ぴかの独り言 GooBLOG vol.1

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リンガフランカ

2010-11-17 19:28:00 | ノンジャンル
こんばんは。

今日は定休日。

昨夜寝床で、「これから忙しくなるから、今のうちに明日はあの人に会いに行こう。そして、あれもこれもしたい。」と策をめぐらしながら就寝。

で・・・今朝起きてみれば、あいにくの曇り空。

伊勢地方は、下手をすると雨の予想・・・(県下は曇り予想でしたが、西から東へと向かう天気の動きを考えたのでありますね)

相棒の亀太郎とでないと、遠出をする気がまったくありませんでしたので、思いを残しつつ遠出は断念。

そして、一週間分のためたお仕事を片っ端からやっつけた本日でした。

それながらにがむばりましたよ。

あたしは、エライッ!

自分しかほめてくれる人はいないので、あたしはいつも自分で自分をほめてあげます。

それは、実は、とても意味のあることだと思ふ。

・・・

ちょうど今さっき、テレビのニュースを見ていたら、小学生いじめで自殺をしたらしい。

何度かこういう話を聞きますね。

何より大切な「私」を、「私」が滅するというのが、なんともやり切れんです。

幼い心には、たぶんその対処の仕方がわからないのでありましょう。

それにつけて、いろいろと思うですよ・・・

そして、要因としてあれこれあるのでしょうが、死んだその子に罪はない。

あるとすれば、そこにいたる環境だったのではないかなぁ・・・

いじめそのものを直接的な因とすれば、その因もまた、何かの因の果ての果として現れたものですよ。

いじめた人がなぜ彼女をいじめるにいたったのか?

そして、そのいじめを死ぬほどの苦とするにいたったその幼子の心もまた、そこにいたる果として育ってしまったのだね。

あぁ・・・やり切れん!


そんな中、ダライラマさんは、こんなことを言っておられます。

「たとえば東京には、何百万人もの人たちが住んでいて、時にはニュースで見るような殺人事件も起きているかもしれませんが、それは何百万人もの子供たちや病人、老人たちが、人間の愛と慈悲によって、行き届いたケアを受けていることに比べると、その数は微々たるものにすぎません。
つまり、愛と慈悲の心の方が、人間社会の中において、ずっと優勢を保っているのです。」


反省はするものとして、この言葉に救われるあたしでありました。

そして、そうであると言い切れる世の中を創造し続けなければならぬあたしたちであると思いました。

・・・

あらら・・・

前置きが長くなりました。

え~~~リンガフランカです。

リンガフランカの意味は、各自調べてね。

でね、先ほど、ガンガンとお仕事をやっつけた後、ジイチャンとバアチャンのところへ行きまして、置いてあった毎日新聞を見たのだよ。

(じいちゃんは、中日新聞は偏向があるといって毎日新聞読者です。そしてあたしは、新聞をとっておりません。あふれる情報についていけないPですの)

そこのヘッドラインに、今年の学生さんが就職できないということが書いてありました。

そう言えば、ツイッター上で、HがわさんやMさんが、バブルのころ会社が学生に寿司を出したとか、ビールをおごったとか書いてありました。

まさに、隔世の感であります。(その光景は、異常だと思われますが・・・)

それほどのことはないにせよ、これからという人たちが働けず食っていけないというのは、それはとても心配です。(特に親として)

でも、それでも食っていかなければならぬ。

生きていかなければならぬ。

・・・どうする?


とどのつまりは、君たちは君たちの才覚で、人生を切り開くしかないのだよ・・・と申し上げる。

ただ、ほんのちょっと言えるとすれば、リンガフランカを身に付けるがよろし。

小さな身の回りの世界で生きていけないのなら、外の世界へ出るしかない。

その武器は、直接的にはリンガフランカだとあたしは思っております。

それは、その意味合いの上で、言葉とともに他者との人間性を協調しなくてはならぬ。

それが出来るかできないか?

社会(自然ともいえると思います)で生きていく基本は、やはり寄り添って生きる術を身に付けるということなのであろうと思う本日でありました。

・・・

ちょっと待ってね・・・

・・・

あぁ・・・ありました。

あたしの好きなこの人のブログをご紹介。

http://blog.tatsuru.com/2010/05/12_1857.php


小学生で命を絶った彼女が、もし、うまくなくても違う言葉が使えたら・・・

それにより、違う世界を知りえたなら・・・

「あたしって、すごいじゃん!」と言えたら・・・


あたしはそれを思ったのでありました。