があるんだ、行きは右側で帰りは左です、」

肯いてくれる顔に月光ゆるく白い。
まだ夜は明けない時刻、けれど照らす月に微笑んだ。

「解かりました、音を聞いたポイントは目印つけていきます、」
「それが確実だね、森の木も似てるから気をつけて?葉がないし雪が凍って見分けにくいと思う、」

また教えてくれる言葉に記憶が映る。
前はザイルパートナーがルートファインディングしてくれた、けれど今回は自分が先導する。
その責任と連れてゆく相手を目端つい探しながら上官が言った。

「解かってるだろうけど宮田、吹雪だしたら竹竿を使いな?雲かかってる辺りは危ないかもしれない、」

また念押してくれる言葉に視線がくる。
たぶん一言あるのだろう?そんな声が飛んできた。

「目印などつけるな、犯人から見えるだろう、」

ほら、横槍どうしても入れるんだ?

―ここまでくると戻ってほしくないみたいだな、そこまでの理由はなんだ?

戻ってほしくない、それは「生還してほしくない」ことだ。
こんなにも部下を「棄てたがる」意図はどこにある?探る隣から上司が笑った。

「ご冗談ありがとうございます、指揮官殿?」

さらり言い返し会釈して、ヘルメットの庇から横顔が哂う。
怜悧な瞳まっすぐアサルトスーツの男を刺して徹る声は言った。

「全員無事帰還が最優先任務です、宮田巡査部長よろしくお願いします、」

階級わざとつけて呼んでくれる。
こんな悪戯心つい笑いそうで、けれど籠る信頼に微笑んだ。

「はい、必ずSATの方を無事連れて戻ります、」

敬礼して笑いかけて、その真中でうなずいてくれる。
いつもの眼差しは底抜けに明るい、変わらない上司に頭下げて呼ばれた。

「あと宮田さん、銃座の雪壁についてですけど、」

まだ情報があるらしい。
その生存可能性に向き直ると先輩は続けた。

「あの斜面、雪壁いくつか出来てると思うんだけど切株があるのを選んでください。ものすごく大きいから埋もれていても解かると思う、」

地元出身らしい情報に可能性ひとつ近づく。
これを遣えたら戻れるだろう、ただ素直な感謝に笑いかけた。

「ありがとうございます、木に守ってもらいますね?」
「うん、落雷で折れた木だけど強いはずだよ、」

肯いて穏やかに微笑んでくれる、その眼差しが泣きそうに澄む。
この先輩が何を言いたいかなんて解っている、それくらい山は甘くない。

―雪崩に切株が耐えられるかなんて賭けだ、でも零じゃない、

いま3月春の季、起きる雪崩は危険度が高い。
しかも誘発の原因を作ろうとしている、その行く先に先輩が言った。

「宮田さん、解かってるだろうけど今の時季あの斜面はディープスラブの巣だよ、でもあの切株は残ってるから、」

ディープスラブは面発生乾雪表層雪崩に区分される。
起きやすい地形的特徴はない、しかし雪崩活動は分布する地形によって多様かつ特定の場所で起きる。
ようするに特定の山域・山・斜面・標高・方位で決まったポイントのみに問題点があり、そこと隣接する場所には存在しない。
発生、崩れ方は浅い弱層から小さな雪崩が起こり、それが深い弱層を刺激して発生するステップダウンが一般的。
弱層が浅い位置にある積雪の薄い場所を刺激し誘発するリモートトリガーも多い、そんな知識から訊いてみた。

「ディープスラブで残るなら、根を深く張っている切株なんですね?」
「そうらしいね、高木がそこは詳しいけど、」

応えてくれる同僚の名前に懐かしい。
まだ待機で眠っているのだろう、別れも告げられない相手に微笑んだ。

「戻ったら高木さんに何の木か訊きたいです、」
「訊いてやって?あいつ木の話は大好物だから、」

端正な貌が可笑しそうに笑ってくれる。
この顔もいつもは本音ちょっと小憎らしい、けれど今はただ親しい先輩が言った。

「もしもの時は切株の根元に顔つっこむんだ、あの切株なら大きいエアポケットが出来ると思う。ビーコンのスイッチ忘れないでください、」

きっと雪崩は起きてしまう。
いま言外に告げてくれる通り、山ヤなら誰も同じ意見だろう。
だからこそ今ここに仲間は立ち会わない、そんな判断も背負う上官も言った。

「宮田、いま浦部が言ったこと忘れるんじゃないよ?こんな天候条件はディープスラブが爆発しやすいね、狙撃なんざしたら雪崩のトリガー弾いちまう、」

ディープスラブの誘発条件については積雪が均一に深く堆積し天候が穏やかな場合は大きな刺激、強力な爆発物や大きな雪庇の崩落などを要す。
また予測は困難でいったん発生すると破壊的な規模となる、そして気象が大きく変化する春はディープスラブを目覚めさせやすい。
その期間は小さい刺激でも誘発は起こる、そんな現実へ透けるような明眸が笑った。

「いいね宮田、トリガー弾かれる瞬間が解かりゃタイミング解かるよね?」

トリガーは現実の引き金だ。
そこにある希望へきれいに笑った。

「おう、逃さない俺だって光一は知ってるよな?」

いま本来なら上司への敬語つかわなくてはいけない。
けれど今だからこそ対等でむかいあう、その信頼にザイルパートナーも笑った。

「英二はソンナ間抜けじゃないね、でなきゃ俺だってコンナマネさせないよ、」
「信用ありがとな、」

さらり笑い返して秒針たどりつく。
午前4時ジャスト、その刻み英二は敬礼と笑った。

「行ってきます、打ち上げの酒を楽しみにしてますね、」

戻ったら皆で呑もう?
そんな誘いに先輩も頷いてくれた。

「うん、今度こそ国村さんと宮田さんの歓迎会しましょう?慌しくて延期したままだ、」
「そうだったね、そこらへんヨロシク?」

からり底抜けに明るい瞳が笑う、その隣で端正な貌も笑っている。
この二人もこのあと辛い立場に向かうだろう、解かるから頭ひとつ下げた。

「国村さんと浦部さんにも辛い役をさせます、黒木さん達には俺が志願したこと伝えてください、」

今回の任務は山ヤなら誰もが辛い、そして自分の任務は反対意見も起きる。
こんなこと無茶だと誰も言うだろう、だからこそ下げた頭に穏やかな声が溜息そっと吐いた。

「宮田さんがいちばん辛いよ、同じ山ヤを撃つ手助けなんて…どうして、」

月光に白い吐息ゆれてゆく。
ヘルメットの庇から優しい眼差し見つめて、そのまま頭下げてくれた。

「長野の山ヤとして謝らせてください、山岳ガイドが登山客を襲うなんて恥ずかしい、」

山小屋に立て籠もる男は山岳ガイド、その出身地はまだ訊いていない。
それでも地元だから浦部は頭下げてくれる、そこにある誇りに山の警察官が笑った。

「浦部もう頭上げな?宮田とオツレサンが元気で戻ってくりゃナンも問題ないだろ、だから必ず戻れ、いいね?」
「はい、必ず戻ります、」

肯いて、そして敬礼もういちど交わし歩きだす。
行く先にウェア着たアサルトスーツ姿は佇む、その小柄な背格好が鼓動ノックする。

―きっと周太だ、あの背格好きっと、

アサルトスーツは見慣れない、けれど狙撃銃を背負う姿は一度だけ見ている。
その記憶と今この黒い姿は重ならす、そして信じたい願いごと笑いかけた。

「お待たせしました、行きましょう?」

笑いかけて、けれど返事ひとつ声は返されない。
ただ頷いてくれる顔もマスクとヘルメットに隠されて、それでも月光が瞳を見せた。

―黒目が大きい、周太?

暁闇まだ濃やかな闇、けれど黒目がちの瞳を月が照らす。
見あげてくれる眼差しは冷静で、だけど深く沈めた感情は透けてしまう。

―周太、俺のために泣いてくれてる?

静かな瞳、でも泣きそうに見えるのは自分の願望だろうか?
そんな想い歩きだす足元さくり雪埋もれる、それでも仰いだ真白な闇に月は照らす。



(to be continued)

【引用詩文:William Wordsworth「Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood」】

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