約束、花降る夜に
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第43話 花惜act.2―side story「陽はまた昇る」
川崎の市営墓地は、桜の花にくるまれていた。
あわい紅いろ舞いふるなかを3人、ダークカラーの姿で歩いていく。
仕事帰りの周太の母は、薄青のシフォンブラウスをあわせた黒いパンツスーツ姿だった。
やわらかなリボンタイを風に翻しながら、英二が抱えた花束に彼女は微笑んだ。
「とても素敵な花束ね。清楚で落着いていて、あのひとが好きな雰囲気よ、」
「お母さんに、そう言ってもらえると嬉しいです、」
白と緑に深紅をあわせたシックな花束。
この大きな花束に、嬉しそうに周太も笑って母に教えた。
「お母さん、あの花屋さんに作って貰ったんだ…バラの棘も全部取ってくれたの。それでね、この子、ってまた言ってたよ?」
「周が大ファンの花屋さんね。なんてオーダーして、作って貰ったの、」
母に訊かれた周太が、英二を見あげてくれる。
黒目がちの瞳を受けて、英二は答えと微笑んだ。
「50代の男性に、感謝の花束を。とても笑顔が美しい人です。そんなふうに、お願いしてみました、」
快活な黒目がちの瞳が、心から嬉しそうに笑ってくれる。
そして穏やかな声が感謝に微笑んだ。
「ありがとう、英二くん。主人のこと、そう言ってもらうの嬉しいわ、」
ブルーのシフォンが花の風に揺れる。
やわらかな髪を手に抑えながら、少女のままの笑顔が華やいだ。
「私にとって、あのひとはね?亡くなっても終わらない恋人なの。だから、そんなふうに花束をオーダーして貰うの、嬉しいな、」
終わらない恋人
永遠の恋をしている、そう言う意味。
そんな言葉は桜に抱かれた恋人同士には、とても似合うかもしれない。
いま胸元に下げた合鍵の持主を想いながら、英二は綺麗に笑った。
「そう言ってもらえて、俺も嬉しいです、」
そんな会話を交わしながら、家の墓所に着いた。
咲き誇る桜の天蓋のもと、おだやかな陽をあびて墓碑は迎えてくれる。
花束を傍らに置くと、墓碑に頭を下げて英二は墓石を磨きはじめた。
周太の母が用意してくれたサラシで磨き上げていく、その間に彼女は息子と草取りを始めた。
「お彼岸に来たばかりだから、あまり生えていないわね、」
「ん、そうだね…あ、お母さん、今年もここに、すみれが咲いてくれたよ、」
「ほんとね?お父さんが好きな花だから、喜んでるね?」
母子で笑いあいながら、楽しそうに手を動かしている。
ずっと13年間をこうして、ふたりきりで墓を守ってきたのだろう。
ふたりきり生きてきた。この事実に見つめる想いが、切ない。
―その13年間も、一緒に過ごしたかった…守りたかった、
こんなふうに「守りたい」と想うなんて、一年前の自分には想像つかない。
けれど今はもう、こんなにも痛切な想いと願いを抱いている。
こんな今が不思議で、心から幸せだと微笑が起きあがってしまう。
―これからは、ずっと守らせて欲しい、一緒に過ごさせて欲しい
この美しい母子が許してくれる限り、共に寄添って生きていけたら良い。
こうして墓を磨いて守って、自分がこの家を守り、繋いでいく努力をさせてほしい。
そんな想い見つめながら、最後の一拭きを英二は終えた。
「きれいになったね?英二、ありがとう、」
愛しい声が、嬉しそうに微笑んだ。
嬉しい声にふり向くと、その隣から敬愛するひとも笑ってくれた。
「ほんとね、いつも丁寧にしてくれて。英二くんだと高い所も楽に手が届くね、ありがとう、」
母子が一緒になって褒めてくれる。
嬉しい気持ちと質問を思いながら、英二はふたりに笑いかけた。
「喜んでもらえるなら、うれしいです。ね、お母さん?皆さん、お名前は一文字なんですね、」
墓碑銘に記された俗名を示しながら、英二は尋ねた。
彼女も碑銘を見ながら、気さくに笑って教えてくれた。
「代々ね、一文字らしいの。だからね?ほんとうは周も、最初は一文字で『あまね』だったのよ、」
「え、そうなの?」
きれいな黒目がちの瞳が大きくなっている。
周太自身も初耳だったらしい、けれど英二にとって予想していた事だった。
「そうなのよ、周。話したこと、無かった?」
「ん、初めて聞いたよ?…あまね、だったの、俺の名前、」
たぶん日記帳の1988年11月3日には、このことも書いてあるだろうな。
そっと心で確信しながら英二は彼女に質問をした。
「なぜ、『しゅうた』にしたんですか?」
「出生届を出す直前になって、あのひとが『太』を付けたい、って言いだしたのよ、」
笑って彼女は答えてくれる。
そして彼女は「太」にこめた意味を教えてくれた。
「心の器が大きい人になるように。そんな意味を籠めてね、あのひとは『太』を付けてくれたの、」
“ひろく普くを歩む佳き人生を祈って”
“佳き馨のように周くを歓ばせる人生を祈って”
隠されていたアルバムの詞書に記された、周太の祖父と父の命名由来。
晉の命名と馨の命名に「あまね」という意味は共通して使われ、馨には「周」の文字で記されていた。
この命名由来から周太の名前は付けられたのだろう。
―「太」は、50年の連鎖を超えていくように、そんな祈りかもしれない
祖父も父も超え心大きいひとになるように、負の連鎖をも超える強い人になるように。
きっとこの祈りが込められている、そんな想いに目の奥が熱くなる。
けれど熱を想いごと肚に飲みこんで、英二は綺麗に笑った。
「『周太』って、いい名前ですよね。でも、『あまね』も可愛くて良かったな、って思います」
「でしょう?私もね、『あまね』って可愛いなって思ったの。でも『しゅう』も呼びやすいし、ね、」
息子の名前を話してくれる彼女は、楽しげで幸せそうでいる。
きっと、息子が生まれた時や名づけの時の幸福な記憶が、彼女の心を充たしているだろう。
―この笑顔も守っていきたい。ふたりとも、守りたい、
心ふれる願いに英二は、花ふる墓碑へと祈りを運んだ。
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川崎の家に着いたのは16時だった。
ブラックスーツから着替えて階下に降りると、リビングで周太が母に拗ねている。
どうしたのかなと見ると、泣きそうな顔で周太が訴えてきた。
「英二?お母さん、夜から温泉に出かけるって言うんだよ?ね、止めて?」
今日は周太の父の命日だから、家で過ごすだろうと英二も思っていた。
すこし驚きながら彼女を見ると、快活な黒目がちの瞳が微笑んだ。
「ワガママ言って、ごめんね?英二くん、」
「いえ、わがまま言って頂くのは、嬉しいんですけど、」
どういうことなんだろう?
そう見つめた先で、彼女は口を開いてくれた。
「おととしが13回忌だったの、そして今年は14年目だわ。それでも私は、あのひとに恋しているの。
だからこそ、今日に拘ることは止めたいの。あの人が亡くなった夜だからこそ私、この家から離れてみようと想うの。だめかな?」
終わらない恋人。
その想いは幸せで、けれど寂しくて、きっと全てに面影を追っている。
そんな恋人が消えた「今夜」を、恋人との記憶が多すぎる場所から離れてみたい。
この意志にこもる悲哀と愛惜と、それでも前に踏み出そうとする勇気を、誰が責められるだろう、止められるだろう?
―…行こうよ、雅樹さん…槍の穂先を、俺と超えてね、俺と一緒に
約束ごと消えた…だから今日、うれしかったんだ、約束まもってくれた、うれしかった
ふれられないのは寂しいよ…抱きしめてほしい、昔みたいに笑ってほしい…一緒に山に生きたかった…救けたかったのに
遺された者の尽きない想いを、国村の慟哭に教えらえた。
最愛の存在に先立たれた想いを、北鎌尾根で、槍ヶ岳で穂高で見つめ向き合ってきた。
だからこそ自分には、今日、踏み出そうとする彼女の勇気が解かる。
彼女への敬愛のままに、英二は口を開いた。
「いいえ、だめじゃありません、」
答えて、英二は微笑んだ。
そんな英二に隣から、縋るよう驚いたよう純粋な視線が向けられる。
どうか俺を信じていてね?そう隣の視線に笑いかけてから、英二は彼女へと答えた。
「俺が、この家にいます。だから、お母さんは離れてみてください。心配は要りません、」
「よかった、」
やっぱり、あなたは同士ね?
そんな言葉を隠しながら、快活な黒目がちの瞳が笑ってくれる。
どうか彼女が新しく踏み出せますように、そんな想いで笑い返しながら、英二はお願いをした。
「でも、お母さん?桜餅とココアは、桜を見ながら召し上がっていってくださいね?これは約束ですから、」
「はい、見て、食べていきます。今からココア、作るわね?」
楽しげに彼女も答えてくれる。
けれど、隣で自分と母を見つめる視線は、寂しい。
この寂しい気持ちも解かるな?英二は隣の視線をふり向いて、きれいに笑いかけた。
「周太?甘い冷たい吸い物、作るんだよな?それも一緒に、3人で食べよう。蓬を摘んでくればいい?」
純粋な黒目がちの瞳が真直ぐ見あげてくれる。
どうか笑ってほしいな?そう見つめた先で、やっと愛しい瞳が笑ってくれた。
「ん、皆で、食べようね?…英二、一緒に蓬、摘んでくれる?お母さんも、」
「ええ、周。もちろん、一緒に摘むわ、」
おだやかに笑いかけた母の笑顔に、周太は微笑んだ。
そして少し恥ずかしげに、けれど笑って周太は母に言った。
「お母さん、今夜はね、楽しんできてね?…明日は、帰ってきてね、」
なんとか折り合いを付けられたらしいな?
そう見ている先で、周太の母は嬉しそうに息子に笑いかけた。
「はい、もちろん帰ってくるわ、お客さんがあるし、」
「約束だよ?…白ワイン、買っておいてあげるから、帰ってきてね、」
「ありがとう、周。お母さん、明日の夜は、浅蜊のワイン蒸とか食べたいな?」
楽しそうに母子は話し始めた。
これなら周太も大丈夫だろうな?微笑んで英二は籠を取りに水屋に向かった。
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夕映えの始まりかけた仏間で3人一緒に、薄緑の白玉うかべた冷たい澄し汁を囲んだ。
テラスの洋窓ふる桜を眺めながらココアと桜餅も楽しんで、黄昏が終わる前に周太の母を駅まで見送った。
改札口を通り愉しげに階段を降りていく背中が見えなくなると、そっと周太から掌を繋いだ。
「ね、英二…一緒にいてね?」
黒目がちの瞳が、見つめてくれる。
いま大好きな母親が「今夜」から旅立っていく、それが良いことだと解っていても、寂しい。
この寂しさを共に過ごしてと求めてくれる、この瞳の願いは全て叶えたい。
なにより、この願いは自分の祈りでもある、微笑んで英二は頷いた。
「うん、ずっと一緒にいるよ?ね、周太、」
きれいに笑いかけて、長い腕伸ばして英二は恋人を抱きしめた。
「えいじ?だめ、こんなとこではずかしいよ、はなして、」
抱きしめた小柄な体から抗議の声が上がる。
けれど、背中に回してくれる掌は、ぎゅっとジャケットを掴んだ。
独りにしないで、離さないでほしい、傍にいてほしい。
ほんとうは抱きしめてほしい、そう掌が伝えてくれる想いに英二は笑いかけた。
「今は良いんだ、抱きしめても。ね、周太?だから、笑ってよ、」
「ん、…ありがとう、でも、…ちょっとはずかしいやっぱり、」
言いながら見上げて、赤い頬で笑ってくれる。
この笑顔がうれしい、今夜はたくさん笑わせてあげたいな?
抱きしめたまま素早くキスをして、そっと離れると英二は微笑んだ。
「周太、家に帰ろう?買物して行くんだよな?」
家に帰ろう。
いい言葉だなと、素直に想えてしまう。
こんなふうには周太に逢うまでは想ったことが無かった。
「ん、買物して、帰ろうね?…ね、今夜、なにが食べたい?」
嬉しそうに頷いて訊いてくれる。
なにが食べたいなんて本当のことを言ったら、きっと真赤になって大変だろうな?
そんなことを考えながら、英二は夕食に関しての答えを述べた。
「甘いワイン、今夜も飲もうか?それに合うもので、俺も一緒につくれるもの、って出来るかな?」
「出来るよ、…ね、ワインで夜桜見るの?」
「そうだよ、もう桜餅とココアは食べちゃったし、花見酒って言うだろ?」
ふたり今夜の予定を話しながら、家の方に歩いていく。
こういう何気ない時間こそ幸せで温かい、この今の瞬間こそが愛しい。
この愛しい温もりくれる恋人に微笑んで、英二はスーパーマーケットの入口を潜った。
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今夜はテラスに夕食の席を設えた。
南面の洋窓いっぱいに、染井吉野が万朶と華やいでいる。
桜の梢に垣間見る月へと、嬉しそうに周太は微笑んだ。
「月の明りが、きれいに桜を見せてくれるね?…きれい、」
フロアーライトの落とした灯だけのテラスは、ダイニングバーのような雰囲気になる。
こういう大人びた雰囲気の店では、ふたり一緒に食事したことが未だ無い。
あのタイプの店なら個室も多いから周太も寛げるだろう、こんど連れて行ってあげようかな?
そんなこと考えながら見つめる恋人は、おだやかな光と月明かりのなか雰囲気がいつもと違っている。
―美人、って感じだな、周太…
可愛らしい感じの風貌が、陰翳とワインの酔いに大人びている。
静養で帰っていた時も、ここでワインを一緒に楽しんだ。あの時よりずっと大人びたように想う。
もしかしたら今夕、母を送りだしたことで周太は少しまた、大人になったのかもしれない。
「周太、今夜は、すごく美人だね?」
素直な想いを率直に言って、英二は微笑んだ。
笑いかけ見つめた向こう側、首筋から頬まで桜いろに紅潮が昇りだす。
こちらを気恥ずかしげに見ながら、周太は笑ってくれた。
「恥ずかしくなるよ?…でも、英二に言われると嬉しい、ありがとう、」
「ほんとのことだよ、周太?…なんだろう、すごく大人びた雰囲気だね、」
食事の箸を動かしながら恋人に笑いかける。
そんな英二に長い睫の瞳がゆっくり瞬いて、首傾げながら訊いてくれた。
「ん、そうかな?…なんか、変?」
「変じゃない、魅力的、ってこと。…やっぱり周太、大人になったから、かな?」
大人になったから。
この言葉が示す夜の記憶に微笑んで、英二は婚約者を見つめた。
見つめた先で長い睫が含羞に伏せられる。
「…恥ずかしい、そんなふうに…でも、そう、…ね?」
ゆっくり上げられる睫から、黒目がちの瞳が恥らいに微笑む。
その様子が艶やかで、心が一瞬で掴まれた。
―君はまた、俺を恋に墜とすんだ?
恋の吐息が心こぼれて、視線が離せない。
この婚約者が魅せる誘惑は、どれも全てが無垢で、無意識のままでいる。
そんな意図のない誘惑は清らかで、そのくせ魅惑が強くて惹きこまれてしまう。
ほらまた、こんなふうに俺を引き摺りまわすんだ?この緊縛が嬉しくて英二は微笑んだ。
「大人になった周太、大好きだよ?…綺麗で、目が離せない、」
想ったままを言葉に変えて、愛する瞳を見つめていく。
見つめられた瞳はまた恥じらう睫に伏せこんで、唇が質問を投げかける。
「ん、とまどう、なんか…ね、なんて、答えたらいいの?」
「俺のことも、好き、って答えてよ?…俺を見てよ、」
口説き文句が、自然と出て来てしまう。
この相手は婚約者、もう互いの親から承諾も実質もらっている。
それなのに自分は尚更に、このひとの気を惹きたくて仕方ない。
「ね、周太?答えてよ、…俺を見て?」
「ん、…」
グラスを見つめていた瞳が上げられる。
長い睫に明りが艶めいて、黒目がちの瞳が困惑と見つめてくれる。
無垢な瞳が見つめて、そして英二にだけ微笑んだ。
「大好き、英二…愛してるよ?」
月明かりと桜みあげる窓辺、また恋に墜ちていく。
このテラスは仏間の続き間で、この恋人の父祖みんなが見つめているだろう。
そんな場所ですら口説きだした婚約者を、いったい皆どう想うのだろう?
自分で困ったものだと思いながらも、大切な恋人との時間が幸せで英二は綺麗に笑った。
「愛してるよ、周太。今夜はずっと、一緒にいよう?…Yesって言って?」
「ん、…はい、」
口説き文句に瞳伏せながらもも、赤い頬で応えてくれる。
なんだか本当に、ダイニングバーで意中の相手を口説き落とす時のよう。
こんな夕食も幸せで、なにより「はい、」の返事が嬉しい。
嬉しい想いと、ときめく想いに英二は恋人との花見を楽しんだ。
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花見の夕食が終わると、ふたりで片づけをした。
こんなふうに、ふたり一緒に台所をするのは夫婦みたいで嬉しいな?
なんだか幸せで微笑んだ英二に、最後の皿をしまい終えて周太が言ってくれた。
「おふろ湧いたから、先に入って?」
「ありがとう、周太。じゃあ、一緒に入ろうな、」
さらり提案して英二は、周太の肩と膝の下に腕を入れて抱き上げた。
不意打ちに抱き上げられて驚きながらも、周太は口を開いた。
「まって、あの、けっこんしてからっていったでしょ?…ね、おろして、」
「ダメだよ、周太?さっき、Yesって言ってくれたんだから、」
笑いながら英二は洗面室の扉を開いた。
そっと周太を浴室の前に降ろすと、後ろ手に扉を閉じてしまう。
そうして通せんぼしながら英二は笑いかけた。
「周太、駅でも言ってくれたよな?一緒にいてね、って。だから今夜は、ずっと周太のこと離さないよ?」
「あの…、一緒にって…おふろもとかそういういみになっちゃうの?」
困ったまま頬染めている顔が、可愛くて困ってしまう。
こんな困った顔で気恥ずかしげにされたら、昼間に宥めていたことが目を覚ますのに?
我ながら少し自分に呆れながらも、英二は正直に恋人へと願いをねだった。
「そういう意味だろ、周太?それとも…俺の勘違い、ってこと?」
すこし哀しげな顔を見せてみる。
そんな自分を見つめてくれる黒目がちな瞳も、哀しそうになっていく。
「勘違いとかじゃなくて…ちょっと違う意味で…ごめんなさい、そんな顔しないで?」
「周太がさせてるんだよ、こんな顔に。俺を傷つけられるの、周太だけなんだから…そっか、周太、違う意味だったんだ?」
ほんとうは違う意味だったくらい充分承知だけれど、知らんふりしたい。
知らんふりで解かっていないフリをして、それで哀しそうにしたら優しい婚約者は言うことをきいてくれる。
そんな計算隠して見つめると、黒目がちの瞳が泣きそうなまま首傾げて、応えてくれた。
「ん、…ちょっと違かったんだけど、でも…英二のいうとおり、だったかも、」
「じゃあ、周太、どういう意味なの?」
哀しい顔のまま拗ねてみせてしまう。
こんな自分を哀しそうに困りながら見つめて、そして周太は優しく笑いかけてくれた。
「ん、…ずっと離れないで一緒に、って」
やっぱり周太は「No」と言えない、優しすぎるから。
そんな純粋な心につけこんで、わざと哀しい顔をしてみせたら思惑通り頷いてくれる。
こんなに純粋で優しい婚約者には、こんな自分でも罪悪感を感じてしまう、そっと心で英二は謝った。
―純粋さにつけこんで、ごめんね。でも赦してよ、幸せにしたいから…
こんな自分は直情的でほしいものは掴んでしまう性質でいる。
手に入れる為なら手段を択ばない、そんな図々しい自分だから口説きも巧くて一夜の相手に不自由しなかった。
そういう相手は誰もが結局は体だけで、心まで欲しい相手じゃないから何も感じなかった。
けれど、この純粋な婚約者には罪悪感を感じてしまう。
ごめん、でもいっぱい幸せにするから赦してね?心で謝りながらも英二は、幸せの言葉をしっかり掴まえた。
「ほんと?周太、ずっと今夜は、俺と離れないで一緒にいたい、って想ってくれる?」
「ん、…一緒に、いて?」
強引でも、Yes、って言ってもらえた。
うれしい気持ちのままに、英二は恋人を抱きよせ微笑んだ。
「ずっと一緒だよ?今夜は、ずっと離さない、」
きれいに笑いかけて、笑顔近づけて唇を重ねる。
ふれるキスから、熱絡ませるキスをして。
あまやかなワインの香に吐息交わして、キスの甘さと瞳を閉じる。
ふれそうな睫の気配に微笑んで、抱きよせて、腰結わえるエプロンの紐を解いていく。
「…あ、」
かすかにずれた唇のはざまから、恋人の吐息がこぼれおちる。
こぼれかけた吐息からめとるように唇重ねて、深いキスのなか小柄な体の服に手をかけた。
(to be continued)
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第43話 花惜act.2―side story「陽はまた昇る」
川崎の市営墓地は、桜の花にくるまれていた。
あわい紅いろ舞いふるなかを3人、ダークカラーの姿で歩いていく。
仕事帰りの周太の母は、薄青のシフォンブラウスをあわせた黒いパンツスーツ姿だった。
やわらかなリボンタイを風に翻しながら、英二が抱えた花束に彼女は微笑んだ。
「とても素敵な花束ね。清楚で落着いていて、あのひとが好きな雰囲気よ、」
「お母さんに、そう言ってもらえると嬉しいです、」
白と緑に深紅をあわせたシックな花束。
この大きな花束に、嬉しそうに周太も笑って母に教えた。
「お母さん、あの花屋さんに作って貰ったんだ…バラの棘も全部取ってくれたの。それでね、この子、ってまた言ってたよ?」
「周が大ファンの花屋さんね。なんてオーダーして、作って貰ったの、」
母に訊かれた周太が、英二を見あげてくれる。
黒目がちの瞳を受けて、英二は答えと微笑んだ。
「50代の男性に、感謝の花束を。とても笑顔が美しい人です。そんなふうに、お願いしてみました、」
快活な黒目がちの瞳が、心から嬉しそうに笑ってくれる。
そして穏やかな声が感謝に微笑んだ。
「ありがとう、英二くん。主人のこと、そう言ってもらうの嬉しいわ、」
ブルーのシフォンが花の風に揺れる。
やわらかな髪を手に抑えながら、少女のままの笑顔が華やいだ。
「私にとって、あのひとはね?亡くなっても終わらない恋人なの。だから、そんなふうに花束をオーダーして貰うの、嬉しいな、」
終わらない恋人
永遠の恋をしている、そう言う意味。
そんな言葉は桜に抱かれた恋人同士には、とても似合うかもしれない。
いま胸元に下げた合鍵の持主を想いながら、英二は綺麗に笑った。
「そう言ってもらえて、俺も嬉しいです、」
そんな会話を交わしながら、家の墓所に着いた。
咲き誇る桜の天蓋のもと、おだやかな陽をあびて墓碑は迎えてくれる。
花束を傍らに置くと、墓碑に頭を下げて英二は墓石を磨きはじめた。
周太の母が用意してくれたサラシで磨き上げていく、その間に彼女は息子と草取りを始めた。
「お彼岸に来たばかりだから、あまり生えていないわね、」
「ん、そうだね…あ、お母さん、今年もここに、すみれが咲いてくれたよ、」
「ほんとね?お父さんが好きな花だから、喜んでるね?」
母子で笑いあいながら、楽しそうに手を動かしている。
ずっと13年間をこうして、ふたりきりで墓を守ってきたのだろう。
ふたりきり生きてきた。この事実に見つめる想いが、切ない。
―その13年間も、一緒に過ごしたかった…守りたかった、
こんなふうに「守りたい」と想うなんて、一年前の自分には想像つかない。
けれど今はもう、こんなにも痛切な想いと願いを抱いている。
こんな今が不思議で、心から幸せだと微笑が起きあがってしまう。
―これからは、ずっと守らせて欲しい、一緒に過ごさせて欲しい
この美しい母子が許してくれる限り、共に寄添って生きていけたら良い。
こうして墓を磨いて守って、自分がこの家を守り、繋いでいく努力をさせてほしい。
そんな想い見つめながら、最後の一拭きを英二は終えた。
「きれいになったね?英二、ありがとう、」
愛しい声が、嬉しそうに微笑んだ。
嬉しい声にふり向くと、その隣から敬愛するひとも笑ってくれた。
「ほんとね、いつも丁寧にしてくれて。英二くんだと高い所も楽に手が届くね、ありがとう、」
母子が一緒になって褒めてくれる。
嬉しい気持ちと質問を思いながら、英二はふたりに笑いかけた。
「喜んでもらえるなら、うれしいです。ね、お母さん?皆さん、お名前は一文字なんですね、」
墓碑銘に記された俗名を示しながら、英二は尋ねた。
彼女も碑銘を見ながら、気さくに笑って教えてくれた。
「代々ね、一文字らしいの。だからね?ほんとうは周も、最初は一文字で『あまね』だったのよ、」
「え、そうなの?」
きれいな黒目がちの瞳が大きくなっている。
周太自身も初耳だったらしい、けれど英二にとって予想していた事だった。
「そうなのよ、周。話したこと、無かった?」
「ん、初めて聞いたよ?…あまね、だったの、俺の名前、」
たぶん日記帳の1988年11月3日には、このことも書いてあるだろうな。
そっと心で確信しながら英二は彼女に質問をした。
「なぜ、『しゅうた』にしたんですか?」
「出生届を出す直前になって、あのひとが『太』を付けたい、って言いだしたのよ、」
笑って彼女は答えてくれる。
そして彼女は「太」にこめた意味を教えてくれた。
「心の器が大きい人になるように。そんな意味を籠めてね、あのひとは『太』を付けてくれたの、」
“ひろく普くを歩む佳き人生を祈って”
“佳き馨のように周くを歓ばせる人生を祈って”
隠されていたアルバムの詞書に記された、周太の祖父と父の命名由来。
晉の命名と馨の命名に「あまね」という意味は共通して使われ、馨には「周」の文字で記されていた。
この命名由来から周太の名前は付けられたのだろう。
―「太」は、50年の連鎖を超えていくように、そんな祈りかもしれない
祖父も父も超え心大きいひとになるように、負の連鎖をも超える強い人になるように。
きっとこの祈りが込められている、そんな想いに目の奥が熱くなる。
けれど熱を想いごと肚に飲みこんで、英二は綺麗に笑った。
「『周太』って、いい名前ですよね。でも、『あまね』も可愛くて良かったな、って思います」
「でしょう?私もね、『あまね』って可愛いなって思ったの。でも『しゅう』も呼びやすいし、ね、」
息子の名前を話してくれる彼女は、楽しげで幸せそうでいる。
きっと、息子が生まれた時や名づけの時の幸福な記憶が、彼女の心を充たしているだろう。
―この笑顔も守っていきたい。ふたりとも、守りたい、
心ふれる願いに英二は、花ふる墓碑へと祈りを運んだ。
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川崎の家に着いたのは16時だった。
ブラックスーツから着替えて階下に降りると、リビングで周太が母に拗ねている。
どうしたのかなと見ると、泣きそうな顔で周太が訴えてきた。
「英二?お母さん、夜から温泉に出かけるって言うんだよ?ね、止めて?」
今日は周太の父の命日だから、家で過ごすだろうと英二も思っていた。
すこし驚きながら彼女を見ると、快活な黒目がちの瞳が微笑んだ。
「ワガママ言って、ごめんね?英二くん、」
「いえ、わがまま言って頂くのは、嬉しいんですけど、」
どういうことなんだろう?
そう見つめた先で、彼女は口を開いてくれた。
「おととしが13回忌だったの、そして今年は14年目だわ。それでも私は、あのひとに恋しているの。
だからこそ、今日に拘ることは止めたいの。あの人が亡くなった夜だからこそ私、この家から離れてみようと想うの。だめかな?」
終わらない恋人。
その想いは幸せで、けれど寂しくて、きっと全てに面影を追っている。
そんな恋人が消えた「今夜」を、恋人との記憶が多すぎる場所から離れてみたい。
この意志にこもる悲哀と愛惜と、それでも前に踏み出そうとする勇気を、誰が責められるだろう、止められるだろう?
―…行こうよ、雅樹さん…槍の穂先を、俺と超えてね、俺と一緒に
約束ごと消えた…だから今日、うれしかったんだ、約束まもってくれた、うれしかった
ふれられないのは寂しいよ…抱きしめてほしい、昔みたいに笑ってほしい…一緒に山に生きたかった…救けたかったのに
遺された者の尽きない想いを、国村の慟哭に教えらえた。
最愛の存在に先立たれた想いを、北鎌尾根で、槍ヶ岳で穂高で見つめ向き合ってきた。
だからこそ自分には、今日、踏み出そうとする彼女の勇気が解かる。
彼女への敬愛のままに、英二は口を開いた。
「いいえ、だめじゃありません、」
答えて、英二は微笑んだ。
そんな英二に隣から、縋るよう驚いたよう純粋な視線が向けられる。
どうか俺を信じていてね?そう隣の視線に笑いかけてから、英二は彼女へと答えた。
「俺が、この家にいます。だから、お母さんは離れてみてください。心配は要りません、」
「よかった、」
やっぱり、あなたは同士ね?
そんな言葉を隠しながら、快活な黒目がちの瞳が笑ってくれる。
どうか彼女が新しく踏み出せますように、そんな想いで笑い返しながら、英二はお願いをした。
「でも、お母さん?桜餅とココアは、桜を見ながら召し上がっていってくださいね?これは約束ですから、」
「はい、見て、食べていきます。今からココア、作るわね?」
楽しげに彼女も答えてくれる。
けれど、隣で自分と母を見つめる視線は、寂しい。
この寂しい気持ちも解かるな?英二は隣の視線をふり向いて、きれいに笑いかけた。
「周太?甘い冷たい吸い物、作るんだよな?それも一緒に、3人で食べよう。蓬を摘んでくればいい?」
純粋な黒目がちの瞳が真直ぐ見あげてくれる。
どうか笑ってほしいな?そう見つめた先で、やっと愛しい瞳が笑ってくれた。
「ん、皆で、食べようね?…英二、一緒に蓬、摘んでくれる?お母さんも、」
「ええ、周。もちろん、一緒に摘むわ、」
おだやかに笑いかけた母の笑顔に、周太は微笑んだ。
そして少し恥ずかしげに、けれど笑って周太は母に言った。
「お母さん、今夜はね、楽しんできてね?…明日は、帰ってきてね、」
なんとか折り合いを付けられたらしいな?
そう見ている先で、周太の母は嬉しそうに息子に笑いかけた。
「はい、もちろん帰ってくるわ、お客さんがあるし、」
「約束だよ?…白ワイン、買っておいてあげるから、帰ってきてね、」
「ありがとう、周。お母さん、明日の夜は、浅蜊のワイン蒸とか食べたいな?」
楽しそうに母子は話し始めた。
これなら周太も大丈夫だろうな?微笑んで英二は籠を取りに水屋に向かった。
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夕映えの始まりかけた仏間で3人一緒に、薄緑の白玉うかべた冷たい澄し汁を囲んだ。
テラスの洋窓ふる桜を眺めながらココアと桜餅も楽しんで、黄昏が終わる前に周太の母を駅まで見送った。
改札口を通り愉しげに階段を降りていく背中が見えなくなると、そっと周太から掌を繋いだ。
「ね、英二…一緒にいてね?」
黒目がちの瞳が、見つめてくれる。
いま大好きな母親が「今夜」から旅立っていく、それが良いことだと解っていても、寂しい。
この寂しさを共に過ごしてと求めてくれる、この瞳の願いは全て叶えたい。
なにより、この願いは自分の祈りでもある、微笑んで英二は頷いた。
「うん、ずっと一緒にいるよ?ね、周太、」
きれいに笑いかけて、長い腕伸ばして英二は恋人を抱きしめた。
「えいじ?だめ、こんなとこではずかしいよ、はなして、」
抱きしめた小柄な体から抗議の声が上がる。
けれど、背中に回してくれる掌は、ぎゅっとジャケットを掴んだ。
独りにしないで、離さないでほしい、傍にいてほしい。
ほんとうは抱きしめてほしい、そう掌が伝えてくれる想いに英二は笑いかけた。
「今は良いんだ、抱きしめても。ね、周太?だから、笑ってよ、」
「ん、…ありがとう、でも、…ちょっとはずかしいやっぱり、」
言いながら見上げて、赤い頬で笑ってくれる。
この笑顔がうれしい、今夜はたくさん笑わせてあげたいな?
抱きしめたまま素早くキスをして、そっと離れると英二は微笑んだ。
「周太、家に帰ろう?買物して行くんだよな?」
家に帰ろう。
いい言葉だなと、素直に想えてしまう。
こんなふうには周太に逢うまでは想ったことが無かった。
「ん、買物して、帰ろうね?…ね、今夜、なにが食べたい?」
嬉しそうに頷いて訊いてくれる。
なにが食べたいなんて本当のことを言ったら、きっと真赤になって大変だろうな?
そんなことを考えながら、英二は夕食に関しての答えを述べた。
「甘いワイン、今夜も飲もうか?それに合うもので、俺も一緒につくれるもの、って出来るかな?」
「出来るよ、…ね、ワインで夜桜見るの?」
「そうだよ、もう桜餅とココアは食べちゃったし、花見酒って言うだろ?」
ふたり今夜の予定を話しながら、家の方に歩いていく。
こういう何気ない時間こそ幸せで温かい、この今の瞬間こそが愛しい。
この愛しい温もりくれる恋人に微笑んで、英二はスーパーマーケットの入口を潜った。
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今夜はテラスに夕食の席を設えた。
南面の洋窓いっぱいに、染井吉野が万朶と華やいでいる。
桜の梢に垣間見る月へと、嬉しそうに周太は微笑んだ。
「月の明りが、きれいに桜を見せてくれるね?…きれい、」
フロアーライトの落とした灯だけのテラスは、ダイニングバーのような雰囲気になる。
こういう大人びた雰囲気の店では、ふたり一緒に食事したことが未だ無い。
あのタイプの店なら個室も多いから周太も寛げるだろう、こんど連れて行ってあげようかな?
そんなこと考えながら見つめる恋人は、おだやかな光と月明かりのなか雰囲気がいつもと違っている。
―美人、って感じだな、周太…
可愛らしい感じの風貌が、陰翳とワインの酔いに大人びている。
静養で帰っていた時も、ここでワインを一緒に楽しんだ。あの時よりずっと大人びたように想う。
もしかしたら今夕、母を送りだしたことで周太は少しまた、大人になったのかもしれない。
「周太、今夜は、すごく美人だね?」
素直な想いを率直に言って、英二は微笑んだ。
笑いかけ見つめた向こう側、首筋から頬まで桜いろに紅潮が昇りだす。
こちらを気恥ずかしげに見ながら、周太は笑ってくれた。
「恥ずかしくなるよ?…でも、英二に言われると嬉しい、ありがとう、」
「ほんとのことだよ、周太?…なんだろう、すごく大人びた雰囲気だね、」
食事の箸を動かしながら恋人に笑いかける。
そんな英二に長い睫の瞳がゆっくり瞬いて、首傾げながら訊いてくれた。
「ん、そうかな?…なんか、変?」
「変じゃない、魅力的、ってこと。…やっぱり周太、大人になったから、かな?」
大人になったから。
この言葉が示す夜の記憶に微笑んで、英二は婚約者を見つめた。
見つめた先で長い睫が含羞に伏せられる。
「…恥ずかしい、そんなふうに…でも、そう、…ね?」
ゆっくり上げられる睫から、黒目がちの瞳が恥らいに微笑む。
その様子が艶やかで、心が一瞬で掴まれた。
―君はまた、俺を恋に墜とすんだ?
恋の吐息が心こぼれて、視線が離せない。
この婚約者が魅せる誘惑は、どれも全てが無垢で、無意識のままでいる。
そんな意図のない誘惑は清らかで、そのくせ魅惑が強くて惹きこまれてしまう。
ほらまた、こんなふうに俺を引き摺りまわすんだ?この緊縛が嬉しくて英二は微笑んだ。
「大人になった周太、大好きだよ?…綺麗で、目が離せない、」
想ったままを言葉に変えて、愛する瞳を見つめていく。
見つめられた瞳はまた恥じらう睫に伏せこんで、唇が質問を投げかける。
「ん、とまどう、なんか…ね、なんて、答えたらいいの?」
「俺のことも、好き、って答えてよ?…俺を見てよ、」
口説き文句が、自然と出て来てしまう。
この相手は婚約者、もう互いの親から承諾も実質もらっている。
それなのに自分は尚更に、このひとの気を惹きたくて仕方ない。
「ね、周太?答えてよ、…俺を見て?」
「ん、…」
グラスを見つめていた瞳が上げられる。
長い睫に明りが艶めいて、黒目がちの瞳が困惑と見つめてくれる。
無垢な瞳が見つめて、そして英二にだけ微笑んだ。
「大好き、英二…愛してるよ?」
月明かりと桜みあげる窓辺、また恋に墜ちていく。
このテラスは仏間の続き間で、この恋人の父祖みんなが見つめているだろう。
そんな場所ですら口説きだした婚約者を、いったい皆どう想うのだろう?
自分で困ったものだと思いながらも、大切な恋人との時間が幸せで英二は綺麗に笑った。
「愛してるよ、周太。今夜はずっと、一緒にいよう?…Yesって言って?」
「ん、…はい、」
口説き文句に瞳伏せながらもも、赤い頬で応えてくれる。
なんだか本当に、ダイニングバーで意中の相手を口説き落とす時のよう。
こんな夕食も幸せで、なにより「はい、」の返事が嬉しい。
嬉しい想いと、ときめく想いに英二は恋人との花見を楽しんだ。
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花見の夕食が終わると、ふたりで片づけをした。
こんなふうに、ふたり一緒に台所をするのは夫婦みたいで嬉しいな?
なんだか幸せで微笑んだ英二に、最後の皿をしまい終えて周太が言ってくれた。
「おふろ湧いたから、先に入って?」
「ありがとう、周太。じゃあ、一緒に入ろうな、」
さらり提案して英二は、周太の肩と膝の下に腕を入れて抱き上げた。
不意打ちに抱き上げられて驚きながらも、周太は口を開いた。
「まって、あの、けっこんしてからっていったでしょ?…ね、おろして、」
「ダメだよ、周太?さっき、Yesって言ってくれたんだから、」
笑いながら英二は洗面室の扉を開いた。
そっと周太を浴室の前に降ろすと、後ろ手に扉を閉じてしまう。
そうして通せんぼしながら英二は笑いかけた。
「周太、駅でも言ってくれたよな?一緒にいてね、って。だから今夜は、ずっと周太のこと離さないよ?」
「あの…、一緒にって…おふろもとかそういういみになっちゃうの?」
困ったまま頬染めている顔が、可愛くて困ってしまう。
こんな困った顔で気恥ずかしげにされたら、昼間に宥めていたことが目を覚ますのに?
我ながら少し自分に呆れながらも、英二は正直に恋人へと願いをねだった。
「そういう意味だろ、周太?それとも…俺の勘違い、ってこと?」
すこし哀しげな顔を見せてみる。
そんな自分を見つめてくれる黒目がちな瞳も、哀しそうになっていく。
「勘違いとかじゃなくて…ちょっと違う意味で…ごめんなさい、そんな顔しないで?」
「周太がさせてるんだよ、こんな顔に。俺を傷つけられるの、周太だけなんだから…そっか、周太、違う意味だったんだ?」
ほんとうは違う意味だったくらい充分承知だけれど、知らんふりしたい。
知らんふりで解かっていないフリをして、それで哀しそうにしたら優しい婚約者は言うことをきいてくれる。
そんな計算隠して見つめると、黒目がちの瞳が泣きそうなまま首傾げて、応えてくれた。
「ん、…ちょっと違かったんだけど、でも…英二のいうとおり、だったかも、」
「じゃあ、周太、どういう意味なの?」
哀しい顔のまま拗ねてみせてしまう。
こんな自分を哀しそうに困りながら見つめて、そして周太は優しく笑いかけてくれた。
「ん、…ずっと離れないで一緒に、って」
やっぱり周太は「No」と言えない、優しすぎるから。
そんな純粋な心につけこんで、わざと哀しい顔をしてみせたら思惑通り頷いてくれる。
こんなに純粋で優しい婚約者には、こんな自分でも罪悪感を感じてしまう、そっと心で英二は謝った。
―純粋さにつけこんで、ごめんね。でも赦してよ、幸せにしたいから…
こんな自分は直情的でほしいものは掴んでしまう性質でいる。
手に入れる為なら手段を択ばない、そんな図々しい自分だから口説きも巧くて一夜の相手に不自由しなかった。
そういう相手は誰もが結局は体だけで、心まで欲しい相手じゃないから何も感じなかった。
けれど、この純粋な婚約者には罪悪感を感じてしまう。
ごめん、でもいっぱい幸せにするから赦してね?心で謝りながらも英二は、幸せの言葉をしっかり掴まえた。
「ほんと?周太、ずっと今夜は、俺と離れないで一緒にいたい、って想ってくれる?」
「ん、…一緒に、いて?」
強引でも、Yes、って言ってもらえた。
うれしい気持ちのままに、英二は恋人を抱きよせ微笑んだ。
「ずっと一緒だよ?今夜は、ずっと離さない、」
きれいに笑いかけて、笑顔近づけて唇を重ねる。
ふれるキスから、熱絡ませるキスをして。
あまやかなワインの香に吐息交わして、キスの甘さと瞳を閉じる。
ふれそうな睫の気配に微笑んで、抱きよせて、腰結わえるエプロンの紐を解いていく。
「…あ、」
かすかにずれた唇のはざまから、恋人の吐息がこぼれおちる。
こぼれかけた吐息からめとるように唇重ねて、深いキスのなか小柄な体の服に手をかけた。
(to be continued)
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