よっちゃん農場のドタバタ日記

「よっちゃん農場」の日常。
 ~いち農家から小さなブランド作りの奮闘記~~

くるみちゃん避難。/ 時代の変化。

2015年12月02日 | Weblog


快晴!

刈って畑に積んでおいた無農薬大豆・くるみ豆。



何者かの襲撃跡が目立つ。

風通しのよい下屋を片付けたので、最後の仕上げ乾燥の為に移動。



ここならば番犬チョビが目をギラギラ光らせているので被害の心配もない。



あと一週間くらいしたら脱穀予定。もう少しだ。





先日直売所の当番の時間。

出荷者の一人でオラがこっちに戻ってから何かとお世話になってる小泉麹やさんの主人がやって来た時の話。

還暦前後の小泉さん。自分が家業を継いでから今までの時間の変化の話になった。

学校を卒業して麹や継いだ当時、商売のほぼ9割が農家へ味噌を煮るために出向いていたという。

味噌を売る のではなくって 味噌を煮る 事が商売で、

んでも農家では「麹」までは作らなかったから麹だけは売っていた。屋号が「味噌や」ではなく「麹や」なのはこれに由来。

おらもうっすら記憶にあるけれど、当時は耕うん機に荷台が付いたやつに鍋釜などの道具を積んで「麹やさんが来ていた」時代。

んな時代でもあったので麹や一本ではまだまだ食べれる時代ではなく、小泉さんの先々代の創業者から「麹や」という看板の他に、

なんと「ラーメン屋さん」を副業でやってたと聞いてびっくり。

ニコニコしながら「もし今でもやってれば、いろは(岩出山の有名ラーメン屋さん)よりも古い店だったんだど!」と。

学生の時は「麹や」ではなく「ラーメン屋」を継ぐもんなんだろうと張り切ってたという(笑)。



そこから時が流れて専業味噌屋として、農家から豆を預かって「仕込む」ようになり、

次には味噌そのものを原料調達から袋に入った味噌として個口販売するように時代は変わってきた。

オラがこっちに戻って経験したように、小泉さんも色んな市やイベントに出かけてお客さんと直接会話しながら

岩出山を代表する麹やさんの看板を守って今に至る。

だから安泰なのか、といえば、

今ではそれでも昔ながらの味噌を使う人が少なくなり、味噌が売れなくなり容器を工夫したり、

「「味噌汁」としてお湯を注いですぐ食べれます、的な要素まで考えていかないとならない時代だ、、、大変だぁ~」

と笑ってました。

ホンの4~50年なのか、4~50年も、なのかそこまで生活が変わったんですね~と、しみじみしつつもいい話を聞きました。



炭焼きやってた当時、教わったじ師匠のじいちゃんは

「世の中なぁ~・・・おららの経験がらすっとず~~~っと変わり続けるんでなくて、だいたい50年サイクルで戻ってくるんだぞ~」

という言葉。聞いて以来事あるごとに思い出す貴重な言葉だ。


そんな時代のうねりの中で自分は何が出来るのか、やるのか、やりたいのか、、、。

やっぱり原点、毎日見るこの風景の価値を軸に生きたい。遺したい。




GAIA清水さんから紹興酒を頂いた。

夏に呑んだ時「えー!紹興酒!」と思ったが呑んだらうまくて呑み過ぎた。

近場で探しても料理用しかなくって呑まなくなってたが、久々にロック。

べらぼーにうまい!一日の疲れが取れる。


明日から山へ入る!