萬文習作帖

山の青年医師の物語+警視庁山岳救助隊員ミステリー(陽はまた昇る宮田と湯原その後)ほか小説×写真×文学閑話

第69話 煙幕act.1―another,side story「陽はまた昇る」

2013-09-23 13:43:52 | 陽はまた昇るanother,side story
And often is his gold complexion dimm'd



第69話 煙幕act.1―another,side story「陽はまた昇る」

灯りを消して?そう告げたのは今、自分の姿を見られたくなかったから。

あなたに今は自分を見てもらえる自信なんて無い。
あの夜に初めて抱かれて晒した肌、貌、そして心は今もう変わってしまった。
そう解っているから最後なら今、あの幸せだった夜たちのまま自分を憶えていてほしい。
そんな願いは今あの扉を潜ってしまう瞬間にも傷むまま優しくて、マスクの影で周太は微笑んだ。

―さよなら英二、この扉から帰ってこられないかもしれないから…ね?

人は居る、けれど粛清の静寂に人々はただ歩いてゆく。
機動隊員と同じ装備、けれどマスクした顔は誰なのか互いに解らない。
こんな姿は銃器レンジャーの時と変わらないだろう、それでも緊迫感が違い過ぎる。
そんな今に想ってしまう、父が亡くなった春から自分はどれだけ遠い場所に来てしまったのだろう?

―同じ術科センターなのに違うところみたい、こんなのは…お父さんもそうだったの?

この廊下は卒業配置された昨秋から幾度も歩き、毎日のよう射撃練習に励んだ。
一般採用枠から特練になど卒配すぐは選ばれない、そんな慣例と異なる選抜を自分は課された。
そして大会を2つとも優勝して今、こうして銃火の毎日へ歩みよるまま記憶ごと、あの扉が開かれる。

小さな金属音が立つ、ほら担当官が開錠した。

そのまま目線だけの指示に沈黙の列は扉を入ってゆく。
同じよう従って歩いてゆく視界、ふっと小さな痕が視線を惹きこんだ。

―あの痕は光一の、

心ひとり息を呑む、その真中で一発の弾丸は扉の把手ちかく煌めいている。



電動音、水音、それから自分の吐息ひとつ聞いてベッドに倒れこむ。

「…つかれた、ね…」

そっと呟いた部屋、誰も返事などしてくれない。
ただ洗濯機が回る音だけが響いて隣室の物音ひとつ聞えない、そんな静寂は孤独に変る。
誰も待っていないワンルーム、そして誰も待てない空間は自分以外の気配は欠片も無くて、独り周太は微笑んだ。

―本当に誰もいないって初めてなんだ、ね…良かったのかな、

警察学校、新宿署、第七機動隊、どこも付属寮は食堂や浴室たち共同スペースで繋がっていた。
けれどワンルームタイプになるこの寮は完全独立型でマンション内の付き合いも何も無い。
むしろ隔絶されたプライベートに隠される、この秘匿と孤独に溜息こぼれた。

「…あいたいな、」

会いたい、逢いたい、大切なひと誰か今この傍にいてほしい。

こんなふう人恋しくなる本音は今日、入隊テストに削られた心が泣きたい。
まだ初日、たった8時間のテスト、それでも集中力から心身まで全て疲れ切っている。
ただ疲労感が瞳を瞑らせてしまう、動けないまま横たわる頬へ洗い髪から雫ゆるやか伝いだす。
そっと伝い落ちる水は唇ふれてベッドカバーに融けてゆく、その軌跡に温かい雫が追いかけ落ちた。

「怖い、よね、」

零れたのは本音、けれど誰も聴いてなどくれない涙また一つ墜ちる。
今日初日、入隊テストに課された狙撃実技は受験者自身も標的だった。

―銃口を向けられるって怖い、ね、

硝煙の蒼い翳、標的の出現、狙撃、そして自分も狙撃されて躱す。
こうした課題はあると予想はしていた、けれど初日から課されるとは思わなかった。
今までも銃器対策レンジャーで狙撃訓練は行っている、けれど「狙撃される」ことは全く違う。
こんなふうに警視庁特殊急襲部隊、SAT入隊テストでは恐怖すらも試験課題なのかもしれない。

―毎年こんなふうに試験してるのかな、明日も、その先も、

今日の現実に吐息こぼした胸が、ふっと迫り上げだす。
その感覚に周太は腕だけ延ばしてベッドサイドの床、近くに置いた鞄を開いた。
薬袋から取出してテルモスの水で飲下す、そんな仕草も慣れてしまった想いごと胸を押えた。

「起きないで、お願い…、」

両掌でシャツごと抑えこんだ胸に願い、寝転んだまま呼吸を整える。
いま自分の気管支はどんな状態か解らない、けれど喘息発作は未だ発現していない。
それでも今日のテスト内容は負担になっているだろう、そんな不安ごと周太は微笑んだ。

―だけど生きられた、今日は、

今日を生きられた、そう感謝する想いが昨日より深い。
今日を立った場所はまだ初端でも死線だった、そんな現実に未知も父の想いも気づける。
こんなテストが訓練という名に変わり日常になるだろう、それは今居る空間に解っている。

きっと自分はテスト結果に関係なく入隊するだろう。
だからテストを始める初日から直ぐ入寮して、このまま第七機動隊には戻れない。
もしテスト結果次第で入隊合否を決めるのならば、こんなふうに転居まで先に命令されないだろう。

そう解っているからこそ今日も必死でテストに集中した、どうせ結果が同じなら自分から受けて立ちたい。

―ね、お父さん?こういうのも、お父さんも同じ気持ちだった?

心そっと微笑んで29年前に遡る。
いま自分がいる場所は父にも現実だったなら同じ想いかもしれない。
そう想えるままワンルームの孤独は和らいで、ひとり静謐は安らぎに変わってゆく。

「お揃いだね、お父さん…もう独りじゃないよ?」

静かな部屋に微笑んで、廊下の向こうで洗濯機の音が変る。
もう乾燥モードに切り替わったのだろう、そんな機械音に家との違いは大きい。

―家ならベランダや庭に干して、お日様の匂いが気持ちいいよね、

ひとりベッドに臥した部屋、懐かしい庭と家に心が帰ってゆく。

あの門を開いて木が軋む、陽の照る飛石を踏んでゆく芝生へ木洩陽きらめかす。
今なら白百合、紅や黄色の鶏頭、秋桜、それから早い竜胆が紫紺に咲いたかもしれない。
初秋に咲く花々へ洗濯物ひるがえる風、その狭間には古い東屋が佇んで山茶花のもとベンチがある。

―あのベンチで本を読みたいな、お父さんが好きな、

あのベンチは父が造ってくれた居場所、そこで父は木洩陽に微笑んで本を読んでくれた。
父が亡くなっても本を読むのが好きな場所は母も好きで、そして、大切な笑顔も座ってくれる。

『周太、』

ほら、記憶からベンチで綺麗な低い声が呼んでくれる。
こんなふう想いだすことは幸せで、けれど今はもう逢えない現実が傷む。
今は逢えない、そんな今が続く時間の涯すら解からなくて、だから想い出すしか幸せが解らない。

―逢いたい、英二、

心が名前を呼んで泣きたくなる、けれど瞑った瞳から涙は零れない。
こんなふう自分が想うだろうと幾度も考えて、幾度も哀しくなる練習をしてきた。
だから今はもう泣かないでいられる、そして決めた覚悟のまま周太は手を伸ばして鞄から取出した。

『あいつからの頼まれモンだよ、』

そう笑って光一がくれた小さなオーディオ、そのイヤホン着けてスイッチを押す。
微かな機械音、それから旋律やわらかに流れはじめて優しいアルトヴォイスが歌いだした。

I'll be your dream I'll be your wish I'll be your fantasy 
I'll be your hope I'll be your love Be everything that you need. 
I'll love you more with every breath Truly, madly, deeply, do
I will be strong I will be faithful ‘cause I am counting on
A new beginning A reason for living A deeper meaning
I want to stand with you on a mountain…I want to lay like this forever…

Then make you want to cry The tears of joy for all the pleasure in the certainty
That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers
In lonely hours The tears devour you
I want to stand with you on a mountain…

やわらかな声と言葉は、懐かしい時間と想いを呼んでくれる。
ただ記憶だけ、それでも疲れ切った心に音楽は響いて紡ぐ記憶が温かい。

 That we're surrounded by the comfort and protection of The highest powers
 In lonely hours The tears devour you
 僕らは孤独を壊されて護りに抱えこまれてる 最上の力によって
 孤独な時にある時も 涙が君を呑みこむ時も

そんなふう謳ってくれる詞は綺麗な低い声を想い出す。
あの大好きな声、あの笑顔が贈ってくれた約束は独りの今すら温める。

『俺と一緒に幸せになろう?俺の幸せは、周太の隣でしか見つからないから、』

ほら、また記憶の声が幸せに笑ってくれる。
こんなふう想い出せるだけで嬉しい、この約束は現実にあったと微笑める。
たとえ今はもう約束は消えてしまったのだとしても、約束を贈られた時間の存在が温かい。

―俺にも約束をくれた人が居たんだ、その時ほんとうに心から想って願ってくれて…それだけで嬉しい、

周太、約束だよ?
俺は何があっても君から離れない、ずっと、永遠にだ、

あの約束は自分にとって永遠の幸福の時、それが叶わなくても変らない。
約束を贈られた七月の海は今も黄昏ふる光のまま、ずっと自分のなかで輝き続ける。
この歌を贈ってくれた去年の秋も、錦秋の雲取山も落葉松も、あのブナの大樹も色褪せない。

―大好き、こんな所に来ても好き、こんな時まで最初に想い出すのは唯ひとり、

本音こぼれる心のまま瞳を閉じて、ただ歌と旋律に呼吸する。
本当は唯ひとり声を聴きたい、声だけでも現実に聴いて繋がりたい、けれど出来ない。
きっと今ここで声だけでも聴いてしまったら崩れてしまう、そんな想い微笑んだ枕元で携帯電話が鳴った。

「…ん、」

着信音だけで誰か解かる、だから安心して周太は手を伸ばした。
瞳を披いて通話を繋げる、そして電話の向こうに微笑んだ。

「こんばんわ美代さん、演習林からだね?」
「うん、秩父演習林からよ?こんばんわ、湯原くん、」

いつもどおり優しい声は普段より弾んで、楽しそうに呼んでくれる。
きっと今、同じ時間に友達の居場所は幸せが笑っている、それが嬉しくて周太は微笑んだ。

「楽しそうだね、今日はどんなことやったの?」
「道の整備がメインよ、夏草が茂っちゃったトコとかあるでしょう?おかげで蚊に食われちゃった、」

可笑しそうに笑ってくれるトーンは明るく温かい。
この空気ふれるだけで楽しくて周太は笑いかけた。

「美代さんと賢弥、どっちの方がたくさん刺されたの?」
「あ、どっちかな?あとで見せっこしてみるね、青木先生は殆ど刺されなかったそうだけど、」

他愛ない会話に美代も応えて笑ってくれる。
いま大学の世界で森に居る大切な人、その笑顔が嬉しい向こう可愛い声は教えてくれた。

「イヌブナが素敵なの、きっと秋は綺麗よ?それでね、11月に自由見学日があるのだけど一緒にどう?」

友達が今居る世界を自分も見に行けるかもしれない?
そう告げられた言葉に嬉しいまま素直に笑いかけた。

「ん、行きたいな、シフトが大丈夫ならだけど、」
「11月最初の金曜と土曜なの、その日は講義も休みだけど湯原くん、仏文の都合とかある?あ、横から手塚くんが絶対に行こって言ってる、」

弾んだ声のまま笑って心配そうに訊いてくれる。
出来るなら一緒に行きたいから頷いて?そう伝えてくれるトーンが嬉しい。

―俺にも、一緒に行こうって言ってくれる友達が居てくれるね…美代さんも、賢弥も、

いま独りの部屋、唯ひとりの俤ばかり追いかけていた。
けれど今こうして笑顔をくれる友達は温かい、その感謝に今も約束したい。
本当は明日すら解からない現実にもう立っている、それでも未来を信じて周太は笑った。

「ん、その土曜日なら大丈夫かもしれない、またシフト決ったら言うね?」







(to be continued)

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